第59話、朱妃、光輝嬪と再会す。
「礼部尚書……!」
朱妃は仰け反った。朱妃は中原の政治体制に詳しくはない。詳しくはなくとも尚書となれば官僚の頂点かそれに次ぐ立場であることは容易に分かる。
ロプノールに言い換えれば国政を司る大臣の一人ということだ。
「えっと、礼部とは何を担当する部署なの?」
朱妃は雨雨に尋ねる。
「礼楽儀仗と祭祀、教育と科挙、それと諸外国との外交です。癸昭大人は実のところ少々特例ですね。朱妃様方をお迎えするためにあたり、使者の格を上げるために尚書とされたと」
礼儀や儀式の音楽にまで癸氏は造詣が深いのかと思ったが、そういう訳ではないようだ。
確かに彼女自身は使者の地位について気にしていなかったが、朱妃の父であるロプノールのホータン王や、光輝嬪の父であるシドゥルグ汗と交渉する際には立場というものが必要であったのだろう。
「なるほど。それだと本宮たちが後宮に入った以上、元の地位に戻されたりするのかしら?」
「それは……すいません。分かりかねます」
それはそうであろう。
しかも先代皇帝の実子にして当代皇帝の腹違いの兄であると言うのだ。通常の官僚の出世とは違う道を歩んでいるに違いなかった。
しかし、何はともあれ今は驚いている場合ではない。
朱妃は書状を丁寧にたたみ直した。
「光輝嬪の元へ向かわねばなりません。羅羅、本宮たちも食事を急ぎましょう。雨雨はまだ食べていて構いませんよ」
朱妃らは途中だった昼食の準備をし、食事を摂ってから外出着に着替えるなど準備をする。
内僕局の羣氏が配下を連れ、輿を持ってきたので、朱妃はそれに乗った。
「では行きましょう」
「是」
高位の后妃が外出するのであれば輿に乗るのは当然のことである。だがそれにしても目的地が近すぎてちょっと無駄だなあ。と朱妃は思う。
確かに紫微城は一つの町であるかのように広大である。だがその北半分の後宮は中央を南北に皇帝と皇后の宮によって分断されている。
東西を移動するのは確かに大変で、例えば筍嬪と楽嬪の住まう宮は東にあるため一度北の御花園に出てから向かわねばならない。
しかし同じ西にある光輝嬪の住まう禄寿宮は朱妃の住まう永福宮の北東。斜め裏にある宮であった。
「どう考えても歩いたほうが早いわよねー」
「きー」
文句ではない。誰に聞かせるでもない呟きであったが、肩の上のダーダーは同意するように小さく鳴いた。
光輝嬪の宮の周囲には身の丈より長い棒を持った宦官らが、多数配されていた。それは護衛のためでなく、罪人を監視するためであろう。
彼らは禄寿宮に近づく朱妃の一行を睨むように見た。
朱妃は袖の下より書状を取り出すと羣氏に手渡した。彼がそれを警備の宦官に示すと、警備の者たちがすぐさま移動し、道を譲る。
輿は門前まで進み、止まる。そこで朱妃は輿から降りて、羅羅と雨雨を従えて宮の中へと歩んだ。
高位の妃嬪の宮はどこも四合院であり、その造りは変わらない。中央に庭があり、四棟がそこに面していて門は南東。北が主人、この場合は妃嬪の住まいということになる。
ただ、朱妃の住まう永福宮より宮全体が小振りではある。しかし。
「なんと雅な……」
朱妃は感嘆の声を上げた。
四合院の院子、庭とは四棟を繋ぐ十字の道である。石畳の道とそうでない部分が芝となっているのは変わらないが、奥には百日紅の木がその名の通り紅色の花を咲かせ、手前には鶏頭の花が山型の棚に配されているのは、おそらくこの入り口から入った客と、正房の主人の部屋から見た時に最も美しい角度になるよう計算されているのだろう。
庭の中央付近には金魚の泳ぐ磁器の甕が涼しげであった。
宮の門を抜け、薄暗い小道を抜けたところに広がる庭。敢えて入り口を狭く暗くし、その先に美しい庭などを配する。これにより別世界、壺中之天を感じさせるのは瓏の庭園・建築文化である。
惜しむらくは正房の前に無骨な警備の者が立っていることか。
「ここより先、お付きの方々は入れません」
そう彼らは言うので、羅羅と雨雨はここで待ってもらうことにする。庭に瀟洒な机と椅子があるので、そこに座る許可を得た。
「では行ってらっしゃいませ」
「ええ」
羅羅がそう言って、ここまで運んできた荷物を朱妃に渡す。
朱妃は一人、正房の玄関に立った。
「入ってこいよ!」
どこからか見ているのか、嗄れた女の声が掛けられた。
光輝嬪のそれだ。どうやら元気ではあるらしい。
宮の他の棟には女官の姿も見えたが、この棟からは人払いがされているようだ。女官らの案内はない。応接室であろう一室の前に警備の宦官が立っているのが見え、そちらへと向かい入室した。
「よう、まさかあんたが真っ先に来るとは思ってなかったぜ、朱妃サマ」
光輝嬪は椅子に座ったままそう言った。朱妃を見上げる蒼の瞳は鋭いが、その頬は笑みを浮かべている。
「お邪魔いたします。そうですね、本宮もまさかいきなりこんなことになるとは思ってもいませんでした」
朱妃はそう答え、彼女を観察した。金の髪を結うこともなく流している。少し乱れているのは梳る女官も遠ざけられているからか。
だが縛られていたり枷を嵌められることもなく、少なくとも見えるところに外傷もないようだ。
朱妃はひとまず安堵した。
ξ˚⊿˚)ξ『朱太后秘録①』発売中です! よろしくおねがいします!





