第一話 出来損ないの王女
✦✧ 第一章『断罪された王女』のあらすじ ✧✦
幼い頃のある日をきっかけに、冷遇される日々が始まった王女アリアネル。
孤独と蔑みに耐える日々の中、王国に魔物の影が迫る。やがて彼女の存在を揺るがす出来事が起こり、運命は大きく動き出す──
* * * * *
※ 作品のイメージイラストです。
これは、竜の谷へ追放される王女アリアネルの物語──
──私は、あの日を忘れない。
あの日、神殿で告げられた言葉が、私の運命を決定づけたのだ。
あの瞬間、私の世界は音を立てて崩れた。
ドラコニア大陸の中央にあるアダマス王国は、豊かな森と丘に囲まれた、美しい国だった。
煉瓦造りの街並みは春の陽光に照らされて赤く輝き、淡い灰色の石で造られた王城は、小高い丘の上でまるで国の守護者のようにそびえ立っている。その塔の上に掲げられた王家を表す赤い旗には、白銀の刺繍で杖と剣、そして竜の姿が刻まれている。
陽光に照らされた城下町では、早朝から鐘が鳴り響き、広場では市が開かれる。新鮮な果物や焼きたてのパンの匂いが漂い、遠くで荷馬車の車輪が軋む音がする。
街角では花を売る少女の声や、鍛冶屋の金槌の音も響いている。遠くでは城門を抜ける旅人たちの姿が見え、アダマス王国の豊かさを物語っていた。
人々はその日常の中で、銀の髪を持つ王家を誇りとして暮らしていた。
遥か昔、建国王カーネリアンが『悪しき竜王を討ち、辺境の谷へ封じた』と伝えられるこの国では、竜を祀る祭りが毎年開かれ、王家の誇る強い魔力が国を守る象徴とされてきた。
現国王のアルマンダインも、建国王と同じ紅い瞳と美しい銀の髪を持ち、生まれたときから“始祖の再来”と謳われた人物だ。
彼が成人を迎える頃、隣国セレスタイト王国から聖女として名高い王女アガットが輿入れし、二人の間にひとりの姫が生まれた。
第一王女アリアネル──
月光のように輝く銀の髪を持つ愛らしい姫の誕生に、国中が沸き立った。
王城には王女の生誕を祝う祝福の赤い旗がいくつも掲げられ、城下町の軒先にも小さな赤い旗が並んだ。街では夜通し祝宴が続いた。
王妃アガットは生まれたばかりの娘を胸に抱き、その柔らかな髪に何度も口づけを落とした。父王のアルマンダインも、自身と同じ輝く銀色の髪を優しく撫でた。
「この子はきっとこの国を照らす光になる」──二人とも、そう信じて疑わなかった。
両親だけではなく、国中の誰もが信じた。
「アリアネル王女は、きっと父王アルマンダインのように強大な魔力を持ち、国を守る存在になるだろう」と……。
──だが、運命は人々の期待を裏切った。
それは、アリアネルが五歳の春のことだった。
王家の者の魔力の強さを確かめるため、神殿で行われる聖石の儀式の日。
白い大理石の床は冷たく、厳かな空気の中、幼いアリアネルは不安げに母の白いドレスの裾をぎゅっと握って立っていた。
神殿の中央に刻まれた魔法陣は青白く光り、その向こうにある小さな祭壇には、白い聖石が銀の台座の上で淡く輝いている。
大神官がゆっくりと口を開いた。
「これより、アリアネル王女殿下の魔力測定を執り行います」
静まり返る神殿。
人々が固唾を呑む中、アリアネルは母に促され、魔法陣の中央へと向かう。
白い大理石の床はまるで氷のように冷たく、アリアネルの小さな靴音がこつりと響くたび、小さな胸が縮こまった。
アリアネルが魔法陣の中央に立った瞬間、背筋がひやりとした。小さな少女には、大きな神殿の天井がやけに遠く感じられ、たくさんの視線が自分に注がれているのが怖かった。
アリアネルは、聖石に震える小さな手を翳す──
そして、祭壇に置かれた白い聖石は強い光を帯びる──はずだった。だが、魔法陣が淡く揺れ、すぐに足元の青白い光は消えた。
目の前の聖石は、薄ぼんやりとした輝きのまま、少しも動かない。
(どうして、光らないの? お母さま……わたし、まちがえたの?)
アリアネルが、不安そうな瞳でアガットを振り返る。空色の揺れる瞳がアリアネルを見つめていた。
──聖石には、何も起こらなかった。
「……何故、光らない」
国王の冷ややかな声に、神殿内に緊張とざわめきが走る。
再度、儀式は執り行われた。けれど、結果は同じ。聖石は沈黙を保ったままだった。
「信じ難いことですが、アリアネル王女殿下には……魔力が感じられません」
大神官が重い口を開いた。わずかに震える声が静まり返る神殿内に響く。
列席していた家臣や侍女たちが顔を見合わせ、驚きと困惑のざわめきが広がった。
「これから、発現する可能性は……?」
か細い声で尋ねるアガット。だが、大神官は首を横に振った。
「記録の限りでは、そのような例はございません」
アガットは唇を震わせ、隣に立つ夫へ視線を送った。その彫刻のように端正な顔に表情はなかった。
アルマンダインは眉ひとつ動かさず、冷たい紅の瞳で娘を見下ろした。
「期待外れもいいところだ。見かけばかりの出来損ないだな……王家の恥さらしめ」
吐き捨てるように言った王の声は低く、まるで冬の風のようだった。その一言で神殿の空気が凍り付き、誰もが息をすることすら忘れたかのようだった。
(この子は、何も悪くないのに──)
アガットは震える手で娘を抱き締め、銀の髪に頬を寄せた。アリアネルは泣き声も上げず、ただ黙って母の胸にしがみついた。
その小さな背を撫でながら、アガットは声にならない祈りを胸の内で繰り返した。
(どうか……この子を、愛してあげて……)
けれど、その祈りは届かなかった。
そして、大人たちが立ち尽くす凍りついた空気の中で、深い銀の髪の少年がアリアネルを見つめていた。その少年は、翡翠の瞳を揺らし、拳を握りしめていた。
「……アリアに、なんてことを」
彼の小さな声は誰にも届かず、彼の胸の奥に沈んでいった。
(アリアは、僕が守らなきゃ……)
その瞳には、困惑と怒りが宿っていた。
次回、第二話「アリアネルの日々」