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不殺の暗殺者と呼ばれた男 ~スキル:タコは思っていた以上に高性能でした~  作者: 川原 源明


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第13話 女性化

 初めてのクエストを終えたその夕暮れ。

 俺は自然と、あのBar――《海月亭》へと足を向けていた。


 街はすっかり黄昏に染まり、石畳の通りを歩く人々も、どこか足早になっている。

 そんな中で、南区の路地に佇むその店だけは、ひっそりと静けさを保っていた。


 扉をノックすると、すぐにクラリスの声が聞こえる。


「開いてるわよ、どうぞ」


 中に入ると、カウンター奥でエプロン姿のクラリスがフライパンを振っていた。

 芳ばしいバターと香草の香りが店内に漂っている。


「こんばんは。突然で申し訳ありません」

「ふふ、ちょうどあなたの分も作っていたところよ? なんとなく……来る気がしてたの」


 クラリスはフライパンを火から下ろし、皿に料理を盛り付ける。

 焼き野菜の付け合わせに、ハーブの効いた鶏肉のソテー。見た目にも美しく、香りだけで食欲が刺激される。


「座って。今日は“ゆっくり話したい”って気分なの」

「……はい。俺も同じです」


 テーブル越しに、料理を挟んでクラリスと向き合う。

 照明は落ち着いた明るさで、外の喧騒から切り離されたような空間。


「まずは、お疲れさま。初クエスト、無事終えたんでしょ?」


「ええ。ダスクラットの巣を駆除する依頼でした。数は多かったですが、なんとかなりました」

「“なんとかなった”、ね。……その言い方、何か“気づき”があったわね?」


 鋭い。


 俺は素直に頷き、今日の戦いで得た発見――《腕だけを軟体化させる》ことができた件を伝える。

 そしてそれが、意識の向け方や魔素の流し方次第で、部分的な変化が可能になるということも。


 クラリスはしばらく黙って聞いていたが、やがて穏やかに微笑んだ。


「それ、“制御”の才能ね。通常の変質型スキルって、もっと“暴れる”ものなのよ。あなたは……ううん、“あなたのスキル”は、感覚の細やかさで成長していくタイプだわ」

「……俺自身もまだ全然理解できてなくて。でも、確かに手応えはありました」

「ふふ、いいわね。そういう“伸びしろ”、好きよ」


 ワインのグラスを軽く回しながら、クラリスの声が少しだけ低くなる。


「それで……そろそろ、本題に入りましょうか?」


 ――本題。


 俺は静かにうなずき、手を止めた。


「クラリスさん。ひとつ……話しておかないといけないことがあります」

「……ええ。どうぞ」


「俺のスキル《タコ》には、“唾液毒化”という副能力があります。対象に触れずに、唾液を通じて毒を仕込むことができる。……ただし、これは戦闘用というより、“抑制”“無力化”のために応用しています」


 クラリスは表情を変えなかった。

 俺の言葉を遮ることもなく、ただ静かに聞いていた。


「確か、ヒョウモンダコとか毒を使うタコもいたわよね、たしか唾液管に毒が含まれるんだったかしら?なるほど、それで唾液毒化ね、もしかしたら皮膚にも毒をまとうことができるのかしら?」


 たしかにヒョウモンダコは触れるのも危険って言われていた記憶がある。もしかしたら……。


「さぁ……?ってか、クラリスさんはタコに詳しいですね……」

「私元々医者なのよ、いろいろな毒をもつ生物を調べたことがあるのよ、それに私も毒くらいなら使えるわよ?」


 そりゃそうだ、タコが毒を使う生物だから自分のスキルでも毒が使える。クラゲのスキルを持つ彼女が毒を使えてもおかしくなかった。


「私の場合は、触れたところに激痛を走らせるくらいだけどね」


 カツオノエボシ……、何度も痛い目に見たことがある……。



「ラメールからは、タコはゲノム編集できるからありとあらゆる毒を作れると聞いています」

「へぇ~、それなら逆に人体に有益な毒も作れるのかしら?」


 その表現に、俺は少しだけ笑う。


「まさにそれです。毒と薬は紙一重。人に有益なら薬、有害なら毒……対象と目的次第で、意味は反転する」


「なるほど……」


 クラリスの瞳がわずかに細められた。


 そして、次の瞬間――意外な言葉が飛び出した。


「ねぇ……カイト。あなた、日本人よね?」


「……え?」


 グラスを置いたクラリスの表情は、冗談めいたものではなかった。


「私、日本のアニメを見て育ったのよ。変身、変化、性別の変化、年齢の変化――そういう物語、山ほどあったわ」

「……はぁ……」


 クラリスは何が言いたいのだろうか?


