12話 青か、赤か
影の穴が消えた後のダンジョン内は悪夢のような光景だった。魔物の死体に兵士達の亡骸。焼け焦げた臭いや血の臭いが辺りに充満していた。
おれは追尾魔法を探知しつつ先程の魔法についてリリアイラに訊いた。
「さっきの影みたいなのはなんの魔法なんだ?」
「あれはクリシャンダラの暗黒魔法だ。ダンジョン内なら好きな場所に魔物を送り込める転移魔法の一種だ」
「なぜ女王を攫ったんだ?」
「わからん。生贄かもしくは別の理由があるのか……」
おれ達の話を聞いていたアピの顔色が段々悪くなっていた。目に僅かに涙を浮かべながら聞こえないくらいの声で言った。
「……姫様はどうなるの?」
「さっきも姫様って叫んでたが、それはジェリミス女王の事か?」
「うん。昔は姫様って呼んでたから……」
どうやら女王とアピは小さい頃から仲が良かったようだ。人前では先程のように堅苦しく振る舞うが、二人の時は今でも昔のようにふざけ合うのだとか。
アピの守護精霊ラダカンがなにやら言ったようだ。それを聞いてリリアイラがにやりと笑った。
「ほぉ、青の姫と赤の姫ねぇ。おまえもそんなかわいい二つ名があったんだな」
「もうラダカン! 余計な事言わないで! それより姫様が連れて行かれた場所はわかったの!?」
ようやくいつものアピに戻ったようだ。おれは追尾針の位置を探る。
「どうやら止まったようだな。場所は……五十階層あたりか?」
「転移できそう? ドゥーカ兄」
「ああ、追尾針を埋め込んでいるから問題ない。じゃあ行っ――」
「私も行くっ!」
リリアイラがすぐさまそれを制した。
「ダメだ。長距離の転移はドゥーカ以外は負担がでかい。特におまえはまだ体が出来てない」
リリアイラが止めるのには理由があった。大転移魔法では『深淵なる狭間』という空間を通る。その空間では普通の人間は命が削られるという。おれは特殊で大丈夫らしいのだが……詳し話はまだ聞いた事がない。
「でもっ!」
アピは必死に食い下がった。おれは彼女の両肩を掴んで言った。
「アピ。おれに任せてくれ。女王は必ず助ける。ただ帰りは転移魔法で女王は連れて帰れない。アピとセナンは途中で合流できるよう出来るだけ下に進んでくれ」
「わかったわ。なにかあればヴァダイにすぐに伝えて」
おれの言葉にセナンが答えた。まだ不満気なアピにリリアイラが言った。
「女王の様子は対の線でラダカンがすぐわかる。大人しく言う事を聞いとけ」
「わかった……絶対姫様を助けてよね!」
ぷくっと頬を膨らますアピの頭をおれは撫でてやった。
「じゃあ行ってくる! 大転移」
目の前に青い光が広がる。体が闇の中へと吸い込まれた。
深淵なる狭間を抜け、おれは五十階層へと着くと追尾針の方角へと移動した。
するとなにやら男が叫ぶ声が聞こえてくる。岩陰から覗くとあの王国軍の将校が杖を突いた白髪白髭の男に詰め寄っていた。
「おれは言われた通り女王を指定の場所まで誘導したぞ! なぜこんな所へ連れてきた!? 早く解放してくれ!」
「煩わしい奴じゃ。おまえは消せと将軍から頼まれてな」
「そ、そんなっ! おれは次期将軍の地位がもらえると――」
「愚かなり。もういい、黙っとれ」
白髪の男が杖を振ると、将校の体は紫色にみるみる変色していった。やがて胸を掻き毟り苦しみだすと、のた打ち回りながら泡を吹き息絶えた。それを見ていたリリアイラが驚いた様子でおれに言った。
「あれは魔神ドゥルバザだ。魔法だけじゃなく呪術も使うぞ」
「魔神? あいつ言葉を喋ってたぞ?」
「ドゥルバザは人の言葉が理解できる。そうかあいつが陰で糸引いてたか。やっかいだな……」
リリアイラの顔が僅かに曇った。おれは改めてドゥルバザを見たが、魔神とはいえ見た目は人間と変わらない。
「ひとまず先に攻撃するか?」
「いや待て。女王の安否が先だ。追尾針の位置はまだ先の方か?」
「それが探知した場所はまさにあいつが立っているとこだ」
おれがそう言った瞬間、ドゥルバザが笑い声を上げた。
「探しているのはこれかの?」
奴が指先に持っていたのは紛れもなく追尾針だった。術師にしか見えないはずの物をドゥルバザは手にしていた。
「これは確か……空間魔法の一つじゃな? もしかしてそこに隠れているのはリリアイラか?」
その言葉を聞いてリリアイラが岩陰から歩み出る。おれもその後に続いた。
「けっ! どうせ端っからわかってたんだろ? 相変わらず陰険なやつだ」
「久しいなリリアイラ! てっきりもう精霊世界から出てこないと思っておったぞ。あんな目に遭ってまだ懲りてないのか?」
「うるせえ。今すぐ消されてえか?」
ドゥルバザは呆れたように両手を上げ笑った。
「短気なのは変わってないのぉ。そいつが新しい宿主か?」
おれにちらりと目をやるとドゥルバザは不敵な笑みを浮かべた。おれは僅かに身構える。
