第二十三話 光に包まれて
崩れかけた謁見の間で倒れたアリアはすぐに部屋へと運ばれ、清潔な寝台にそっと寝かされた。以前彼女が閉じ込められていた王女の部屋ではなく、ジェイドが用意させた美しい客間だった。
激しい戦いの後が残る謁見の間とは対照的にここは静かで、窓から差し込む陽光と柔らかな風に、レースのカーテンが微かに揺れている。
ヘリオスは寝台の傍らに膝を付き、アリアの銀の髪をそっと撫でた。
呼吸はある。けれどその胸は小さく上下するだけで、目を覚ます気配はない。
焦げた瓦礫の匂いがまだ残るドレスを気にする余裕もなく、彼はただその手を握り続けた。
やがて、黒竜の術から覚めた家臣や侍女たちが次々と訪れ、部屋の前で跪く。
「アリア王女殿下……」
「お許しください……」
涙ながらに声を上げる彼らに、ジェイドは冷たい声で告げる。
「帰れ。お前たちがどれほど涙を流そうと、姫の過ごした年月は戻らない」
そのあまりに冷ややかな言葉に、ヘリオスは思わず顔を上げた。
「ジェイド……少し、言いすぎではないか」
問いかけると、ジェイドは一瞬目を伏せ、そして淡々と告げた。
「……ヘリオスは知らないだろう。アリアがこの城で、どう過ごしてきたのか」
彼は静かに語る。
五歳の魔力測定の日に、父である前王アルマンダインに罵倒されてから、父親だけでなく周囲からも冷遇され続けた日々。
部屋付きの侍女でさえ心から彼女に仕えようとはせず、唯一の支えだった母親は二年前に亡くなり、術にかかる以前から孤独であったこと。
そして、追放を命じられた日のこと──
「城にいた者すべてが、アデライドの術にかかっていたわけではない。……だが、皆がアリアから目を背けていたのは事実だ。今さら泣いても、幼い頃から傷付けられたアリアの心は癒せない」
その言葉が胸に刺さり、ヘリオスはアリアの寝顔を見つめる。
小さな花びらのような唇、閉じられた白い瞼。伏せられた淡い睫毛が血の気のない頬に影を落としている。
こんなに華奢な体で、どれほどの孤独を抱えてきたのか。
彼は強く拳を握りしめた。
(……もう二度と、悲しい思いはさせない)
その決意が胸の奥で、確かな熱となって灯った。
* * *
アリアの部屋付きとして、プレーナイト公爵家から、数名の侍女や騎士が配置された。
侍女たちの手によって白いドレスに着替えさせられたアリアは、相変わらず眠り続けていた。
(アリア……)
眠るアリアの傍らには、ヘリオスの姿があった。アリアの着替えの時に席を外しただけで、彼は片時も傍を離れなかった。
「ヘリオス、少しは休んだ方が良い」
部屋へ入ってきたジェイドが、気遣う眼差しでヘリオスを見つめる。
「俺は平気だ。……ジェイドこそ、人間のくせに殆ど休んでいないだろう」
その言葉に、ジェイドは薄く笑った。
「即位に向けてやることがたくさんあるんだ。休んではいられない」
「アリアの傍にいてくれて、ありがとう。無理はするなよ」と声を掛けると、ジェイドは部屋を後にする。
残されたヘリオスは、再び眠るアリアを見つめる。
「アリア……目を開けてくれ」
ヘリオスは、アリアの白く細い手をそっと握る。その柔らかな手を額に当て祈るように瞳を伏せた。
* * *
そして数日後。
朝の光が窓から差し込む中、アリアの白い瞼がかすかに動いた。
──眩しい光。
ゆっくりと震える瞼を開けると、見慣れない天井が目に入った。どうやら、城の客間のようだ。
(温かい……)
傍らで誰かが手を握っている。その感触に視線を向けると、そこには人の姿のヘリオスがいた。
「……ヘリオス……?」
掠れた声を出した瞬間、彼の金の瞳が大きく揺れ、すぐに抱きしめられる。
「アリア……!」
(無事、だったのね……よかった……)
黒竜ガーネットとの戦いで、自分を守るために全身に傷を負った姿を思い出し、目の前の元気そうなヘリオスの様子に心から安堵する。
「ヘリオス……守ってくれて、ありがとう」
その言葉に、金の瞳が熱を帯びる。
「これからも、俺が必ず守る……もう、絶対に無理はしないでくれ」
切なげな金色の眼差しに、胸がぎゅっとなった。言葉は出ず、静かに頷く。
思えば、この青年の姿のヘリオスをこうして見つめるのは初めてだった。胸にすっぽりと納まっていた愛らしい小さな子竜の姿を思い出し、その差に胸が高鳴る。
窓から差し込む日差しに照らされた白金の髪は透けるように輝き、宝石のように美しい切れ長の金の瞳はこちらを見つめている。
(綺麗すぎるわ……)
彼の美しい顔に見惚れていると、心配そうに金の瞳が揺れる。
「どうした……アリア、大丈夫か」
頬に触れた大きな手の温もりに、心臓が跳ねる。たちまち、そこに熱が集まるのが分かった。
「熱があるかもしれない、すぐにジェイドに──」
「大丈夫よ!」
慌ててそう返すと、金の瞳が揺れる。彼の顔を見ていられず、視線を落とす。
(どうしよう……ヘリオスの顔が見られないわ)
俯いていると、手をヘリオスの大きな両手に包まれる。
「アリア……具合が悪いのか」
ひどく心配そうな声に、そっと視線を上げる。澄んだ金の瞳に、思わず吸い込まれそうになる。
「大丈夫よ……その、ヘリオスの姿に、まだ、慣れなくて……」
ゆっくりと言葉を紡ぐと、ヘリオスが戸惑いの表情を浮かべる。
「俺のこの姿は、気に入らないか?」
思わぬ言葉が返ってきて、息が詰まる。ヘリオスは不安げな眼差しでこちらを見つめていた。
「違うわ……あなたが、綺麗だから……」
それ以上、何も言えなかった。ちらりとヘリオスの様子を覗うと、彼は柔らかい微笑みを浮かべている。
「竜の姿のときも、そう言っていたな」
彼の笑顔に、再び胸が高鳴る。
(いつ、慣れるかしら……)
小さくため息を吐くと、彼に微笑み返す。
窓から差し込む光が、部屋を優しく照らしている。
嵐のような戦いを越え、ようやく訪れた穏やかな朝だった。
次回、第二十四話「芽生える想い」




