2. 唐突に推しのジャンルを知られると
そして迎えたゴールデンウイーク、四月二十九日の午前十時。
俺は最寄り駅の正面に並んでいる自動販売機の前で、片瀬を待っていた。
駅舎自体はかなり古く、耐震補強とか大丈夫なんだろうかと心配になるが、街路だけでなくアスファルトの間からも草花が多く見えるためか、窮屈な感じはしない。
もう少し海沿いへ行けば海鳥が線路にいたり、車両が一つだけの路線もあったりするので、それを目的に首都圏から足を運ぶ人も多いらしい。
そんなことを考えていた時、到着した片瀬が俺に声をかけた。
「ごめん、待った?」
シンプルなスカイブルーのワンピースにデニムジャケット、それに合わせた淡いライトグレーのソックスとパンプス姿。
サイズに余裕があるせいか、柔らかな印象があり、俺と同じく誰かと待ち合わせをしているのであろう男子達が色めき立つ。
それは女子も同じで、改めて片瀬は目を引く存在なんだと実感してしまった。
「い、いや、大丈夫。……なんか、ふわっとしてるんだな、今日」
「え? ああ」
片瀬は俺の正面に立ちつつ、自身を顧みる。
「きゅっとするやつ、苦手なんだ。ラフな方が楽だから」
「あー、俺も首元が締まるのは、そうかも」
「冬場はそうも言っていられないけど。タートルネックのセーターとか、マフラーとか」
冬という単語に俺は反応し、重いため息を吐いた。
「長靴とか、手袋とかな……。必要なんだけど、汗で気持ち悪いし、嫌なんだよ……」
「スカートも不便だし。足場悪いし」
二人で愚痴を言い合い、もう一度、ため息を吐く。
「で、集まってはみたものの、どこか行きたいところでもあるのか?」
「え? あー、うん。聞きたいことがあって、呼んだんだけど……」
片瀬は言葉尻を濁した後、涼し気な表情で言った。
「行きたい場所とかは、考えてなかった。てきとーでいいかって」
「呼び出しておいて、無計画なのか……。まあ、いいけど。でも、そうなら」
「?」
「少し離れてるけど、本屋へ行かないか? 欲しいのがあって」
「いいよ。文句言える立場でもないし。……電車乗って、街へ出る?」
俺は首を横に振り、バス停を指差した。
「郊外になるけど」
「うん」
俺は片瀬の反応を確認し、歩き出す。
おそらく、ゴールデンウイークに計画を立てて行くような場所は人だらけだろうし、多少距離があっても地元民しか知らないような店へ行く方がいいだろう。
「片瀬も、人込みとか苦手そうだしな?」
俺はそんなことを言いながら、市街地とは反対側へ向う路線バスのステップに足を乗せた。
何とか話せてはいるものの、今ってどういう状況なんだろう? という内心の激しい動揺を一生懸命隠しながら。
「へえ、結構大きな本屋だね」
そして、辿り着いた場所に立つ店舗を見た片瀬は、少し驚いた口調で言った。
本屋自体はチェーン店だが、土地を自由に使える利点を活かして建設されており、扱っているジャンルも幅広く、何より敷地面積が冗談抜きで、でかい。
軽食を楽しめるカフェや、家族連れのための託児所もあり、本に用事のない人でも楽しめる工夫が随所になされているのだ。
「よく来るの? ここ」
「買うだけならネットでもいいんだけど、適当にウロウロしたいって時とかには。……とはいっても今日は欲しい本が優先だけどな」
俺はそう言って、店内へ入る。
平屋ながら、高めの天井と広い店内にたくさんの本棚が並び、来るたびにラインナップが変わるトップセールスの本が横積みで置かれていた。
そして隣でキョロキョロしていた片瀬が問いを口にする。
「で、何を買いに来たの?」
「ん、あっち」
俺は片瀬の前を歩き、ライトノベルのコーナーへ行く。
コンテンツとしては男子向けなので、恥ずかしさというか申し訳なさというか、そういう感情はあったが、変に隠す方が彼女は怒るんじゃないかと思い、俺は店内を進んだ。
スマートフォンにメモしてあったタイトルを見て、三冊の新刊を確保する。
ちらり、と横に立っていた片瀬の様子を覗き見ると、馴染みのないジャンルに興味を示したのか、あれこれと本を手に取って見ているようだった。
「なんか、新鮮。たくさんあるんだね?」
「実際、追いかけるのは大変だしな。今日買うのは全部、小絵の推しなんだけど」
「小絵ちゃんの?」
「ああ。映画原作とか、単体でもイケるとか、いろいろ」
「小絵ちゃんも、ライトノベル好きなんだ?」
「ドラマでも、映画でも、アニメでも、なんでも。すぐ、『最高です! 推せます!』ってリスト寄越してくる」
片瀬は、ひょいと俺のスマートフォンを覗き込み、「リストって、これ?」と問う。
鼻孔をくすぐる香水と突然の接近に、俺は少しドギマギしつつ、答えた。
「あ、ああ。まあ、その辺りの詳しい話は後でするよ。とりあえず、会計してきてもいいか?」
頷いた片瀬が視線を泳がせていたので、俺は併設されているカフェを指差す。
「あそこで適当に何か買って、待っててくれ。すぐ行くから」
「ん」
彼女は頷き、俺達は一旦、別行動となる。
レジに並び、手元のライトノベルの表紙を見ていると、今更だが気恥ずかしい感情が湧き上がって来てしまう。
小絵のように、そのジャンルに理解があるならともかく、片瀬にそれはない。
その住み分けには、もう少し気を使った方がよかったのだろうか……?
