第27話 王の私室を目指して
朝日が差し込む頃、俺は宿の硬めのベッドの上で目を覚ました。
薄手の毛布を肩まで引き寄せたまま、しばらく天井を見つめる。
(……今日、か)
身体の節々に、張り詰めた緊張がじわりと戻ってくる。
昨日決まった“試験”の内容——王の私室への潜入。たとえ訓練の一環とはいえ、失敗は許されない。
顔を洗い、最低限の荷物をまとめると、俺は無言のまま宿を後にした。
王都の空は明るく、陽光が瞬くらしい天候だった。 だが、今日だけは、その静けさが無性に思えた。
早朝のうちにもう一度城周を覗きみ、警備のゆるみや物輸の
城を囲む壁まで来た。
周囲を確認し誰もいないことを確認したのち、カモフラージュスキルを展開し、吸盤展開によって垂直の壁面を難なく移動していく。
だが、問題はただひとつ。
(王の私室が、どこなのかがわからない)
昨夜の調査では、町の高いところから城壁の上を見たり、城壁の周りを回ったりしただけだったがそれだけは内部構造は突き止められなかった。城の外観は見えても、内部の間取りは公になっていない。特に王や王族の部屋となれば、情報は徹底的に伏せられている。表札もなければ目印もない。出入りの少なさが、逆に“王の部屋ではない”という 王都の夜は静かだった。
その静寂の下、俺は城の外壁を這い進んでいた。
カモフラージュスキルを展開し、吸盤展開によって垂直の壁面を難なく移動していく。装備したばかりのリストナイフは、袖の中にしっかりと収まっている。暗殺者——いや、“影の使徒”としての第一歩を踏み出す夜だ。
だが、問題はただひとつ。
(王の私室が、どこなのかがわからない)
事前の調査でも、それだけは突き止められなかった。城の外観は見えても、内部の間取りは公になっていない。特に王や王族の部屋となれば、情報は徹底的に伏せられている。表札もなければ目印もない。出入りの少なさが、逆に“王の部屋ではない”という確証にもなりかねないのだ。
——だから、俺は手あたり次第に、探索を始める。
城壁を乗り越え、地面を這うときは誰にも踏まれないように気を付けながら、城の外壁に到着。
◇◇◇
一つ目の部屋、見張りのいない窓を静かに開けて、ぬるりと滑り込む。
広く装飾された室内には豪奢な書棚と書き物机。だが——
(……文官の部屋か? いや、違う。家具の配置が“見せる”ためじゃない)
それだけで判断を避けるのは危険だが、明らかに“王”という権威を象徴する空間ではない。すぐに退出し、次の部屋へと向かう。
二つ目は、屋根の陰に張り付き様子を見る。
室内では、使用人らしき男性が寝台のリネンを整えていた。
(……この時間に、整えてる? 誰かの私室?)
もう一度、窓から角度を変えて覗く。簡素な寝台。飾り気のない壁。王の私室にしては、質素すぎる。
俺はそっと離れた。
三つ目。ここは扉が少しだけ開いていた。
周囲に気配がないのを確認してから、音を立てないよう中を覗くと——
”カコン”何かが落ちる音とともに、女性の悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!?」
白い肌に、緩やかに流れる金の髪。リボンを外しかけた少女が、鏡台の前で立ち尽くしていた。
咄嗟に俺は身を引き、カモフラージュを強化する。動揺はすぐに声として上がらなかったのが幸いだ。
(……よりにもよって、着替え中の部屋に侵入するとは……)
顔から火が出そうな恥ずかしさと、自分の探索能力への疑念を抱えつつ、屋根を這って移動する。
四つ目。バルコニーの影に潜みながら様子を伺う。室内からは、布を畳むような微かな音。
覗き込むと、若い侍女が一人、洗濯物を畳んでいた。
彼女の視線はどこかぼんやりとしており、作業は単調そのもの。
(……使用人部屋だな。王の私室じゃない)
したまま、そっとその場を離れた。
五つ目。湯気が漏れている部屋の窓に気づき、何の気なしに覗き込む。
一面が白く曇る中、湯船の縁に背を預けた裸の女性の姿が。
「っ……」
思わず息を呑み、反射的に身を引いたが、その瞬間、何かが床に落ちた音に彼女が振り向いた。
「……誰?」
(あかん、バレる……!)
