最終話 BALLS TO THE WALL
「もう始球式の様相は見せていません。松本さん、竜虎相搏とはこの場のためにあるような言葉ですね」
「はい、ドームの中が徐々に静まり返っていきます。この勝負の気迫と緊張感に観客も言葉がないのでしょう」
超満員の関東ドーム。しかし、ドーム内はシーンとしていた。
達夫はキャッチャーのサインに首を振り続け、そして最後に頷いた。
最後の一球。尊との最後の勝負。
達夫はすべての思いを白球に込めた。
大きく振りかぶった達夫。
小細工なんていらない。ストレートで勝負。
尊も分かっていた。達夫は逃げないと。
バットを構える尊。
そして――
ズバーンッ
観客の大歓声にドームが揺れた。
「小林空振りぃーっ! 最後の勝負、軍配は伊藤に上がりました!」
「葛西アナ、ものすごい速球でしたね!」
「はい! 今、球速が……161キロ! 160キロを超えてきました!」
「これは東京バーバリアンズ、逃がした魚は大きいですね」
「大きすぎますね!」
「伊藤だけでなく、伊藤への処遇に納得のいかない大勢のバーバリアンズファンも逃がしている状況ですから」
「松本さんも先日驚いていましたが、バーバリアンズ戦、ホームであってもファンが全然おらず、観客席ガラガラでしたからね」
「葛西アナ、見てください」
マウンド上で抱き締め合う達夫と尊。
「あぁ、伊藤泣いています。小林に抱き締められて泣いています」
「ライバルは漢字にすると『好敵手』と書きます。良い相手こそが自分を育てるのです。チームだとか何だとか関係なく、このふたりは本当の意味で好敵手だったのでしょう」
「松本さん、伊藤と小林は進む道こそ別れてしまいますが、きっといつまでも好敵手同士なのでしょうね」
「はい、葛西アナの仰る通りです。小林はプロ野球チームで研鑽を積み、そして伊藤も同様に独立リーグで研鑽を積みながら、盛り上げにも一役買ってくれることでしょう」
マウンド上で抱き締め合い、お互いの健闘を称え合うふたりに、すべての観客が大きな、そして暖かい拍手を贈った。
この年、プロ野球リーグでは大阪フェニックスが優勝。尊がチームを引っ張る大きな原動力となっていた。
達夫を追放した東京バーバリアンズは、リーグ順位も最下位に。人気低迷に拍車がかかり、チーム運営の危機に陥った。現在は身売り交渉が行われているのではないかと噂されている。また、達夫には秘密裏にチーム復帰の声掛けをしたが、億単位の年俸を提示しても達夫が首を縦に振ることはなかった。
達夫は地方の独立リーグで活躍中。地元のファンとの触れ合いを大切にしながらチームの勝利、そしてリーグの人気向上に努めている。また、チームの枠組みを超え、他チームのピッチャーにも投球術などの指導を積極的に行い、リーグ全体のレベルアップにも貢献しており、いまやどのチームのファンにも愛されるリーグ全体のアイコンとなっている。
一方で、選手としての収入だけでは食べて行けず、チームの運営会社でサラリーマンとしても働いているが、妻の恵子や息子の雄作と一緒にいられる時間が増えたと大喜びしており、恵子と雄作も思いの外田舎暮らしが楽しいようで、家族全員が満足した生活を送っていた。
今日も地方の小さな球場で先発登板だ。でも、ファンからの声援はあの頃以上に熱い。それが達夫の闘争本能に火を付ける。
『ピッチャー、伊藤。背番号、1』
球場のコールに、味方だけでなく相手チームのファンからも歓声が上がる。
「よし、いくぜ!」
達夫は自分への声援を追い風に、マウンドへ颯爽と走っていった。