第五杯 スロー次男に領地経営を任せたら破滅ライフかもしれない件
「シュヴァルツラング家の面汚しめッ!! 貴様を勘当するッ!!」
「ユリウス、カレーうどんは汁が跳ねるから気をつけろって言っただろ?」
「ごめーん兄上! でもおいしいねぇこれ〜 うちのシェフにも作らせよーよ!」
「──さては貴様、聞いてないなッッ!?!?」
立派な髭を蓄えた厳格そうな男性とその息子たちが向かい合って座っている。
飲み物だけで済ませる予定だったが次男のユリウスが空腹を申し出たので
最近貴族の間で流行しつつある人気メニューが提供された。
案の定、彼の服は汚れてしまったがそんなことはお構いなしに食事を続けた。
微笑ましい光景ではあるが「勘当」という単語が出た以上、仲は悪いのだろう。
冒険者の追放劇ではないので観察する義理はないが、他に客もなく暇であり
聞こえた内容も気になるので十子は親子の成り行きを見守る事にした。
「ライルッ!! ユリウスッ!! 今は大事な話をしているのだッ!!
それに、ここは屋敷ではないッ!! いつものような態度は許さんぞッ!!」
「父上こそ、その大声を控えるべきかと …店の方に迷惑でしょう
私たちは慣れているので気になりませんが、他の方たちは違います」
「おねーさん、父上がうるさくてごめんね!」
十子は営業スマイルで応え、食べ終えた食器を片付けている。
平らげられた丼を覗くと、洗う必要がないくらいに綺麗な状態であった。
「グっ……! 伝えたい気持ちが大きいのだ、仕方がなかろう!」
「まあいいでしょう …それで、私を勘当すると仰りましたね
心当たりはございますが、念の為 理由をお聞かせ願えますか?」
「おねーさん、カレーうどんのおかわりください!」
十子は手にしたトレーを店長に押しつけ、厨房にハンドサインを送った。
「理由だと? 決まっておろう! 貴様の魔力が風属性だからだ!
我が一族は代々、水と土の魔法により領地を豊かにしてきたのだ!
それを貴様という奴は…… よりにもよって風だと? ふざけるな!」
「おねーさん、メロンクリームソーダと枝豆ください!」
「えっ なんだその組み合わせ 大丈夫か…?」
十子は再び合図を送り、店長には新しいコップを2つ用意するよう指示した。
枝豆のお供にビールが頼まれる確率は高い。経験則がそう告げる。
「風属性といえば火属性と並ぶ戦闘専用の属性というのが世の常!
つまりは破壊の力! 領地の経営が成り立つわけがなかろう!
それにひきかえ、弟のユリウスは水属性! 素晴らしい息子だ!
シュヴァルツラング家の責務を全うするに相応しい人材だ!」
「緑色のものは体にいいって母上が言ってた!」
「そうか…… 俺はビールを頼むとするかな …枝豆少しもらっていいか?」
ソーダと枝豆の盆に手際良くビールが追加され、兄弟の前に並べられた。
十子の予測もさることながら、それに対応した店長の手腕もなかなかのものだ。
「よって、次期当主の座はユリウスのものとするッ!!
ライルよッ!! 貴様はもう私の息子ではないッ!!
今月中に荷物をまとめて屋敷から出て行くがよいッ!!」
「父上、ボリュームを抑えて下さい 周りに迷惑が掛かります」
「また声がおっきくなってるよ〜 おねーさん、ごめんね!」
十子は営業スマイルで応え、新たに受け付けたメニューの合図を送る。
「グっ……! 貴様、ビールなんぞ飲みおって!
モツ煮込みまで頼みおって! なぜ私の分も注文しない!?」
「父上、ここは屋敷の外です ご自身で注文なさって下さい
ユリウスはいつもそうしていますよ 見倣ってみてはどうです?」
「おねーさん、アイスコーヒーください!」
出来立てのうどんにコーヒーが添えられ、ユリウスは小さな拍手で出迎えた。
「ムゥ……! お嬢さん、焼き鳥の盛り合わせと熱燗を頂けるかな?」
「あと、デザートに抹茶プリンください!」
「冷やしトマトもお願いします」
十子から送られる合図を読み違わずに受け取る厨房。二人の連携が成せる業だ。
「のう、ライルよ 貴様は私の話を理解しておるのか?