「女王はどこだ?」
「まったく、名も名乗らんとは。お主もリリアイラに似て気が短いらしい。女王なら目の前におるではないか。ほれ」
ドゥルバザが杖で地面を叩くとおれ達の目の前に女王がすーっと現れた。彼女は眠ったように目を閉じ、横になった状態で宙に浮いていた。おれが慌てて彼女を抱きかかえようとするのをリリアイラが止めた。
「待てドゥーカ! きっとなんかある……てめぇ一体何をした?」
「ほっほ、少しは成長したようじゃのぉリリアイラ。その女にはもうすでに呪いを掛けておるよ」
よく見ると女王の体には術式のような文字が刻まれていた。その文字は這いずるようにゆっくりと体中を動き回っていた。それを見てリリアイラが舌打ちをした。
「ちっ、なんの呪いだ? そもそもてめぇがなぜ女王を狙う?」
「この娘の血筋は不思議な魔法を使いよってなぁ。クリシャンダラから殺すよう言われたんじゃ。母親は殺したんじゃがこっちの娘は消すには惜しくてのぉ。儂の妻にしようと思って魔人になる術を仕込んだ。直に魔人へと生まれ変わるぞ」
「じゃあ術者を殺るしかねえな! 行くぞドゥーカ!」
リリアイラがおれの背中から中へと入ってきた。おれは間髪入れずに魔法を放つ。
「弾けろ!」
ドゥルバザの周りに透明な球体が次々に浮かび上がり連鎖爆発を起こす。だが残像を残しドゥルバザは後ろへと滑るように飛び退いた。
「おっと、速いのぉ。じゃが儂を殺しても呪いは解けんぞ。その術式には特別な供物を使っとるからの。来いカーリヤ!」
ドゥルバザが叫ぶと地面から魔神カーリヤがぬぅっと姿を現した。その刹那、左腕の赤い大蛇が炎を吹いた。
「歪め!」
迫る炎の軌道に合わせおれは手をかざし空間を曲げた。炎が真横を掠め壁に大穴を開ける。砕け散った岩からはシューシューと音を立て紫色の水蒸気が立ち昇っていた。
「あいつの攻撃は全て猛毒を含んでいる! 当たるなよ!」
リリアイラの言葉が頭の中で聞こえる。おれはそれを聞き、カーリヤとの距離を取るとすぐさま魔法を放った。
「弾けろ!」
不可視の球体はカーリヤが避ける間も与えず次々と爆発を起こす。魔神は膝を突き呻きながら体中から血を噴き出していた。
「おいおい、そいつを殺すと女王も死んでしまうぞ」
ドゥルバザが呆れたように笑いながら言った。それを聞いてリリアイラが思わず叫んだ。
「まさかジャガンナートの呪いかっ!?」
「ジャガンナートの呪い!?」
「自分を犠牲にして他者に悪霊を宿らせる呪術だ。かなり強力な術式のはずだ」
おれの言葉が聞こえたのだろう。ドゥルバザが驚いた表情で言った。
「ほう、ジャガンナートの呪いを知っておったか。その魔神はクリシャンダラに心酔しとるからのぉ。なんでも言う事を聞きよるんじゃ」
その時カーリヤが咆哮を上げ立ち上がった。今度は右の青い大蛇が巨大な水弾を飛ばしてきた。
「密閉!」
光の壁を展開し水弾を囲うように四角の箱を作る。毒を含んだ水弾が光の壁に阻まれ箱の中で弾けた。毒が広範囲に拡散されると女王に当たる。おれは宙に浮かんだままの彼女から離れるように移動した。
「どうするリリアイラ!? 解呪の方法はないのかっ!?」
「ちょっと待て! 今ババアに聞いてる!」
リリアイラは対の線で誰かと交信しているのだろう。なにやらぶつぶつと喋っていた。すると突然、ドゥルバザがおれ達に声高な声で話した。
「一つだけ解き方を教えてやろう。カーリヤの腕の蛇を片方だけ切り落とせば術式は解ける」
「随分優しいな。それを信じる理由はないぞ」
おれが言い放つとドゥルバザは高笑いをした。
「はっはっは! ただの年寄りの戯れじゃ。解けぬとなったらどうせ殺すんじゃろ? 但し選択を間違えればすぐに女王は魔人化するぞ。青い蛇か赤い蛇か。さてどっちかのぉ」
「嘘じゃねぇみたいだな」
リリアイラの声が頭に響いた。おそらく似たような解呪方法を聞いたのだろう。ドゥルバザが言葉を続けた。
「正解は儂にもわからん。意識はなかったが女王自身に選ばせたからのぉ。好きな色でも選んだんじゃないかの」
ちらりと彼女の姿に目をやった。長く美しい青い髪がゆらゆらと揺れている。
ジェリミス女王は髪も瞳も青い。その時、リリアイラが言った。
「アピが女王が好きな色はきっと青だと言ってるみてえだぞ」
ラダカンが対の線で状況を見ていたのだろう。アピがそういうなら……
おれは右腕の青い蛇に照準を合わせる。腕だけを切るため転移魔法で接近した。
「転移」
一瞬でカーリヤの右横へと移動する。腕と青い蛇の境目を目で捉えた。
そして呪文を詠唱しようと口を開いたその時――アピを微笑みながら見ていた女王の姿が突然頭に浮かんだ。
「赤だっ! 赤い蛇を切り落とすぞリリアイラ!」
おれはカーリヤの赤い蛇に狙いを定めて魔法を放った。




