第44話:朱妃、風呂に入る。
朱妃が宮に戻ると、門の脇には番人がきちんと控えていた。
輿が近づくと彼らは拱手する。
雨雨が彼らに近づき二、三言葉を交わした。
これだけでもやはり違うものである。ちゃんとした宮に見える。そう朱妃は感じた。
輿から降り、再び院子にて彼らと向き合う。羣が言った。
「朱妃様が宜しければ我らより二名ずつをこの宮の番として置かせていただければと」
「宜しいのですか? ご負担になってしまうのでは」
「こちらは癸大人を通じて宦官を増員することは容易です。お気になさらず」
道理である。朱妃が人を雇えなくとも、癸氏なら可能ということだ。しかし二名と言っても番である。十二刻じゅうずっと二人が立ち続ける訳にもいかず交代することを考えれば、少なくとも四人以上をこちらにまわしてくれるという意味となる。
雨雨が続ける。
「奴婢からも彼らを配することをお許しいただきとう御座います。今、宮の前で番をしていた者らからの報告ですが、宮を訪れた者は無しと。ただ、女官らが不自然にこの前の道を通って行ったとの報告がございました」
なるほど。後宮のこのあたりは格子状に道があるが、永福宮の前の道が最短距離となるのは隣の妃の宮から東西に抜ける場合だけである。
それ以外であればをわざわざ通過する必要性はない。朱妃らが外出したので様子を見に来たのか、無人であれば侵入を試みたのか。
朱妃は拱手して軽く頭を下げた。
「ご厚意に感謝いたします。よろしくお願いいたします」
そうして羣らは帰っていき、番人が残されていった。
彼らの食事はこちらで持つことになった。食材はなお余っているので、まだ消費する方法を考えねばならないが、女三人よりはよっぽど良い。
陽が傾き、羅羅たちが用意した晩膳をいただき、朱妃が自ら宮の灯籠に火を灯していた時である。
こんな時間に訪いがあった。
門番らに連れられてきたのは四名の宦官であった。彼らとは衣の色や作りが違う。別の部署の者であろう。
晩膳の後に先触れもなくやってくるとは、と朱妃は首を傾げる。
「まさか……」
雨雨が呟く。宦官の一人が拱手し言った。
「奴才らは敬事房の者である!」
雨雨の表情が色を失った。宦官が続ける。
「皇上陛下がお呼びである! 直ちに準備なされよ!」
「御意にございます!」
雨雨が叫ぶように言って、拱手し深く腰を折った。羅羅も見様見真似か同様にする。
「ささ、急ぎましょう」
朱妃が何か言葉を放つ前に、雨雨は彼女の腰を押して房の中へと押し込んでいった。
「ええっと……」
朱妃と羅羅、雨雨が顔を寄せ合い、雨雨が言う。
「皇帝陛下に夜伽の相手として呼ばれています」
「ええっ!」
羅羅が声を上げた。雨雨はそれをとどめて続ける。
「まずは急ぎ入浴の用意を。朱妃様、火をお願いして宜しいですか? その間に仔細をご説明します。羅羅さんは彼らにどこか座ってお待ちいただいて……」
羅羅が離れ、朱妃と雨雨は浴室に向かう。朱妃は初めてここに入ったが、その浴槽は黄金で鍍金されていた。
「なんとまあ」
昼のうちに浴槽には水を張っていたようだ。風呂釜には薪の用意もされていて、朱妃が火打石を一打ちすれば直ぐに火は着いた。
髪留めを外し、するりと衣を脱いでそれを雨雨に預け、一糸纏わぬ姿となって簀の上に立つ。いつの間にか陽は落ちていて、張りのある丁子色の肌が灯火を照り返して不安げに揺れた。
浴槽に手を入れれば水はまだ冷たい。火に近い側の僅かにぬるくなったところを掬って体を濡らす。
「冷たっ……」
思わず声を漏らせば、紐で袖を縛った雨雨が申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ありません。こちらまで手が回らず……」
「仕方ないわ。人手が足りていないのだもの。雨雨は良くやってくれているわ。それで? 説明をしてくれるのでしょう?」
「是。えっと、まず敬事房は皇帝陛下の交媾……つまりその男女の営みについて管轄する宦官らの部署に御座います」
「男女の営みが管轄されちゃうんですか」
「はい、されちゃうのです」
皇帝陛下も大変だなあと朱妃はふと思うが、直ぐにそれが過ちであると気付く。管轄されているのは自分を含めた后妃達もである。
雨雨は糠袋で朱妃の身体を擦りながら言葉を続ける。
「皇帝陛下の晩膳の後、敬事房の太監、高位の宦官ですがそれが皇帝陛下の前に向かうのです。妃嬪らの名の書かれた木片を銀の盆に載せて」
朱妃は寒さを堪えるため腕をさすりながら頷く。
「陛下はその木片の一つを返します。それが今夜の伽の相手を務めることになるのです」
「……そんな選び方なのね」
「是。こうして選ばれた妃嬪のもとにはこうして連絡が入ります。そうすればその夜、寝所へと参らねばなりません」
どうしてこんなに早く……。そう雨雨が呟いたが、朱妃としてはまあ当然かとも思う。
宮の準備がなされていない、宮女や宦官が宮に配されていないなど、非常にばたばたしていたのは間違いない。
だがそれが皇帝陛下に関係あるだろうか、知るところであろうか。否である。
となれば今夜から異国の姫を順に呼び出すつもりであり、その一番にわざわざ妃と階位を上に置いた朱妃を呼ぶことは不思議ではない。そう思った。





