第六話 王女断罪
夜更け、窓の外から角笛が響く。
王都の北の門へ兵が走るのが見える。いくつもの松明が列になり、城壁の上を渡っていく。
私はカーテンの陰からそれを見つめ、ただ胸の前で手を組むしかなかった。
(また……魔物……)
扉の外には見張りの兵の気配。一言声をかけても、返事はない。
私が神殿へ行きたがっているのを知っているからだろう。
扉に触れる度、錠の鎖が揺れる音が響き、暗い胸へと沈んでいく。
* * *
同じ頃、王の私室には淡い灯りがともっていた。
アルマンダイン王は窓辺に立ち、遠くの城壁に灯る松明の列を眺めていた。淡い月明かりに銀色の髪が輝いている。
その背後から、黒いドレスの裾が音もなく近づく。
「陛下……また魔物の報せが」
アデライドが囁くように告げ、白い手で王の肩に触れる。
その指先が動くたび、王の遠い瞳がわずかに揺れた。
「……竜が、我らを試しているのか」
王の低い呟きに、アデライドは胸元の『竜の泪』を撫でる。
「試しているだけなら、まだ良いのですわ。──けれど、もし“呪い”なら?」
紅い瞳が淡く光る。王はその瞳に引き寄せられるように顔を向ける。
「アリアネル王女殿下が、王家の魔力を受け継がなかったのは……きっと偶然ではございませんわ……王女を蝕む竜の呪いが、王家の魔力を拒んでいるのですわ」
「陛下……わたくしは、恐ろしいのです。ここにまで魔物が来るのではと……」そう言ってアデライドは紅い瞳で王を見上げる。
甘い囁きが夜の静寂を満たし、白い腕が王の首元へと絡み付いた。王の胸元に寄せられたのは、雪のように白い頰──王の腕が、黒いドレスに包まれた細い腰を抱き寄せる。
「……アリアネルを、城から出すか……」
「陛下がお決めになることが、この国の運命を変えますわ……」
王の胸元に頬を寄せるアデライドが美しく微笑む。白い谷間に揺れる『竜の泪』が妖しく煌めいた。
王の紅い瞳はますます遠くなり、やがて彼は静かに頷いた。
* * *
(私、何もできないわ……)
机の上の燭台の炎がかすかに揺れた。
お母様の形見のペンダントを握ると、かすかな温もりが掌に広がる。
(お母様……私、何か間違ってしまったの……?)
眠れぬまま夜を明かし、東の空が白みはじめたときだった。
──ガチャリ。
重い錠が外れる音に、私は思わず身を固くした。
「……アリアネル王女殿下、謁見の間へ」
扉の向こうに立つ兵の声は、氷のように冷たい。胸がざわめき、心臓が跳ねる。
(謁見の間……? こんな夜明けに?)
私は裾を整え、足早に回廊へ出た。兵の足音に挟まれるように歩かされる。
明け方の城はひどく静かで、遠くから鳥の声だけが響いていた。
* * *
謁見の間。深紅の絨毯の先に、玉座が見える。
お父様は、玉座に座したまま遠い瞳をしていた。
その横には、黒いドレスを纏うアデライド様。宝石のような紅い瞳が、私を射抜く。
「陛下、アリアネル王女殿下が王家の魔力を受け継がなかったのは……きっと、竜に呪われているからですわ……」
(アデライド様、何を……)
アデライド様は私を見て微笑むと、胸元の『竜の泪』をそっと撫でた。
「このまま王城に置いておけば、更に国に災いを招くやもしれません……恐ろしいことです」
囁くような声が、広間に落ちる。
ざわ……と小さな波が広がった。早朝から集められた家臣たちは皆、視線を伏せ、誰一人として私を見る者はいない。
(ジェイド兄様……どうしていないの……?)
胸がぎゅっと痛む。
扉の近くで控える侍女も、私と目を合わせない。誰もが顔を伏せ、庇ってはくれなかった。
「魔物が城まで来たら……わたくし、どうしたら……」
アデライド様が怯えるようにお父様へ寄り添う。その細い腰を、お父様は当然のように抱き寄せた。
そして、冷たい瞳がこちらを向く。
「アリアネル」
名前を呼ばれただけで、足が凍り付く。
「どうせ出来損ないの姫だ。……アダマスのために竜の谷へ行き、竜の怒りを鎮めてこい」
低い声が広間に響き、時が止まった。
老臣の一人が口を開きかけたが、お父様とアデライド様の姿を見てすぐに俯く。
「ここへは、二度と戻るな」
お父様の言葉が刃となって胸を裂く。
膝が崩れそうになる。必死にこらえて、床に爪を立てる。
「……お父様……」
声は震え、涙が零れた。
玉座の上の人は、私を見ても、何も言わない。
ただ、いつもは妖しく煌めいているアデライド様の紅い瞳が、何故か翳っているように見えた。
(どうして……)
けれど私と目が合った次の瞬間、紅い唇は愉悦の色に歪み、玉座の脇に微笑が落とされた。
(私は……ここを追い出されるのね……)
絨毯に落ちた雫が、朝日の中で冷たく光った。
背後で扉が開く音がし、兵が近づいてくる。
「……王女殿下、お連れいたします」
淡々とした声に背を押されるように、私は立ち上がった。
足元は冷たく、赤い絨毯の感触さえ遠い。
(ジェイド兄様が知ったら、きっと──)
胸の奥で言葉にならない呼びかけが弾け、喉の奥が熱くなる。
けれど涙はもう出なかった。
ただ、扉が重く閉じる音が響き、私の背中を押し出した。
(ここには、もう戻れない……)
長い回廊を、足音だけが寂しく響いた。
次回、第七話「竜の谷へ」