第8話 毒と薬の境界
道具屋を出て町外れへ向かうと、すでに数人の旅人が集まり始めていた。
大型の馬車には荷物が積まれ、獣人たちがゆっくりと準備を進めている。
女将が言っていた「隊商に便乗」という話は、どうやら本当だったようだ。
「エルミードへ行くのか?」
声をかけてきたのは、体格のいいトカゲの獣人。見た目はいかついが、笑うと意外に親しみやすい。
「ああ、旅慣れてるわけじゃないから、ついていかせてもらえるなら助かる」
「構わんさ。護衛もいるし、何かあったら声をかけてくれ」
こうして、俺は王都へと向かう隊商の一行に加わることになった。
◇◇◇
森を抜ける街道は、思っていた以上に整備されていた。
ただ、途中の林では虫や獣の魔物の気配も濃く、油断できない道のりだった。
道中、森を抜けて街道を進む間、何度か小型の魔物と遭遇した。
前方から聞こえるうなり声や羽ばたき音のたびに、隊商の警戒が一気に高まる。
けれど――護衛についている冒険者たちが、すぐに対応していた。
剣を構える戦士、長槍で間合いを制する獣人、後衛から魔法を放つローブ姿、弓をつがえる弓使い、そして指示を飛ばすリーダーらしき男。
5人が一糸乱れぬ連携で、次々と魔物を仕留めていく様子は、見ていて圧巻だった。
「……はぁ~、すごいな」
思わず感嘆の息が漏れた。その呟きを聞いたのか、すぐ隣にいた隊商の若い荷運びがにこりと笑って言った。
「彼らは《銀の盾》っていうパーティーなんだ。Bランクの冒険者チームで、王都でもそこそこ知られてるらしいよ」
「へぇ~……強そうですね~」
Bランク、と言われても具体的な基準はわからない。けれど、少なくともこの世界では“安心して背中を預けられる存在”なんだというのは伝わってきた。
その場にいる誰もが、彼らを信頼しているのがわかる。
(俺も……あのくらいの実力を目指せるんだろうか)
そんなことを考えながら、俺は再び前を向いた。
半日ほど歩いたころ、先頭の馬車が急に止まり、前方がざわついた。
「どうした?」
「負傷者だ。隊商の一人が馬から落ちて、足を捻ったみたいでな……」
近づくと、荷運びをしていた若い男が地面に座り込み、顔をしかめている。
足首が腫れて、すでにうっすらと青くなっていた。
「骨まではいってないが、打撲だな。動かさんほうがいいだろう」
「うぅ……すみません……みんなに迷惑かけて……」
そのとき――ふと、思ったことがある。
唾液毒化のスキル。
(……毒だけじゃなく、“薬”として作用するものも、もしかしたら……)
前にラメールが言っていたことが頭をよぎる。
『ふふっ、海の生き物の中にはね、毒を持ちながら、その成分が“薬”になる種もいるんだよ。実際、傷を癒す効果のある毒も研究されてるの』
確かにこれは聞いたことがある。モルヒネなんかは麻薬だが、癌患者の痛み止めとしても使われているのを知っている。
発酵と腐敗……、これもどちらも同じ過程だ、違いがあるとしたら人体に有益か有害かの違いだ。
(……毒と薬。効き目の違いは“対象”と“目的”次第……ってことか?)
俺は静かに唾液腺に魔素を流し込み、今までとは少し“違うイメージ”を描く。
《唾液変質:鎮痛再生型》
スキルの一部が反応し、舌先がかすかにしびれた。
自分の指先に唾液を乗せ、しゃがみ込んで青年の足元へ向き直る。
「ちょっと触るぞ。冷たいかもしれないが我慢してくれ」
「えっ……はい……?」
疑問の声をよそに、腫れた足首のまわりに、指先でそっと唾液を塗る。
すぐには変化は起きない。だが――数十秒ほどたったころ、男の表情がわずかに緩んだ。
「まぁ……痛みを抑える“薬”みたいなもんさ」
「ま、まさか回復魔法!?」
「いや、そういうのじゃない。ただの……体質みたいなものだよ」
「いや、ちょっと特殊な体質なだけさ。傷そのものは時間がかかるが、今よりは動けるはず」
完全な治癒じゃない。だが応急処置としては十分だった。
隊商の一人が感心したようにうなる。
「お前、ただ者じゃないな……ギルドに所属してるのか?」
「いや、まだだ。王都で登録しようと思ってる」
「そうか……なら、早く登録して冒険者やってくれ。安心感が段違いだ」
みんなが笑い、負傷した青年も少しだけ前向きな表情になっていた。
その輪の中で、俺は静かに自分の手を見つめる。
(毒と薬の境目なんて、本当に曖昧だな)
俺のスキル《タコ》は、そんな“曖昧な力”を内包していることを改めて思った。
◇◇◇
その日の野営地で、夜空を見上げながら一人考えていた。
焚き火のパチパチという音の向こう、誰かが眠りにつき、誰かが見張りに立つ。
その静けさの中で、ラメールの声がふと届いた。
『カイトってさ……やっぱり、変わってるよね〜』
「急に何だよ」
『ふつう、毒って聞いたら怖がるものなのに……“治せるかも”って考えるんだもん』
「昔からそういう性分なんだ。何かを“壊す”んじゃなくて、“活かせる”なら、そっちの方が気持ちがいい」
『うん、好きだよ、そういうところ。……きっと、この世界でも、すごく大事なことだから』
ふわりとした笑い声が、心に柔らかく広がった。
王都まで、あと二日。
◇◇◇
二日目の旅路は、驚くほど穏やかだった。
昨日ほどの魔物の襲撃もなく、天気にも恵まれ、隊商の誰もが心に少しだけ余裕を取り戻していた。
途中、草花の咲く小さな泉で休憩をとったことが印象的だった。
(戦いのない日って、ありがたいもんだな……)
その夜、焚き火を囲んで、隊商の者たちと少しだけ会話を交わした。
“旅の仲間”として受け入れられ始めた実感が、どこかくすぐったかった。
──そして、三日目の朝。いよいよ王都が近づいてきた。
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