第3話 ヴェリディアの大地
——足元を踏みしめるたび、葉が擦れる音が響いた。
見渡す限り、深緑に包まれた世界。空気は清らかで、どこか甘い草の香りが混じっている。陽光は木漏れ日となって地面に模様を描き、森の奥では鳥のさえずりと風の音が静かに交差していた。
「ヴェリディアの大地」——異世界の地上。
ラメールの言っていた“安全な森の入口”というだけあって、周囲に敵の気配は感じられない。だが、だからこそ気を抜いてはいけない気がした。
(とはいえ……)
俺は腕を上げ、そっと手の甲を見下ろす。そこには、転移前に与えられたスキル——《タコ》の力が、今も確かに息づいていた。
「たしか“盗賊が潜んでる洞窟”だったか」
少しだけ緊張を覚えながらも、俺は深呼吸して足を踏み出す。
まずはラメールの“お願い”を果たすために、この世界に馴染むために——
最初の戦いの舞台、“洞窟”を目指して、俺は静かな森の中を進み始めた。
足音は落ち葉に吸い込まれ、鳥たちのさえずりが時折、耳をくすぐる。
異世界とはいえ、森の風景はどこか懐かしさを感じさせた。
「……そういえば、スキルってどうやって使うんだ?」
思わず独り言のように呟く。
『意識すれば使えるよ?』
「うおっ!? えっ……今のって……?」
不意に頭の中に響いた、どこか聞き覚えのある明るい声。思わず周囲を見渡すが、誰もいない。
『空耳じゃないよ〜。ちゃんと届いてる。だって、あなたの“第二の脳”は私なんだから』
「……まさか、ラメール?」
『正解っ☆』
返ってきたのは、やはりあの新人女神の声だった。どうやら、ただ送り出しただけじゃなく、こうして一定のサポートもしてくれるらしい。
『《タコ》のスキルは、意識の向け方次第で自由に使えるの。基本機能は無詠唱だし、ちゃんと自分の身体の一部みたいに動かせるようになるよ』
「マジで万能すぎんだろ……タコ」
『ふふん、でしょ♪ でも油断しちゃダメだよ。スキルに頼りすぎると、本来の自分の判断力や感覚が鈍っちゃうからね?』
そう言いながらも、どこか嬉しそうな声色のラメール。
彼女が見守ってくれていると思うと、少しだけ心強い気がした。
(よし、まずは試してみるか……)
俺は深呼吸してから、ゆっくりと目を閉じた。
意識を内側に向けていくと、自分の中に何かが“存在している”感覚が広がっていく。熱でも冷たさでもない、重みと流動性を併せ持つ、不思議な“力”。
そのまま意識を集中して――「カモフラージュ」発動。
ふっ、と体の表面が薄い膜に包まれるような感覚が走り、次の瞬間、景色が微かに揺らいだ。
(……おお、本当に気配が消えてる?)
自分の手が、周囲の木々と同じようにぼやけ、完全に背景に溶け込んでいる。
さらに耳を澄ますと、自分の呼吸音さえ、木々のざわめきに吸い込まれていくようだった。
『ばっちりだね〜! その状態でじっとしてると、よっぽど注意深い相手じゃないと気づけないよ』
ラメールの声がまた頭の中に響く。
スキルの詳細をもう一度、頭の中で整理してみる。
真っ向勝負をするタイプではなく、奇襲や暗殺といった、隠密行動に特化したスタイル。それがこの《タコ》スキルの真価だろう。
この時点で、頭にふと浮かんだ単語があった。
「……忍者、か」
子どもの頃、一度は憧れた存在。影に紛れ、音もなく現れて、任務を果たす……そんなロマンに満ちた生き方。
今なら、それが現実になるかもしれない。このスキルなら、姿を消し、敵地に潜入し、誰にも気づかれずに目標を制圧する――。
(この世界で、忍者みたいなことをして生きていけるのか……?)
思わず口元が緩む。妙に胸が高鳴っていた。
わくわくするような気持ちを抱きながら、次のスキルを試すことにした。
「……じゃあ、次は“触手感覚”だな」
そうつぶやいて、地面に手を伸ばす。
スキル「触手感覚」を発動。
木の幹に触れると、細かい年輪の凹凸や、表面に走るヒビの深さまでもが“感触”として脳に流れ込んでくる。
まるで、触れただけでその木が何年そこに立っていたのか、風雨にどう晒されてきたのかまで分かってしまうかのようだ。
視覚では到底捉えきれないような情報が、指先を通して鮮明に伝わってくる。
(……これは、すごいな)
驚嘆しつつ、試しに地面にも手を伸ばしてみた。すると、土の粒の大きさや湿り具合の違いだけでなく、
ごくわずかな“圧痕”の存在が感覚として伝わってくる。
(……これは、人の足跡か?)
柔らかくなった地面に、わずかに残った沈みと方向性。続けて、曲がった枝や、苔の剥がれた箇所にも手を当てて確認していく。
バラバラだった違和感が、一本の“痕跡”としてつながっていく感覚。
(……なるほど、こうやって使うのか)
足跡を「見る」のではなく、「触れて感じる」。それはまるで、残された情報の“地層”をなぞっていくような感覚だった。
(これ……偵察や追跡に応用できるぞ)
微かな痕跡を頼りに、俺は森の中を静かに進んでいく。
足元の草を踏まないように気を配り、枝の一本すら揺らさないように気をつける。奇襲、潜入、追跡――これらの行動に必要な所作が、スキルの補助もあって自然と体に馴染んでいく感覚があった。
(スキルに頼ってるだけじゃなく、身体も順応し始めてる……)
木々の合間を抜けるたび、湿った風が頬を撫でる。鳥のさえずりが遠くに響く中、足跡の痕跡は徐々に濃くなっていった。
地面の圧痕は深くなり、踏み荒らされた枝葉、時折残された靴の裏の泥。複数人が同じ方向に向かっているのは間違いない。
(この感じだと、あともう少し先に何かある……)
森の傾斜が緩やかに上り坂になり、やがて空気が微妙に変わった。湿り気が増し、ひんやりとした空気が頬を冷やす。
視界の先、わずかに陽の差さない影の中に、岩肌が口を開けているのが見えた。
(……あれか)
苔むした岩に囲まれた、自然にできたような横穴。その奥からは微かに空気が流れてきていた。外とは違う、土と湿気の混ざった匂い。生き物の気配も、かすかに漂ってくる。
「これが……盗賊の根城か」
自然と息をひそめ、岩陰から洞窟の入り口を観察する。人の手が入った形跡はほとんどないが、地面には人が出入りしている証拠がいくつもあった。
足跡、削られた岩、踏みならされた草。明らかに、ここは“使われている”。
『ふむふむ……ここが例の洞窟みたいだね。カイト、気をつけて。中に何人いるか、まだ分からないから』
ラメールの声が脳内に響く。まるで背後でささやかれているような、親密さと緊張感が同居した声。
(ああ、わかってる。こっからが本番だ)
ゆっくりと腰を落とし、洞窟の入り口が見える場所に移動した。
風の音、葉擦れの音、そのすべてに意識を向けながら、俺は盗賊たちの潜む闇の中へ、一歩踏み出す覚悟を固めていた。
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