急いでその場を離れた。
(はぁ……、マジでどこだよ……)
飾り彫りのある窓の外からそっと覗く。
部屋の内装は華やかで、壁には花模様の刺繍タペストリー。
鏡台に化粧道具がずらりと並んでいる。
(……王妃か、王女か?)
その判断を下すよりも先に、俺は静かに身を引いた。
(はぁ……、マジでどこだよ……)
そんなことを思っていると。すぐ近くの部屋から微かに“声”が聞こえた。
(……誰かの話し声?)
耳を澄ませると、それは会話ではなく、くぐもった、断続的な吐息混じりの——
「……んっ……あぁ……」
女性の声だった。
外壁を這いながら、声の聞こえた窓をのぞき込む。
見えたのは、揺れる影。
半ば脱ぎかけた衣服をまとった女性と、その膝元に座り込んでいる男の影。
声の主は、明らかに快楽に浮かされていた。
(……やばいやばいやばい)
急いで身を引く。
身を引く瞬間、一瞬だけ女性の横顔がちらりと見えた。
金色の髪に白い肌——だが、角度と距離のせいで、はっきりとはわからない。
(……誰だ?)
声を発したのは誰なのか、あの男と女が何者なのかもわからない。
ただ一つ確かなのは——
こんな時間に、あんな場所で、あんな行為。
それは明らかに“公にはできない関係”を意味していた。
(……なんでこんな現場に遭遇するんだよ)
額に浮かぶ汗を拭う間もなく、俺はその場を後にした。
王の私室とは関係なさそうだが……妙な胸騒ぎだけが残る。
◇◇◇
その後も、俺は潜入と探索を繰り返した。
学士用の文書保管室。
古い儀式に使われたらしい半地下の礼拝堂。
城の調度品や予備の家具が積まれた倉庫のような部屋。
どれもが、“王の私室”には到底見えない空間だった。
(……違う。やっぱりさっきのエリア……あの辺りに戻るか?)
城の外壁を這いながら、目についた一つの部屋。
その窓には、内側から重厚な遮光カーテンが引かれていた。外からの光を完全に遮断し、内部の様子は一切わからない。
(……雰囲気が違う。もしかして……)
窓枠のわずかな隙間に指をかけ、音を立てないようにほんの数ミリだけ開ける。
中は思っていた以上に明るく、だが確かに他の部屋とは一線を画す空気があった。床には絨毯、壁には高級な装飾。寝台も一段高い位置に据えられ、天蓋が揺れている。
(……ここか。王の私室——)
緊張感が、背筋を走る。
その瞬間——声が聞こえた。
「来たか?」
一瞬で背筋が凍りつく。
だが、この声に覚えがあった。
視線を上げると、声の下法を見ると奥のソファに一人の男が腰かけていた。公爵ダリウス=エストルの姿。
(さっきは誰もいなかった気がしたが……)
「そこにいるのだろう?」
カモフラージュの状態のままでも、完全に気配を遮断できるわけではない。だが、公爵の目は俺を“見ている”わけではない。ただ、すでにこの部屋に俺が来ることを前提に座っていた——そんな印象を受けた。
「隠れてないで、出てきなさい。……もう十分だろう?」
その言葉に、俺はわずかに息を呑む。
(……見えているわけじゃない。けど、予測されてたってことか)
覚悟を決めて、俺は天井に張り付いたままカモフラージュを解いた。
ゆっくりと姿が露わになると、部屋の空気が少しだけ揺れたような気がした。
「よく来てくれたな、カイト。いや、今は“使徒カイト”と呼ぶべきか」
公爵の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
だが、それはまだ“始まり”にすぎなかった。
公爵がいた場所からまた違うところから声が聞こえた。
そちらを見ると、どういう原理かわからないが、見えないベールにでも隠れていたかのように頭からゆっくりと姿を現した。
深紅の礼服に金刺繍。堂々たる体躯と、鋭さを秘めたまなざし。
その男が、間違いなく“この国の王”だった。
「あなたが、本当の“依頼主”なんですか」
自然と口から出た言葉に、王は静かにうなずいた。
「私が、今回の依頼主だ。君の力を、この目で確かめるために試験を設けた。これは、単なる潜入任務ではない。
——極めて繊細で、慎重を要する“案件”だ。君にそれを任せるに足るかどうかを、見極めさせてもらった」