屋敷を追い出されようとしているのだぞ…? なんだか全然効いてないな!?」
「父上…… 私は自身の置かれた状況を理解しております
なればこそ、この食事が親子で囲う最後の晩餐かと存じます
この先、家族の姿を思い返す時があれば俺は…いえ、私は笑顔が見たい
ユリウスをご覧下さい この幸せそうな食べっぷりを! 飲みっぷりを!」
そこには一心不乱に汁を飛ばしながら麺を啜る次男の姿があった。
口の中が熱くなったのか、クリームソーダに乗ったアイスを一口頬張り
コーヒーで流し込む。口直しの枝豆を摘み、また麺に戻り汁を飛ばす。
兄弟の幼い頃に母は死んだ。誰が悪いわけではない、病死だった。
兄は弟に寂しい思いをさせないよう、母の代わりを務めようと頑張った。
生まれつき髪や瞳の色は母と同じであり、端正な目鼻立ちに細長い手足のせいで
学生時代は女性に見間違われる事も多かった。ライルは母に似ていた。
そしてライルは目の前に置かれたモツ煮込みを取り皿に分け、弟に振る舞った。
母は強い女性だった。平民の身でありながら領主に対して
物怖じすることな忌憚なき意見を言える、そんな人だった。
父はライルを見るのが辛かった。生涯で唯一愛した女性を思い出すからだ。
そばに置いておかずに済む口実は何かないか、そんな事を考えているうちに
憎しみの感情を抱くようになり、息子たちの成長と共にそれは増していった。
父には焼き鳥、兄にはトマト。プリンはまだ出来ていない。
男は自分を恥じた。悲しみと向き合わずに済む方法を欲しがったばかりに
守らねばならない存在に母親の役割を押しつけ、あまつさえ憎んでいたのだ。
傲慢で浅慮な父親の言動にライルはどれだけの我慢をしてきたのだろう。
ユリウスのこの笑顔を守る為にどれだけの自己犠牲を払ってきたのだろう。
自らが作り上げた親子の溝を今からでも埋め合わせる事ができるだろうか。
追放を撤回したところで赦されることはないだろう。それでも謝るべきだろう。
「私は今までお前に……」
ライルは食べかけのトマトを皿に置き、手の平を見せて父の謝辞を遮った。
「父上、私は貴方を恨んでなどおりません
寧ろシュヴァルツラング家の重責から解放して頂き、感謝致しております」
「──えっ?」
予想外の言葉に父は面食らい、今しがた届けられた熱燗を煽った。
「屋敷を去った後は冒険者として生きようと思います
戦う力があるのならば、それを活かさない手はありません
最近は貴族出身の冒険者も増えているそうですよ」
淡々とした口調のライルは店員に声を掛け、最後の注文を頼んだ。
「なので父上が負い目を感じる必要はありません
私は自らの意志で屋敷を出て行くのです
心配には及びません これでも魔術学園の次席卒業者です
無茶な戦いは致しません 引き際は心得ております」
父は頬の内側に焼き鳥の串が刺さり、涙を堪える事ができなかった。
その姿を見てライルは器用に箸を使い、串から肉を外して皿に乗せた。
「ユリウス、お前は来年で学園を卒業して成人するよな?
これまでは俺が面倒を見てきたけど、これからは一人の男として
父上のような立派な領主になれるように頑張るんだぞ」
「はい兄上! 頑張ります! 任せてください!」
その時、デザートと共に最後のメニューが到着した。
「父上、これをどうぞ
ユリウス、まだ飲めるな?」
彼らはそれぞれコップを手に取り、クリームソーダで乾杯した。
領主:調べたら名前はアルベルトさんだそうです
長男ライル:社交性の高い方だなと思いました
次男ユリウス:よくお友達を連れて来店する常連さんになりました
十子メモ
この世界に来て間もない頃、冒険者パーティーに同行したことがありますが
戦えない能力のせいで迷惑をかけてしまいました