第十八話 漆黒との再会
冷たい空気と体を包む温もりに、私は薄っすらと目を開けた。
気が付けば、ジェイド兄様の腕に抱かれ、王城の謁見の間にいた。
「ジェイド、兄様……?」
私はジェイド兄様の腕の中で足を床につけることもできず、夢と現の境を漂っていた。
「……すまない、アリア……逃げるんだ……」
掠れた声で小さく呟かれた言葉。
ジェイド兄様の翡翠の瞳が、一瞬だけ光を取り戻す。
ゆっくりと体を降ろされ、私が深紅の絨毯に足を付けた瞬間、彼の体ががくりと崩れ落ち、私の前に崩れ落ちた。
「ジェイド兄様!」
深紅の絨毯の上に、ジェイド兄様が伏している。その顔は、紙のように白かった。
「ジェイド兄様、しっかりして……!」
跪いた私の耳に、微かな衣擦れの音が響いた。
ゆっくりと振り返ると──
深紅の絨毯を踏む黒いヒールの音が、広間に不気味な響きを刻んでいた。白い肌に纏う漆黒のドレスの裾が優雅に揺れ、胸元の紅い宝石が妖しく煌めく。
(アデライド様……)
心臓が早鐘のように打ち、足が竦んで一歩も動けない。
気付けば、美しく微笑む柘榴石のような瞳が、私たちを見下ろしていた。
「何だ、まだ抵抗する力が残ってたのね。……まぁ良いわ」
意識のないジェイド兄様を見つめ、紅い唇が楽しげに弧を描く。
「あなたは、やっと手に入れたんですもの。……たっぷり可愛がってから、始末してあげるわ」
ぞっとする言葉が、甘やかに響く。
アデライド様が白い手を打つと、乾いた音に導かれるように深紅の垂れ幕の奥から数名の若い家臣が現れ、意識を失ったジェイド兄様を人形のように担ぎ上げた。
「アダマスの血を引く者は、全て始末しないとね……新国王陛下を、早く連れて行って」
(何ですって……?!)
虚ろな目の家臣たちに担がれ、力なく瞼を閉じたジェイド兄様の姿が扉の向こうへと消えていく。
「待って……!」
叫ぼうとする声が震える。
閉じられた大きな扉を見つめ、私は息を呑んだ。
──『アダマスの血を引く者は、全て始末しないとね……』
甘い声で囁かれたぞっとする言葉が、頭の中で反響する。
(アデライド様は、アダマス王家に強い恨みが……)
ゆっくりと振り返ると、美しく微笑む柘榴石のような瞳と紅い唇──
「アデライド様……あなたが、お父様を……?」
もう、疑いようがなかった。
だが、その瞬間、アデライド様の柘榴石のような紅い瞳がギラリと鋭く光り、広間の空気が凍りついた。
「まだ、殺すつもりはなかったわ」と言った紅い唇が弧を描く。
「魔力を奪ったら、動かなくなったのよ……人間って、弱いのね」
(人間……アデライド様は……)
震える瞳で見上げると、彼女は美しく笑った。
楽しそうな紅い瞳が私を見つめている。
「次は、あなたの番ね……と言っても、王女様には魔力がないんだったわね」
「どうしようかしら……」と呟くと、アデライド様は腕を組んで首を傾げた。
(ヘリオス……)
その時、脳裏に浮かんだのは小さな白い姿だった。寄り添ってくれた、優しい金の眼差しを思い出す。
「あ……」
喉がひりつき、声にならない息がこぼれる。滲んだ涙が頬を伝った。
震えながら俯いていると、アデライド様の声が落ちる。
「それにしても、みっともないわね……着替えさせてあげて」
見上げると、アデライド様の白い指が、私の土埃に染まったドレスを指した。赤い瞳は怪訝そうに細められている。
すぐに垂れ幕の奥から虚ろな瞳の侍女たちが現れ、私は抵抗する間もなく引き立てられた。
連れて行かれた湯殿で髪や肌の汚れを落とされ、白い絹の肌着を身に着けさせられる。抵抗することも出来ず、人形のような侍女たちに髪を梳かされるしかなかった。
「あの……」と声を上げても、誰も反応しなかった。光のない瞳の侍女たちは、表情も変えず、口も開かずに黙々と動き続けている。まるで操り人形のようだった。
本当は、『ここから出してほしい』と言いたかった。だが、侍女たちの異様な様子に恐ろしくなり、何も言えなかった。
思い返せば、ジェイド兄様を連れて行った家臣たちも、同じような瞳をしていた。
(ジェイド兄様……ヘリオス……)
気が付けば、どこからか用意された夜のように深い青のドレスに着替えさせられた。
鏡に映る自分が、知らない誰かのようで──胸がぎゅっと締め付けられる。
「随分綺麗になったわね……わたくし、汚いのは嫌いなの」
紅い唇が満足そうに弧を描く。
謁見の間まで連れ戻された私は、アデライド様の前に立ち尽くしていた。
逃げたいのに足が動かず、紅い瞳から目を逸らせなかった──
次回、第十九話「明かされた真実」




