第6話 赦し
洞窟内での戦いが終わり、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。足元には、悪魔族が残した灰が、風もないのにふわりと舞っている。
人ならざるものと対峙し、命を賭けて刃を振るった。その緊張が解けるにつれ、ようやく自分の鼓動が速くなっていたことに気づく。
……正直、怖かった。
だがそれ以上に、はっきりとわかったことがある。
俺はこの世界で、誰かを“守る力”を手に入れたのだと。
深く息を吐き、ナイフを腰に収めた。
――外へ出よう。
洞窟を抜けると、入り口付近で座っていた女性たちがこちらに気づき、ぱっと顔を上げた。
「ありがとう、本当に……助けてくれて」
そのうちの一人が、そっと近づいてきて、深々と頭を下げる。声は震えていたが、確かな感謝が込められていた。
「お礼はいい。無事なら、それでいいさ」
そう返すと、もう一人の女性が不思議そうな顔で問いかけてきた。
「ねえ、あなた……盗賊たちが貯めこんだもの、持っていかないの?」
「え?」
思わず間の抜けた声が出た。すると彼女は、当然のことのように言葉を重ねる。
「盗賊を討伐した人は、その盗品を受け取る権利があるの。そういう決まりなのよ」
「そうよ。だから、盗賊の隠し財産をあなたが回収しても、誰も文句なんて言わないわ」
「……そうなんだ」
この世界はそんなルールなのか。けど、それなら――
「ちょっと、戻って見てくる。君たちはここで休んでて」
「ええ、気をつけて。無理はしないでね」
二人は素直に頷き、岩に背を預けて静かに座り込んだ。
女性たちを安全な場所に待機させ、俺は一度、あの“ナイフを拾った倉庫”へ戻ってきた。
扉を静かに開けると、中には雑多に積まれた木箱や布袋が乱雑に置かれていた。空気には微かに埃の匂いと、金属の錆のようなにおいが混じっている。
棚には、古びた槍や、深紅の生地に金の刺繍で家紋のようなものが入ったマント、革で作られた丁寧な鞄――どれも明らかに盗品とは思えない“質”のものばかりが並んでいた。
(これ……たぶん、元の持ち主は返してほしいって、きっと思ってるよな)
手に取ったマントの布地は柔らかく、色褪せているが大切に使われていたことが伝わってくる。単なる金目の物というより、“思いの詰まった品”――そんな印象を受けた。
そして足元には、こぼれ落ちた貨幣の山。
金貨、大金貨、大銀貨、銀貨、そして――白銀貨。
(……なんとなくだけど、この白銀ってやつが一番価値ありそうだな)
手のひらで一枚の白銀貨を弾いてみると、澄んだ音が響いた。だが、倉庫の中を見渡すと、問題は明白だった。
――とにかく、物が多すぎる。
革袋に詰めても到底持ちきれないし、両手に抱えて運ぶには重すぎる。第一、持ち運べる量には限界がある。
「……うーん、これは困ったな」
頭をかかえて悩んでいたそのとき。
『カイト、詰んだ顔してる〜?』
いつもの調子で、ラメールの声が頭の中に響いた。
「……まあな。物が多すぎて、どうにもならない」
俺が正直に答えると、彼女は明るい声でこう言った。
『だったら、ぜ〜んぶ“水に入れて”くれたらいいよ! 私が預かっておくからっ♪』
「……水に?」
思わず聞き返す。ラメールは続けるように説明を加えた。
『うん! この世界の“水”って、わたしとつながってるの。だから、カイトが水に沈めた物は、私の《海の倉庫》に一時的に保管できるんだよ〜♪』
まるでアイテムボックスのような能力――いや、水を媒介にした女神ラメールの力か。
「それ、どれくらい入るんだ?」
半信半疑で尋ねると、ラメールは誇らしげに答えた。
『ん〜……たぶん、無限? ひとまず気にせず、どんどん入れてみてっ!』
「無限ね……ゲームでよくあるやつだ」
『うふふ、ちょっと違うけど、カイト専用の《ラメール特製・預かり海域》ってことで♪』
俺は倉庫の隅にあった大きな水瓶へと歩み寄り、試しに袋ごと宝飾品を沈めてみた。
――チャポン。
水面が一瞬、青く光り、袋ごとスッと消えた。
「……おお、本当に消えた」
『ふふっ、大丈夫だよ? “返して”って言えば、ちゃんと取り出せるからね!』
なんだそれ……便利すぎる。今後の旅でも、相当役立ちそうだ。
(ラメール……やっぱすごいな)
俺は思わず、にやりと笑いながら、次々と宝飾品や、装備品を水瓶へと沈めていった。
一部水瓶の口に入らないものがあったが、それはあきらめた。
◇◇◇
倉庫の整理を終えて洞窟を出ようとしたそのとき――足音が近づいてきた。
「……あんた、仲間じゃねぇな」
岩陰から姿を現したのは、あの焚き火の前で話していた男のひとりだった。手には、農具を改造した粗末な槍。構えてはいるものの、どこか迷いが見える。
「……戻ったのか」
「ああ。リーダー……あいつの気配が消えた。まさかと思ったが……」
