20話 その美しき炎の薔薇よ
この日をどれだけ待ちわびただろう。
あの瞬間から今日まで、私の怒りは決して静まることはなく、日を追う毎に大きくなった。目を閉じればあの光景は今でもはっきりと瞼に浮かぶ。あの魔神が母の命を奪い取った。
その日はいつも通りの魔物の討伐のはずだった。炎魔術師となったばかりの私は、ようやく戦闘にも徐々に慣れ始め、数体の魔物を問題なく倒していた。いざ砦へと帰ろうとした時、突然地鳴りのような音が響いた。
クンビラの大群を引き連れた魔神が襲撃してきた。私たちは慌てて迎撃体制取った。しかしその女の姿をした魔神は、大きな鉄球型のハンマーを振り回し、魔法を悉く弾き返した。その圧倒的な強さに我が軍はあっという間に壊滅状態。残る味方の数も僅かとなった。
魔力が尽き、倒れている私に迫り来る鉄球は血で赤く染まっていた。周りはすでに魔物や人の亡骸で死屍累々の有様だった。誰かが私の体をぐいっと引っ張り上げ、血濡れの鉄球が私の鼻先を掠めた。
「ドゥパしっかり! まだ動ける!?」
「母さん……もう魔力が……体に力が入らない」
片手で私を抱き上げる母も全身傷だらけだった。左腕は折れているのかだらりと垂れ下がっている。私を抱えたまま魔神から距離を取るように後方へと大きく飛んだ。
「誰かこの子をお願いっ! 私がここで食い止める! 全軍退却!」
「ダメ! 母さんも逃げて! もうその体じゃ――」
言葉の続きを遮るように母は片手で私を力強く抱きしめた。そして私の額にそっと口づけし、優しい微笑みをその顔に浮かべた。
「心配要らないわドゥパちゃん。あなたを守るのは私の当然の務めなのよ。帰ったら二人で甘いものでも食べましょう」
ようやく数人の兵士が私達の元へと急ぎ駆け付ける。立っているのがやっとの私はトケッタに載せられた。一人の兵士が母の傷に治癒ポーションを掛けながら言った。
「ひどい傷ですリンガ様! お早く退避を!」
「殿は私がやります。大魔法を打つから出来る限り離れてちょうだい」
「し、しかしっ!」
「命令です! ドゥパの事頼んだわよ」
その時の母の顔は何かを決心していたかのようだった。全身に炎を纏い、魔物の大群のど真ん中へと突っ込んで行った。
「いやぁぁぁ!!! 母さーん!!!」
私は手を伸ばし必死に叫んだ。母は一度だけ振り返るとまた私に笑いかけ、何かを伝えようと口を開いた。その瞬間、辺りは静まり返り、時間が止まっているかのように見えた。そして届くはずのない母の声が私の耳にはっきりと聞こえた。
――愛してるわドゥパ
ドォーンという激しい爆音と共に止まっていた時間が一斉に動き出す。王国唯一の爆炎魔術師である母の魔法は強く、そして美しかった。
「百花繚乱花吹雪」
数多の炎の薔薇が渦巻くように咲き乱れ、そして無数の炎が花びらのように舞い踊り魔物を次々に燃やし尽くす。私は思わずその光景に目を奪われた。
流石の魔神もその業火を全て弾く事は出来なかった。じわりじわりと炎に焼かれ始める。母は右腕一本だけに魔力を込めとどめの一撃を放った。特大の炎が魔神に迫る。
だがその時、生き残っていたクンビラ達が盾になるように魔神を覆い尽くした。激しく吹き上がった火柱がその塊を焼き尽くす。炎がゆっくり消え去ると、黒焦げになったクンビラがぼとりぼとりと落ちてきた。それを払いのけながら魔神が灰の中から這い出してきた。
母の炎は魔神に届かなかった。
肩で息をしながら立ち尽くす母に魔神の鉄球が容赦なく横薙ぎに振り払われた。鈍い音と共に母の体は宙を舞った。
私は怒りで目の前が真っ赤に染まるのがわかった。抑えつけられていた体がぶるぶると震える。あの女の魔神は必ずや私の手で……そこで私の記憶は途絶えた。
それから数日間、私はずっと眠り続けた。目が覚めても暫くは、母がいない現実が受け入れらずにいた。
ある日、私は当時の女王、アルザイラ様から登城の命を受けた。生まれてすぐに父も戦死していた為、母なき今、この西ロンガの領主は必然的に私が務めなければならなかった。
「此度のリンガ殿の件、誠に残念であった。彼女の最期を其方の口から聞かせてくれないか」
私は陛下に母の最期を伝えた。陛下と母は幼き頃からとても仲良くしていたと聞く。彼女は終始、目に涙を浮かべ私の話を聞いていた。
その日から私は西ロンガの領主として、そしてあの時誓った魔神への復讐を成し遂げる為、がむしゃらに魔法の訓練を始めた。
だが私の魔力量は母には遠く及ばない。あの魔神にいかにして勝つか。それだけを考え技術をとことん磨き上げた。
訓練や魔物の討伐に全精力を注ぐ為、いつしか普段の生活ではまるで気が抜けたようにのんびり過ごすようになっていた。今の夫であるラハールも私の裏と表を初めて知った時はたいそう驚いていたものだ。
そして私もかわいい我が子を授かった。天使のように笑うアピを見ていると、あの時、母が言った言葉の意味がよくわかる。この子を守るため為、私はもっと強くならないといけない。
アピを出産してすぐ、私は訓練を再開した。そんな私をラハールはいつも心配そうに見ていた。
「まだ体を動かすのは入んじゃないか?」
「ダメよ。あの魔神がまたいつ襲ってくるかわからない。一日でも早く母さんのような魔法を打てるようにならなくちゃ」
「うーん。だがあの魔法は爆炎魔法級だぞ? おれでもあれは打てない。ましてや君の魔力量では……」
ラハールの言う通りだった。最初にあの大魔法を使おうとした時、その工程の半分も私には構築出来なかった。でも私は諦めなかった。
母さんみたいに強い魔法じゃなくていい。美しくなくてもいい。不格好でもあの魔法だけはなんとしても打てるようになりたかった。
毎日毎日訓練を重ね、完成とは呼べないけど最後まで魔法の構築が出来るようになった。でも実践で使えるにはまだ程遠い。
子育てをしながらも私は訓練を欠かす事はなかった。幸いな事に、私と違って二人の娘の魔力量は非常に多い。私が苦労しているこの大魔法だって簡単に打てるようになるだろう。
「やっぱり母である私が打てるようにならなきゃね」
母から受け継いだ魔法を我が子へと伝える。そんな希望も私の糧となった。
あれから二十年。私から母を奪ったあの魔神が今まさに目の前にいる。周りに多くのクンビラを従え不敵な笑みでこちらを見ていた。それはまさにあの時の光景と酷似していた。
見ていて母さん。あなたの魔法ほど美しくはないけど、この魔法に込める想いだけは決して誰にも負けない。
だって母さんが最期に残してくれた大切な私への愛だから。
今日までずっと積み重ねてきたもの全てを両手に込める。迷いや恐れはなにもない。何も考えずとも自然と体が魔力を操っていた。
見据えるのはあの魔神のみ。私の全てを懸けてあいつを倒す――
「百花繚乱花吹雪!!」
その時、激しく燃える炎の薔薇が辺り一面に咲き誇った。