「だから、聞いてもいい? 《タコ》って、そこまでできるの? 性別や年齢の“変化”って」


 その質問に、俺は少しだけ考えてから――うなずいた。


「やってみます」


 立ち上がり、カウンターの奥で深く息を吸う。

 唾液腺に意識を集中させ、《唾液毒化》の作用を“変化”へと向ける。

 俺の場合、毒への耐性があるからこそ――

 “薬”として作用させるには、明確な意志で意図を上書きしなければならない。

 まずは――若返り。

 唾液を飲み込み、体内にその毒素を流し込む。

 瞬間、骨格が収縮し、筋肉が変質し、視界がわずかに低くなる。

 同時に、全身に凄まじい激痛が走った。

「ぐっ……っ!」

 あまりの痛みに膝が震え、一歩、後ろによろめく。

 頭の奥で何かが軋むような感覚。

 血管が裏返るような不快感と、筋肉が張り裂けそうな圧力――それが容赦なく押し寄せてきた。

(くそっ……痛ぇ……!)

 歯を食いしばり、必死に耐える。

 息がうまく吸えない。呼吸すら、痛みで妨げられていく。

 ――次に、性別の変化。

 もう一度、唾液を口に含み、明確なイメージとともに飲み下す。

 骨盤が開き、体型が滑らかに変わっていく。

 胸元に柔らかな膨らみが生まれ、髪が少し伸び、関節の可動域がわずかに変化する。

「っ……あ、ぐぅ……!」

 股間――男性器が内側へと押し込まれ、女性の身体へと変質していく感覚。

 その瞬間、鋭い痛みが腹部から下半身へ突き抜けた。

 引き裂かれるような鈍痛。

 皮膚の裏側がねじれ、内臓の位置がずれるたび、全身の筋肉が反射的に硬直する。

 息が詰まり、膝が崩れかける。

 それでも、奥歯を強く噛みしめ――なんとか立っていた。

(……くそ……これが、“性別の壁”ってやつか……!)

 全身にじんわりと残る鈍痛と痺れの中――

 変化は、完了した。


『そりゃあ、体の構造が変われば激痛が走るよね~』


 それなら、できれば先に言ってくれ……

 そんな小さな文句を飲み込みながら、俺はゆっくりと自分の体を見下ろす。


 ――小さな手。細く、丸みを帯びた腕。

 胸元には控えめな膨らみ。全体的に、少女のような体型。


 まぎれもなく、そこに立っていたのは“女性”の俺だった。


「……はぁ、はぁ……成功、です」


 息を整えながら、変化した自分の体を確認する。

 確かな違和感、けれどどこか受け入れている自分もいる。


 クラリスは目を見張ったまま、言葉を失っていた。


「……本当に……変わった」


「ただ、激痛は避けられません。肉体変質は内臓まで影響する。そのせいかリスクが伴います」

「……それでも、これは価値がある」


 クラリスは少しだけ奥に引っ込み、手招きする。


「ちょっと、付き合ってもらえるかしら?」


◇◇◇


 その後の時間で、クラリスは自らの“分体”3つ作り出し、同じく唾液毒を血中に流すことによる異性化を試みた。

 ――結果として、彼女の分体が“男性クラリス”として生まれ変わった。


「……これで、どんな場所にも、分体を潜り込ませられる」


 彼女は呟いた。


 その声には、確かな“決意”の色があった。


「この借りは、大きいわよ」

「……期待はしてません。でも、そう言ってくれるなら……嬉しいです」


 クラリスはわずかに笑って、グラスを差し出した。


「じゃあ、契約代わりに――乾杯しましょ?」


 ワイングラスに注がれた透明な液体が、窓辺から差し込む夕暮れの光にきらめいた。


 それは、ただの酒じゃない。

 “未来”へ向けた、静かな約束の証だった。


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