俺は構えずにその場に立った。彼も攻撃の気配を見せていない。
「……俺らを殺しに来たのか?」
「それが目的なら、とっくに終わってる」
少し前に、こいつらが焚き火の前で交わしていた会話を聞いていた。事情があることは、なんとなく察していた。
その一言に、男の手がわずかに震えたが、槍はまだ下ろさない。
「……俺たちは、ただ……腹が減ってただけなんだよ。村には作物も家畜も残ってなくて、仕事もない。女房も子どもも……生きる手段がなくて……」
その声には、虚勢も誤魔化しもなかった。 スキル《触手感覚》が、声の震えや呼吸の揺らぎから“嘘ではない”と教えてくれる。
「……それで人を売るのが“正しい”って思ったのか?」
その問いに、男は何も言い返さなかった。ただ、唇を噛み、目を逸らす。
「……違うよな。わかってた。ダメなことくらい、わかってた。でも、俺がやらなくても、誰かがやってただろうって……そう言い訳して、目をそらしてたんだ」
男の手から、槍がガランと落ちた。
「……止めてくれて、ありがとう。俺たちは……あんたに救われたんだ」
静かに、膝をつき、深く頭を下げる。
「……頭を下げる相手は俺じゃない。」
そう口にしかけたそのとき――
洞窟の入口のほうから、ふたつの淡い光がふわりと浮かび上がる。 光をまとったような雰囲気で、あの救出した女性たちが歩いてきた。
「無事だったんだな」
「ええ。しばらく陰に隠れてたわ。音が静かだったから……きたの」
状況を察したのか、彼女たちは静かに盗賊たちへと視線を向ける。
「で、どうする?」
俺は被害者である二人に問いかけた。
女性の一人がぽつりと呟く。その声は怒りに満ちていたはずだったのに、どこか、迷いを含んでいた。
「……その村のこと、少し聞かせてくれない?」
もう一人の女性が、やわらかな声で問いかける。
「私たちの村もね、数年前の飢饉で同じような状況になった。盗みに手を出した者もいたし、自分の子を売った人もいた」
その言葉に、盗賊たちは顔を上げることもできなかった。
「だからって、許す理由にはならない。でも……だからこそ、今回だけは、命までは取らないでおく。もう一度だけ、自分たちで立ち直ってみなよ」
しばしの沈黙のあと、男たちは静かに頭を垂れた。
「……感謝する。絶対に、二度とこんな真似はしない」
その背中は、憔悴と後悔の色に染まっていた。
俺は、懐から布袋を取り出す。 盗賊から回収した金銭類のうち、一袋は彼女たちに渡すつもりでいたものだった。
「これは君たちの分。これで必要なものを買って、村に戻るなり、町で新しい生活を始めてくれ」
彼女たちは驚いたように俺を見つめ、そして深く、何度も頭を下げた。
そして、もう一袋。中から何枚かの金貨と銀貨を取り出してポケットに収め、残りをそのまま、村人たちの前に置いた。
「返すつもりはない。だが、これは“罰”じゃない。“未来”のために使ってほしい」
村人たちはその言葉に何も言えず、ただ黙ってうなずいた。
◇◇◇
夕暮れの森の中、俺たちは町へ向かって歩き出した。落ち葉を踏む音と、風の音だけが静かに響いている。
「……あの村の人たち、本当に変わると思う?」
後ろから、女性のひとりが問いかけてきた。
「さあ。でも、信じてる。可能性ってやつに」
「……うん。ありがとう、本当に」
やがて、木々の先に町の門が見えてきた。
夕暮れの光に照らされて、町の石造りの壁が黄金色に染まっている。門前には数人の衛兵が立っており、こちらに気づくと足早に近づいてきた。
「そちらの二人、無事か?」
ボロボロになっている女性を見つけ、若い衛兵が俺を見て問いかける。警戒心と同時に、どこか安堵の色も見える。
「盗賊に囚われていた村の女性だ。救出してここまで連れてきた」
「そうか……ありがとう、協力に感謝する。あとは我々が引き取って、しかるべき手続きを取る」
そう言うと、衛兵たちはやさしく彼女たちに声をかけ、支えるようにして連れて行こうとした。
衛兵たちが歩き出す直前、彼女たちはふと足を止め、こちらへと振り返った。
「……あなたがいてくれなかったら、私たちはもう――」
「言葉にできないくらい……感謝してます」
深く、何度も頭を下げる姿を、俺はまっすぐ見つめた。
「あぁ」
静かにそう告げると、二人は涙を浮かべながら微笑み、衛兵に支えられて町の中へと歩き出した。
その背中を、俺はしばらく見送っていた。
俺も町の中に入りポケットに入れた貨幣を出した。
残った数枚の金貨と銀貨。
価値なんて正確にはわからないが、たぶん――数日くらいは、どうにかなるだろう。
(さて……宿でも探すか)
そうつぶやいて、俺は衛兵に通行料を払い夕暮れの町の方へと、ひとり足を踏み出した。
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