5.新天地へ
トマは王命により男爵位を賜り、マリー·ルーはトマと共にシャゼル王国のアルナリア領に赴くことになった。
王がオベール男爵を継ぐ上でトマに出した条件はマリー·ルーを妻とすること、マリー·ルーの名をルネと改名することだった。
アルビエール伯爵邸に呼ばれたトマは、そこに必死に探していたマリー·ルーがいたことだけでなく、アルビエール伯爵こそが自分の実父だと知らされた。
マリー·ルーが王の庶子だということも聞かされ、驚きの連続だった。
母アガタがマリー·ルーを学園にやらず外へも出したがらなかった理由をようやく理解した。
王による計らいも、咎人の母を持つ自分が跡を継いで本当に良いのかとトマは躊躇した。
「お前は咎人ではない。私と王が咎人なのだ。婚外子を持つというのは、伴侶や家族を裏切ることでしかないからな」
王侯貴族が愛人を持つのは珍しいことではないが、歓迎されているわけではまったくない。
まして子までなすのは、家族を脅かし争いを起こす原因にしかならない。
「お前の母の分も含めて、これは私達の償いだと思ってくれ」
アルビエール伯爵は戸惑うトマの背を押した。
マリー·ルーにとって、王が自分の父という実感がまるでわいてこなかった。
王は亡き母マリオンを愛しているだけで、娘である自分のことを愛しているのではないと感じた。
トマの父である伯爵の方が余程人間味があり信頼できる。彼の方が父のような存在に思えていた。
実際トマの父なのだから、自分の夫になる人の父親は義父になるわけだったが、トマの父がアルビエール伯爵で良かったとマリー·ルーは満足した。
義母 アガタの言っていたトマの父はエルベ侯爵というのは、一体どこから出て来たのだろうか?
虚栄心や歪んだ自尊心から、根も葉もない嘘を撒き散らしてゆく人間はそれだけで迷惑でしかない。
母マリオンを高級娼婦だと言った悪質な嘘は、到底許せない。
他者を故意に貶める嘘、悪意でしかない嘘は暴行や犯罪と変わらない。
王族にまで被害を被らせ搾取するなど、アガタは獄中で生涯を終える筈だ。
「お兄様と結婚することになるとは思ってもみませんでした」
「俺もさ。妹ではないと知ってショックだったが、お前がアガタの血を引いて無くて本当に良かった」
「私もお兄様がアルビエール伯爵の子息で良かったです」
「じゃあ、そろそろお兄様呼びはよしてくれないか?」
トマはルネを冗談ぽく抱きしめた。
「お兄様!これは何の真似ですか!?」
「う~ん、兄から夫になる練習かな」
「練習!?」
「ははは、俺もルネって呼ばないとな」
兄からいきなり夫になるのはトマにとっても難しそうだ。
「ルネですから、ルーのままでもよいですよ」
「そうか」
トマは今度は真剣な表情でルネを抱きしめ直した。その違いをルネは敏感に察して赤面した。
「おい、照れるなよ。お前が照れるとこっちも恥ずかしいんだからな」
「······」
「男装しか見てなかったからわからなかったけど、お前、結構胸があ···」
トマが言い終えるより早く、ルネは平手打ちを食らわせていた。
「おお、おっかないな、お手柔らかに頼むよ、奥さん」
「まだ、奥さんではありません!」
男装ばかりしていたルネにとってコルセットにも慣れておらず、それだけで息苦しかった。
長い間実の兄と思っていた人と急に結婚することになるというのは、どうにも落ち着かなくてどうしていいかわからない。
お互いに気心は知れているから安心感はあっても、それでもとにかくルネは恥ずかしくてたまらない。
二人のそんなやり取りを古参の家令達は微笑ましく見守っていた。
以前よりもトマの性格が確実に明るくなったようにルネは感じていた。
ブランシュ家と母アガタという呪縛から解放され、一緒に暮らすことはなくても、トマの実の父を知り、出自の曖昧さという悩みから脱したからなのだろう。
取り潰されたブランシュ家から新領地へ引き続きついて来る者へは支度金を出し、去る者への労いと退職金を渡し、次の職場を斡旋するなどの処理を一通り済ませると、二人は新天地であるシャゼルへ晴れやかに旅立った。