第十三話 小さな竜と二人の旅
森の朝靄の中で、再会したジェイド兄様と向き合った。
「アリア、どうしてこんな所にいるんだ」
胸の奥がきゅっと詰まる。言わなければならない──そう思い、深く息を吸った。
「……私、竜の谷で、この子に……ヘリオスに、命を助けてもらったの」
私がそう言うと、ヘリオスがこちらへ向き直り、肩にふわりと留まった。
「ヘリオスと谷にいたんだけど、城下やお父様の様子が心配で……ヘリオスが一緒に来てくれることに……」
私の言葉に、ジェイド兄様は驚きに目を見開いた。
けれど、視線をヘリオスへ移し、真剣な瞳でこちらを見据える。
「その子竜と、これからも行動を共にするつもりか?」
「ええ……。国の様子を、自分の目で確かめたいの」
しばしの沈黙のあと、ジェイド兄様はふっと息を吐き、微笑んだ。
「……わかった。君を守ることは、私の役目だ。危険な目には、二度と遭わせない……城下に行くなら、私も共に行こう」
その言葉に、胸がじんと温かくなる。
だが、隣のヘリオスが小さく唸った。
「ふん……アリアは、俺が守る」
金の瞳がきらりと光る。ジェイド兄様も負けじと目を細めた。
「なるほど……小さくとも、随分と気は強いようだな」
「今は小さくなっているだけだ! 本来の俺の姿を見れば、お前など腰を抜かすぞ」
「ヘリオス……!」
思わず声を上げると、ヘリオスが「ふん」と首を逸らした。
「ははっ……随分と頼もしいな」
「お前! 馬鹿にするなよ!」
短い応酬に、思わず苦笑する。どうやら二人の間には早くも火花が散っているらしい。
* * *
朝の街道を二人と一匹で歩く。
遠くに見える街まで続く道を、冷たい風が吹き抜ける。
「このあたりは、魔物の出没も多い。気を緩めるなよ」
ジェイド兄様の言葉に頷く。
ヘリオスは私の肩に乗ったまま、じっと前方を睨んでいる。
その様子を、ジェイド兄様がじっと見つめた。
「アリア、重くはないのか?」
「俺は軽い。……何なら、お前の頭に乗ってやろうか」
むすっとした声が頭のすぐそばで響き、思わず笑いそうになる。
「それも良いかもしれないな」とジェイド兄様が小さく笑った。
「……本当に、人語を話すんだな」
「当たり前だ。俺は人間より賢いぞ」
「へえ……それは心強いな」
軽く笑ったジェイド兄様に、ヘリオスが少し得意げに尻尾を揺らした。
* * *
街道の先で、不意に低い唸り声が響いた。
草むらから、赤い目をした狼型の魔物が飛び出してくる。行商の男性を襲っていた魔物だ。
「来るぞ!」
ジェイド兄様が抜いた剣が風を裂く音が響き、草むらがざわりと揺れる。
剣を中心に風が集まり、刃となって魔物を切り裂いた瞬間、土煙がぱっと舞い上がる。
狼型の魔物が怯んだ隙に、ヘリオスが空へ跳び上がり、小さな翼を広げて弧を描く。
「アリアは私の後ろへ!」
ジェイド兄様が風の壁を作り、私の前に立つ。
その壁を背に、ヘリオスの口から光が迸り、魔物たちを一気に飲み込んだ。
地面がじりじりと焦げ、残った灰が風にさらわれていく。
ジェイド兄様が素早く前に出て剣を振るう。再び剣を中心に風が集まり、刃となって魔物を切り裂いた。
だが次の瞬間、別の方向からゴブリンの群れが飛び出す。
「アリア、下がれ!」
ヘリオスが肩から飛び降り、高く宙を舞う。
目一杯開かれた小さな口から眩い光が放たれ、ゴブリンの群れが一瞬で焼き払われる。
「すごいな……」
感心したような声を上げたジェイド兄様が造り出した風の刃と、ヘリオスの光の奔流が交差し、あっという間に魔物の群れは全滅した。
ジェイド兄様が剣を収め、ヘリオスへ視線を送る。
「見事だな、小竜」
「竜だからな……それと、俺はヘリオスだ」
ヘリオスはぶっきらぼうに答えたが、その尻尾は少し誇らしげに揺れていた。
* * *
夕暮れ前、辺境の街が見えてきた。
街の上には夕焼けが広がり、赤茶色の屋根が金色に染まっている。
荷馬車の車輪が軋む音や、呼び込みの声、香辛料と焼きパンの匂いが風に混じる。
旅人たちが門を抜け、子どもたちが走り回る光景に、アリアネルの胸が少しだけ温かくなる。
「着いたわ……」
胸に安堵が広がる。
街門をくぐると、行き交う人々のざわめきと、香辛料の香りが漂ってきた。
「宿を取ろう」
ジェイド兄様の提案に頷き、私たちは宿へ向かった。
受付の際、外套の中に潜んでいたヘリオスの尻尾が、ちらりと揺れた。
「まあ、可愛い魔物ねぇ。お嬢さん、魔物使いなのね」
宿の女将が笑い、思わず苦笑する。
「魔物じゃない、竜だ!」
外套の中から怒った声が響き、私は慌ててヘリオスの口を塞いだ。
* * *
宿の外で、街の子どもたちが遊んでいた。
そのうちのひとりが、外套の隙間から覗いた白い尻尾を掴んだ。
「ひゃあっ!」
情けない声を上げ、ヘリオスが外套の中に潜り込む。
慌てて外套を抱き締めると、中から「アリア!」と抗議の声が響く。
「ふふっ……!」
たまらず笑い声が漏れる。
「仲が良いんだな」とジェイド兄様が肩を揺らして微笑んだ。
「……アリアがそんな顔をするのは、本当に久しぶりに見るな」
優しい声と微笑みに、胸の奥に安堵が広がる。
「……ごめんなさい、兄様。心配かけたわね」
ぽつりと呟くと、ジェイド兄様は優しく頭を撫でてくれた。
「アリアが無事なら、それでいい」
その声が、胸の奥にじんと沁みて、思わず目頭が熱くなる。
こうして、束の間の平穏が三人を迎えた。
だが、その平穏は、ほんの束の間の幻にすぎなかった。
その夜、街の外れでは、すでに不気味な遠吠えが響いていた──
次回、第十四話「王都を目指して」