第52話:朱妃、起床する。二
ξ˚⊿˚)ξ5章開始です。
書籍版2巻が出せるとしたらここからになるので、今話から少し前回までのまとめとか説明っぽいところが文中に入ると思います。
覚えていらっしゃると少々退屈かもしれませんがよろしくお願いします。
朱妃が目を覚ましたのは昨日と同じ寝室。左右には羅羅と雨雨が並んで寝ており、枕元には蜥蜴のダーダーの姿。
朱妃の身動ぎに合わせて目を醒ましたのか、舌をちろりと出して小さく鳴いた。
「きー」
朱妃はその背を指で撫でながら呟く。
「あの後、どうなったのかしら」
払暁の光が僅かに差し込む寝室に、朱妃の声がぽつりと響いた。
朱妃の記憶は浴槽の中で途切れている。風呂に入ったまま意識を失うように眠ったのは明らかであった。
そこからここまで自分で動いたとも羅羅や雨雨が運べたとも思えない。護衛の宦官を呼んだのかもしれないが、おそらくはあの聖君を名乗った赤の臉譜で顔を隠した男……、まあ十中八九、正体は癸昭であると彼女は考えているが、彼が運んでくれたのだろうか。
身体を触れば寝着をちゃんと着ているというわけではなく、裾などが乱れているのが分かる。寝ている者に衣を着せたとなれば仕方ないといえるが、これを癸氏に見られたのかもしれないと思うと、朝から頬が羞恥に熱くなった
ごそごそとはだけかけているところを直していれば、むにゃむにゃと羅羅が寝惚けた声をあげながら目を覚ました。
「おはようございますシュヘラさ……いえ朱妃様」
寝ぼけていたが故か、羅羅が身を起こしながら発せられた呼びかけの言葉は朱妃のかつての名であった。
シュヘラ・ロプノール。遥か西方のロプノール王国が瓏帝国の武威に折れ、疎んじられていた三の姫を朝貢の品々と共に差し出したのが彼女である。
武皇帝の後宮に入るにあたり、瓏帝国風に改名する必要があり、癸氏に名付けられた名が朱緋蘭、与えられた地位は第二位の妃。よってこの後宮では朱妃を名乗ることとなっているのである。
「おはようロウラ、いえ羅羅」
朱妃もわざと使用人である羅羅を本来の名であるロウラと呼んでみせた。
彼女もまた朱妃と同様にロプノールの生まれで、朱妃に唯一付き従って万里の彼方、瓏帝国にまでやってきた忠義の者であった。
「きー」
ダーダーが鳴く。黒い身体は闇に沈み、琥珀が如き両の目が朱妃を見上げる。
そういえばこの四寸ばかりなる小さき者も、朱妃の荷物に紛れてロプノールから瓏帝国までついてきたのであった。
彼は枕元に置かれている、昨日朱妃が手慰みに作った一寸もない三角形の帽子のところへとのそのそと歩き、それに首を突っ込むようにして頭の上に載せた。
「まあ、気に入ってくれたのかしら」
「宝物を自慢しているのでは」
ふふ、と二人で笑っていると、もぞもぞともう一人の人影も動き始めた。
「おはようございます、朱妃様、羅羅」
「ええ、おはよう雨雨」
「おはようございます、雨雨さん」
この中で雨雨のみが瓏人である。朱妃と羅羅がロプノール人の特徴である褐色の肌であるのに対し、彼女は瓏人の特徴である薄橙の肌色であった。彼女は元々官僚である癸氏付きの女官であったが、朱妃に従うよう指示を受けているのである。
そして朱妃に侍る女官はこの二人のみであった。
雨雨はぐっと猫のように伸びをするとするりと寝台から降りた。
彼女が帘幕を開けると、複雑な紋様を組み合わせた格子窓からまだ低い日差しが差し込み、部屋の様子が見えるようになる。
部屋の造りは帝国の妃に相応しい立派なものである。しかし寒々しいものであった。
それは家具や装飾品があまりにも少ないことに起因していた。
そう、なぜ三人が同じ寝台で寝ていたのか。
本来、主人たる朱妃と使用人の二人が同衾することなどあり得ないのだ。そもそも女主人と使用人では起居する建物すら違うものであるのだから。
それはこの宮に布団すらないからである。三人で身を寄せ合って、暖をとっていたのだ。
朱妃はここ瓏帝国の後宮でも疎んじられているのであった。
武甲皇帝の親征により、中間の四方の国家は各国の姫を帝国の後宮に嫁がせることとなった。
後宮の女たちには序列がある。彼女たちには本来、第三位の地位である嬪の位が与えられることとなっていた。
しかし朱妃は第二位の妃である。これは帝国までの旅の途中、癸氏に突然勅令として言い渡されたことであるが、それは朱妃にとっても、後宮の主人である辛商皇后殿下やそれに従う無数の宦官や女官らにとっても寝耳に水の話であった。
この状況は、突然の変更に宮の準備ができていないというのが彼らの言い分である。
しかしそんなはずはないのだ。
官僚である癸氏が後宮の差配をしたことに皇后や高位の宦官など、後宮を牛耳る誰かが不満を覚えたに違いないと朱妃は考えている。
実際、昨日の夜に朱妃は宦官らに襲われかけたのだから。
朱妃の身がぶるりと震えた。
「冷えましたか?」
羅羅が問う。朱妃は首を横に振り、立ち上がって窓ぎわへと向かう。
柘榴色の髪が日を透かし、燃えるように輝いた。
「大丈夫よ。さあ、今日も一日健やかに頑張りましょう」
「是」
「是」
二人の女官は拱手し、恭しく頭を下げた。