第7話 契約の本と、重なる手の誓い
卒業式が終わり、体育館からは生徒たちの賑やかな歓声が、遠い波のように響いていた。早乙女 葵は、友人たちとの写真撮影や別れの挨拶を、いつもの「太陽の笑顔」で受け流し、「ちょっと図書室に忘れたものがある」と、誰もいない校舎の奥へと足を進めた。
彼女の向かう先は、電気の消えた図書室。
図書室の大きな窓ガラスは、もう外気の冷たさで曇ってはいない。春の穏やかな光が、埃を舞い上げながら、静寂に満ちた空間を照らしている。革の匂いと紙の古びた香りは、いつものまま。
そして、その窓際に、いた。
――月ヶ瀬 雫
厚いカーディガンではなく、眩しい制服姿のままだが、その佇まいは、いつもと変わらず触れたら壊れてしまいそうな、神秘的な美しさを放っている。彼女は、卒業証書を、抱えるように胸に持ち、春の光の中に立っていた。それは、「待っていた」という、言葉のない静かな証明だった。
葵は、声をかけることなく、雫の隣へと静かに歩み寄った。二人の間に、卒業という「終わり」の区切りがあるにも関わらず、流れるのは、いつもの安堵の静寂だけだった。
雫は、無言で、自分の抱えていた卒業証書を、そっと窓際のテーブルに置いた。そして、その上に、彼女の孤独な魂の象徴であり、二人の秘密の接点となった、あの古い装丁の小説を重ねた。
葵は、その本の存在が、「私たちが、ここで出会い、結ばれた物語」のすべてであることを理解した。
何も言わずに、葵は、その小説の最後のページのエピローグを、ゆっくりと開いた。春の午後の光が、ページに刻まれた、たった一言を優しく照らす。
葵は、本の最後のページを見つめる雫の細く白い指先の上に、自分の飾りのない左手を、静かに、しかし確かな決意をもって、深く重ねた。
それは、図書室で交わした初めの接触のような微かな優しさではなく、カフェで交わした誓いのような間接的な触れ方でもない。
「もう離さない」という、未来への強い決意と、確かな愛の温もりが、葵の手のひらから、雫の指先へと、夜明けの闇と光が溶け合うように伝わっていく。
雫は、その力強い温もりを感じ取り、重なる手を見つめ、一瞬だけ瞳をつむった。それは、拒否も、驚きもない、すべてを肯定し、受け入れる、静かな融和だった。
ゆっくりと瞳を開けた雫は、「太陽」としての役割を完全に脱ぎ捨てた「普通の女の子」としての葵の光を見つめた。そして、その透明な瞳で、最も美しい、揺蕩うような肯定の微笑みを返す。
二人は、何も言葉を交わさなかった。
一つの本と、重なり合った二つの手の温もり。それだけが、二人の世界で響き合う確かな音となった。
卒業は、二人の秘密の聖域の「終わり」ではない。
葵と雫は、人生という次の章の、最初のページを、共に、この光に満ちた静寂の中で、開いたのだ。葵の「太陽の笑顔」は、もう誰のためでもなく、ただ「月」の隣にいる喜びのために、静かに輝いていた。




