16話 決死の逃走
僕のすぐ真横で魔神ドゥルバザはすでに杖を構えていた。
「仕掛けてきます! すぐに防御を!」
ジャイランが僕の背中からすっと中に入ってくる。それとほぼ同時に僕は両手を突き出し魔法を唱えた。
「水影!」
僕の目の前に丸い水鏡が現れる。宵闇に浮かぶドゥルバザの姿がその鏡に映る。
「ほう、魔法反射かおもしろい。だが雷魔法は防げるかの? 雷黒」
至近距離で放たれた黒い稲妻が鏡を割った。完全に跳ね返す事ができず、体を電流が駆け巡る。
「うぅっ!」
パンバルから落ちそうになりながらもなんとか堪えた。跳ね返った魔法を避けたのか、ドゥルバザに僅かな隙が生まれた。僕はパンバルの背中にしがみついた。
「頼む! パンバル!」
体を左右にくねらながらパンバルが走り出す。黒い稲妻が次々と後ろから飛んできた。僕は魔法反射でなんとかそれを逸らしながらパンバルを誘導した。
「追いつかれそうです! 攻撃して足止めをラウタン!」
ジャイランの声を聞き。僕は後ろを向いて魔法を放った。
「水竜の息吹!」
伸ばした手のひらから流水が渦を巻きながらドゥルバザへと飛んでいく。相手もすかさず雷魔法を打ち返した。稲妻が流水の渦を消し去りそのまま僕の頬を掠めた。
「やはり相性が最悪ですね。逃げに徹しますよ」
ジャイランの言葉を受け、僕は進行方向に水の道を作った。
「水蛇の道」
道しるべのように流水がすーっと伸びていく。流れに乗ったパンバルが更に加速し、ドゥルバザを置き去りにした。
しかしその時、魔神アジュナが遠くの方から矢を放った。
「satupanah」
一本の矢がまるで闇夜に光の線を描くように、雷を迸らせながら一直線に飛んできた。
「水影!」
僕は特大の水鏡を作り衝撃に備えた。だが先程同様、雷の矢を防ぐのは厳しいかもしれない。僕がそう思った時、突然パンバルが僕の体を抱くように内側に抱え込むと、くるんと丸くなった。
雷の矢が水鏡を貫き粉々にすると、その勢いのままパンバルへと突き刺さった。
「ウェギャァァー!」
パンバルは衝撃で前方へと吹き飛ばされた。その瞬間、丸めていた体が大きく仰け反り、その反動で僕の体は宙に投げ出された。
「パンバルっ!!」
差し伸ばした手が空を切り、僕はそのまま地面へと叩きつけられバチャバチャと抜かるんだ大地を転がった。
パンバルは体中のあちこちから血を流し突っ伏し倒れている。僕は急いで駆け寄った。背中は焼け爛れたように焦げ、プスプスと煙を上げている。よく見ると前脚が一本引き千切れていた。
それを見た瞬間、僕の奥底で何かが蠢いた。
そいつは目を光らせ牙を剥き、唸り声を上げている。
怒り、狂え――
その唸り声は僕にはいつしかそう聞こえていた。
そこへ後を追って来ていたドゥルバザが笑みを浮かべながら近づいてきた。
「ようやく追いついたわい。まったく素早いイモリじゃ。じゃがもう終わりじゃ観念せい。超放電」
ドゥルバザが杖を振ると電気の波が絡み合うように巨大な球を作り出した。
見るからに強力な魔法だ。防ぎ切るのは無理かもしれない。
そんな窮地に追い込まれながらも、僕は静かにそれを見ていた。
そして僕はゆっくりと手をかざし、体の奥にいる何かを解き放った。
「水虎」
僕の手から放出された水が渦巻きうねり始める。そしてそれはやがて一頭の水の虎となった。
水虎が牙を剥き出しにして巨大な雷球へと飛び掛かった。そしてたった一噛みでそれを砕き割った。驚愕の顔を浮かべるドゥルバザ。同時にジャイランの声が響いた。
「ラウタン! その魔法はまだあなたには制御できません! きっと魔力もすぐに枯れてしう! 今すぐ魔法を解いて!」
僕の頭の中は凪いでいるようにすごく冷静だった。でも心は怒りで沸き立っていた。
僕はドゥルバザをぎろりと睨むと、かざした手をすっと奴の方へと向けた。水虎は瞬時にドゥルバザへと迫ると鉤爪で引き裂くように飛び掛った。
ドゥルバザは残像を残しながら後ろへと飛び退いた。だがその刹那、胸を大きく切り裂かれ血飛沫があがった。
「ヌグォオオー!」
血塗れになりながら片膝を突くドゥルバザ。さらなる追撃しようとした時、再び魔神アジュナの矢が飛んできた。
僕がその矢に目をやると水虎はくるりと向きを変え前脚でそれを打ち落とした。
二の矢三の矢も全て打ち落としながら水虎がアジュナに迫る。咆哮をあげ飛び掛るとアジュラは弓でそれを受け止めた。激しい衝突音があたりに響き渡る。
次から次へと繰り出される水虎の攻撃にアジュナは防戦一方となる。徐々に水虎が押し始めアジェラの首元へ噛み付こうとした時、体の力が急速に抜け始めた。
「ラウタンしっかり!」
ジャイランが僕の中から抜け出し倒れ掛かった体を支えた。すでに水虎は水へと化して、その姿は消滅していた。
遂に僕は立ってる事も出来なくなりパンバルの上に折り重なるように倒れた。
それを好機とばかりにアジェラが天に向かって弓を構え弦を引いた。
「|ribuanhalili」
僕は指一本動かす力もなくなりパンバルにもたれ掛かるように空を仰ぐ。
幾千もの雷の矢が天から降り注いでくるのが見えた。
あぁごめんパンバル。君まで巻き添えにしてしまった……
ジャイランが必死になにか叫んでいる。でもその声も遠くに聞こえ始めた。
僕がゆっくり目を閉じたその時。瀕死のはずのパンバルが一声鳴き声をあげると僕の体を咥えて走り出した。
よろめきながらも雨のように降る矢を掻い潜り、滑るように湿原を走っていく。
けれど無理をしているのかその体からは血が吹き出している。
「もういいパンバル! 僕を捨てて逃げろ!」
でもパンバルは走るのを止めなかった。千切れた脚を庇おうともせず、ひたすら前へと進んだ。やがて目の前に大きな河が現れると迷うことなく飛び込んだ。
視界が真っ暗になりゴボゴボと水の音が聞こえる。パンバルは尻尾を大きく揺らしながら水の奥底へと潜っていく。
薄れゆく意識の中でジャイランの声が微かに聞こえた。
「泡沫」
透明な水の膜が僕の顔を優しく包み込んだ。