「ううん、違うな……。俺はただ」
手に持ったライトノベルの表紙とあらすじを見やる。
「片瀬に好みを知られるのが恥ずかしかっただけ……なんだろうな……」
そんな自分の気持ちを理解すると、つい情けない気持ちになってしまう。
今日だって誘われるがまま来てしまったものの、まだ状況が掴めない。
片瀬には目的があるみたいだったし、小絵や征士と三人で出掛ける時のノリで何とか振舞っているが、いざ二人で行動すると感覚がまるで違う。
「大丈夫なのかな……? こんなので……」
思わず気分が落ち込みそうになったが、会計を済まし、一旦強引にそれを押し流す。
そしてカフェへ移動すると街路に面した大窓の近く、陽光の差し込む席で、片瀬はコーヒーを飲みながら俺を待っていた。
周囲には観葉植物が並び、ガラスを隔てた街路には、ポプラの樹と青い空が見られる。
絵画のような光景に俺は息を飲むが、すぐに手で頬を打ち、意識を現実へ引き戻す。
「本、買えた?」
「あ、ああ」
俺は対面の席に座りながら頷き、少しこわばっている片瀬の表情を見て、苦笑してしまう。
「ブルーマウンテン?」
「苦い」
「なら、飲まなきゃいいのに」
「そうなんだけど」
ぼやきながらも、片瀬は渋い顔でコーヒーを口へ運ぶ。
苦みや味自体はあまり好きじゃないけど、口に合うから……だったか。
難儀な癖だと思うが、趣味趣向に関しては俺も偉そうなことを言えないので、口を閉ざす。
「それで? リストって?」
「ん?」
一息ついたらしい片瀬がカップをテーブルへ置き、問う。
「小絵ちゃんの話」
「あ、ああ」
俺はポケットからスマートフォンを取り出し、答えた。
「論より証拠だ。動画なんだけど、見てもらっていいか?」
「え、うん」
彼女が頷き、俺は登録していたチャンネルの中から、三分ほどで終わる動画を選ぶ。
迷惑にならないようボリュームを絞った後、それを片瀬へ渡した。
画面に格闘ゲームの対戦動画が表示され、それに被さる形で女の子の声が流れ始める。
「この声、小絵ちゃん?」
「少し、加工してるけど」
「ふうん?」
画面の下に小絵の語りがテロップとして表示されているから、内容が伝わらないということはないだろうと俺は思いつつ、三分が過ぎた。
見終えた片瀬は不思議……というより不可解そうな表情だ。
「なんかこれ、後ろの画面と喋ってること、全然関係ないよね?」
その顔が面白くて俺は笑ってしまったが、片瀬は不服だったらしく、若干唇を尖らせた。
「メインは小絵の喋りで、後ろで流れてる俺の格ゲー動画は飾り。……語りとテロップだけだと目が寂しいから、賑やかしだ」
「小絵ちゃん、ずっとアクション映画のこと喋ってた」
「そ。小絵のやりたいは、『推しの良さを知ってもらうこと』だから。動画を観てくれた人へ面白いを伝えるために、感動したものなら何でもネタにしてる。例えば……」
俺はさっき買ったライトノベルを手に持ち、左右に振って見せる。
「これとか。まあ、小絵の推しに外れはないから、俺もつい買っちゃうんだけど」
「へぇ、いろいろやってるんだね」
「俺のガチャ動画流した時とか、コメント欄で反応してくれる人もいたりして」
「反応?」
当時のことを思い出し、表情が渋くなっているのを自覚しつつ、俺は続けた。
「『後ろのガチャ渋すぎね?』、『草も生えないレベルで出てねーぞ。喋りに集中できん』って」
「……普段、そんなに出ないの?」
「自分で言うと悲しくなるレベルで。小絵は小絵で、『わたしのトークよりウケてどうするんですか!? 本末転倒です!』って、怒るし。こっちはバイト代全額つぎ込んでのに……」
「う、ううん……?」
リアクションに困ったらしい片瀬は曖昧に唸り、やがて何かに気付いた様子で頷く。
「でも、そっか。だから、身バレするような動画じゃないって、史也は言ったんだ?」
「ああ。今のは三分ほどの動画だったけど、後ろの画面で誰が何回勝ったとか、そもそもどっちが俺だったかなんて覚えてないだろ?」
「うん、テロップばっかり見て、全然。あくまでメインは小絵ちゃんのトークなんだ?」
「でも、気を付けるに越したことはないし、片瀬が嫌だったらやる必要はないぞ。何が火種になるかなんて分からないから、個人的に一番安心なのはやらないことだと思ってるし」
俺の言葉に何を思ったのか片瀬は一度、ブルーマウンテンを口へ運んだ後、小さく優しい笑みを見せた。
「……心配してくれたんだ?」
それにどう答えようか内心でかなり悩んだが、何とか俺は言葉をひねり出す。
「小絵も、気を付けて欲しい。やるなとは言えないけど」
片瀬は、「くすっ」と悪戯っぽく笑う。
「お兄ちゃんみたいなこと言ってる」
「やめてくれ、寒気がする」
俺は心底震え上がったのだが、一方の片瀬は嬉しそうに、また笑った。