第25話 会食?
クラリスのBarを出たとき、空はすっかり夜に染まっていた。
王都の街灯がぽつぽつと灯り、石畳を照らしている。肌に触れる夜風は冷たく、少しだけ火照った頬を冷ますにはちょうどよかった。
歩きながら、俺は上着の内ポケットにしまっていた一枚の紙を取り出す。
——ジルから手渡された、王都の高級レストラン《ル・ヴィゼール》の案内状。
薄い羊皮紙には達筆な筆致で日時が記されていた。
「明日、正午。特別室にて」
(……“お食事の席”って書いてあるけど、どう考えてもただの昼飯じゃない)
文面は丁寧だが、内容は一種の“指令”に近い。ジルもセリカも、この席に同席するという。形式上は食事でも、間違いなく何かしらの“本題”が用意されているだろう。
それでも——
「……行かない、って選択肢はないよな」
呟きながら、今夜の宿へと足を向ける。これから先の流れに備えて、せめて一晩は、ちゃんと身体を休めておきたかった。
冷えた夜気のなか、王都の灯りが少しだけ優しく見えた。
夜風に吹かれながら辿り着いた宿は、質素ながら清潔な造りだった。
部屋に入ると、俺は簡単に身支度を整え、ベッドに体を沈める。
今日の出来事を思い返そうとして——すぐにやめた。
頭が熱を帯びすぎていたし、これ以上考えたところで、答えが出るとも思えなかったからだ。
(……明日、か)
静かに目を閉じる。
思った以上に、すぐ眠りに落ちた。
◇◇◇
翌朝は、雲ひとつない快晴だった。
通りを吹き抜ける風には少し冷たさが残っていたが、不思議と心は軽い。昨夜の迷いが、少しだけ晴れている気がした。
宿の食堂で軽く朝食をとり、身支度を整えてから俺は宿を出た。
向かう先は、王都でも有名な高級レストラン——《ル・ヴィゼール》。
ジル、そしてセリカと共に“昼食”を取る予定になっている。……形式上は、あくまで昼食だが。
街を歩きながら、上着の内ポケットから一枚の封筒を取り出す。
昨日ジルから手渡された、羊皮紙の案内状だ。宛名には、丁寧な筆致で俺の名前。日付と時刻には、こう記されていた。
「明日、昼過ぎ——《ル・ヴィゼール》特別室にて」
そして今、その“昼過ぎ”が、まさに目前に迫っている。
(……案内状っていうより、やっぱり“召喚状”だよな)
腹が減ったというより、何かが始まる予感に胃がきしむ。
格式ばった場所での食事、それもジルとセリカが同席するとなれば、気が抜けるはずもなかった。
俺は一つ息を吐き、レストランの門構えを見上げた。
内容が内容だけに、断るという選択肢はほとんど存在しなかった。 すでにジルやセリカと共に、このレストランでの食事が予定されており、遅れればそれは無礼になる。形式上は“食事”とあるが、内容は明らかに“その先”を含むものだ。
俺は案内状を懐に収め、指定された店へと向かった。
◇◇◇
レストランは王都の貴族街の一角にあり、外観からして別格だった。 淡い光を放つランタン、清掃の行き届いた石畳、木製の扉に刻まれた繊細な文様。
扉を開けると、奥には私語すら憚られるような上品な空間が広がっていた。 正装の給仕が静かに頭を下げる。
「村本カイト様ですね。個室にご案内いたします」
俺は頷き、案内された廊下を進む。やがて奥まった一室の前で扉が開かれた。
「カイトちゃん、遅かったじゃない」
先にいたのは、ジルとセリカだった。 ジルはワインレッドのドレスのような服に身を包み、セリカはいつもの戦闘服ではなく、シンプルだが品のある装いに着替えていた。
目の前のテーブルには、まだ料理は並んでいない。今は、ただの“会話の場”だ。
「……お招きいただき、ありがとうございます」
「堅苦しくしなくていいのよ。もう、あんたは“客”じゃないんだから」
ジルがくすりと笑うと、セリカが手で静かに隣を示す。 俺は示された席に腰を下ろした。無言のうちに、給仕が水の入ったグラスを置いていく。
「カイト」
ジルの声が、妙に静かだった。
「今日は改めて、確認したかったの。“アサシンギルドに入る覚悟があるのか”ってこと」
「……はい。加入を希望します」
俺はまっすぐに答えた。 不殺の方針に迷いは残るが、それでも——ここで立ち止まっているわけにはいかない。
ジルとセリカは、顔を見合わせて頷いた。
「じゃあ、正式な手続きを踏みましょう。といっても、アサシンギルドの場合、書類よりも“実力と信頼”が全て。形式より、実務ね」
ジルは指先でグラスの縁をなぞりながら、ゆったりと続けた。
「……それと、もう一つ。実はね、本当はこの場は“私たちだけ”の予定だったの」
言いながら、ジルは肩を軽くすくめる。いつもの飄々とした調子に、ほんの少しだけため息が混じる。
「でも——今朝、上層から“早急に確認したい”って声が上がっててね。急きょ、あの方も同席されることになったの」
扉が静かに開かれ、ゆっくりとした足音が響く。 そこに現れたのは——
「紹介するわ。この国の重鎮の一人、公爵ダリウス=エストル。アサシンギルドだけじゃなく、冒険者ギルドの支援者でもある方よ」
現れたのは、初老の男だった。 銀色の髪に整った口髭、威厳を感じさせる立ち姿。だが目には疲労と猜疑の色がある。
「初めまして、カイト殿。君の噂は聞いている」
「……初めまして」
緊張感が一気に高まる。 ジルやセリカは笑っていたが、公爵の登場がただの形式でないことは明白だった。
「早速だが、試験を受けてもらいたい。明日、王の私室に忍び込んでほしい。誰にも気づかれずに——だ」
「……王、の部屋に?」
「そうだ。これはテストだ。手を下す必要はない。ただ、“そこまで届くか”を見たい」
公爵の目は、試すように、俺を刺し貫いていた。
「もちろん、君が失敗すれば、それで終わりだ。君の“実力”が、その程度だったということになるだけの話だ」
「……了解しました」
引き受けるしかなかった。 ジルもセリカも、それを黙って見ていた——つまり、俺の“意思”を見ようとしているのだ。
◇◇◇
食事はその後、形式的な挨拶を交えながら進んだ。 高級な料理は味も香りも申し分ない。だが、俺の心はどこか落ち着かなかった。
(……王の私室、か)
考えるだけでも胃が痛くなる。王都の中央にある城、その最奥。警備は万全、貴族の出入りは記録され、下手を打てば“国家反逆”の烙印を押されかねない。
それでも——やるしかない。
(やれることを、全部やる。それが……俺の、生き残る道だ)
食事が終わる頃、ジルがワイングラスをくるくる回しながら囁いた。
「ねぇ、カイトちゃん。明日のことだけど、手は抜かないでね? あの人、本気で君を見てるから」
「……はい」
俺は深く頷いた。
セリカは静かに席を立ち、出口の方へと向かっていった。 その背中は、何かを背負っている者のそれだった。
俺もまた、椅子を押して立ち上がる。 そして、再び一人の暗殺者としての道を歩み始めた——




