⑥真実 -懺悔-
カエデが話を続ける。
「全てを捨てる覚悟の中に『お金』って入るんじゃないかって思った。あと『地位』とか『名声』とか、昔の魔王が人間だったのなら、生きていく上で簡単には捨てられないものを選択肢に入れると思う」
さらに黒の剣の呪いに対抗出来るだけの呪いが、そう簡単に存在するのか。魔王級の武器に抗える呪いである以上、タイサにかけられた呪いが魔王と関係するのではないか。カエデは今まで貯めこんでいた知識と推測を混ぜながら同時に吐き出す。
「だが、今までの話は全て推測の域を出ない」
シドリーが短く全てを語った。
「分かっています。ですから、最後にもう一つ。シドリーさん達に見て欲しいものがあります」
カエデはシドリーに一度だけ視線を合わせると、一番近くにあった大きな木箱の中から金貨を無造作に掴み取った。
「見ていて下さい」
カエデが金貨を持ったまま腕を突き出し、そのまま床を見つめ続ける。
数分後、全員が部屋の中の違和感に気付く。初めはランプの不調かと誰もが思ったが、長方形の石畳模様の隙間から、波の様な影が現れると、それは次第に濃く、そしてはっきりと浮き出されていった。
「な、何だこれは………」
タイサの声に合わせるように、カエデを覗く者達全員が、半歩後ずさる。
「大丈夫。そのまま見ていて」
危害を加える存在ではない。カエデはそれだけを口にして、石畳の間から漏れ出す黒い霧を見続ける。
輪になっていた全員の中心で、湧き出た黒い霧はやがて収束し、液体のように流動的な波を打ち始める。そしてついには両手の指で輪をつくるよりも二周りも三周りも大きな水溜りが出来上がった。
黒い水溜りは窓のない部屋にも関わらず、表面が時折揺らいでいるが、美しい円を保ったまま広がる事なく、何かを待っていた。
「………イベロス、これは………何だ」
息を飲むシドリーでさえ、その正体が分からなかった。
イベロスは近付く事すらできず、恐らくと肩眼鏡の位置を調整する。
「小さな、黒い水溜りのようですが、恐ろしい程にクレーテルが凝縮され、意志に近い何かを獲得しているようです………古い文献で読んだ事がありますが、生まれて初めて見る現象です」
全員が確認できた事で、カエデは持っていた金貨を水溜りの上から調味料をかけるように落としていく。金貨は液体を飛び散らかしながら床に散らばるはずだったが、金貨はまるで深い海に沈んでいくかのように、とぷんと低い音を立てながら、水溜りに飲み込まれていった。
「馬鹿な! 金貨は一体どこに行ったんだ!」
タイサも驚くしかなかった。
そして黒い水溜りは、ゆっくりと円を崩して、複数の線を作り出す。
―――870。
黒い液体は三桁の数字を刻んだ。
「これがカエデちゃんの言っていた借金の残額なのね?」
「はい」
「ちょ、ちょっと待て。借金の残額だと? まだ返済額は四桁はあったはずだ!」
いつの間にとタイサは再び驚いていたが、カエデがこの十年間、フォースィや教会の皆が少しずつ支援してくれていた事を丁寧に、しかもタイサを気遣うように明かす。
「………そうか」
最後まで聞いたタイサは短く答えただけだった。
知らず知らずの内に、多くの知己から助けられていた。カエデから話を最後まで聞いたタイサは、今まで自分が返済してきたという自負が崩れ去り、知らなかった事への情けなさと、大勢の助けに感謝する気持ちに心を揺れ動かされる。
「本当に俺は、何も知らなかったんだな」
だが不満や怒りといった感情は、影を潜めていた。
「これが借金取りの正体だよ。兄貴」
今まで黙っていた事を悔いるように、カエデは涙目のまま顎にしわをつくり、今まで開けていた口を堅く閉じる。今、口を開ければ我慢してきた事が全て流れ出てしまう。彼女は最も辛いのは自分の兄だと自分に言い聞かせ、自分が弱気になる事に耐え続けた。
「………道理で王都を離れていても、問題ないと言うはずだ」
肩の力を抜いて鼻で笑うしかなかったタイサが肩をすくめる。
そもそも相手は人ではなかったのだ。
最早タイサには知らなかったと、何故教えてくれなかったと怒る感情は持ち合わせていなかった。
そしてタイサはカエデに近付き、ゆっくりと妹の体を両手で包み込む。
「今まで、ずっと、ずっと黙って一人で耐えて来たのか。お前も俺に似合わず頑固者だ………兄貴の癖に気が付かなくて………本当に済まなかった」
「ううん。でも、兄貴………ごめんなさい」
カエデの口が開き、我慢していたものが吐き出される。そしてカエデは小さな肩を震わせ、タイサの服を濡らした。




