第39話:朱妃、昼食をとる。
「……何か問題が?」
好みの色を答えただけなのに随分と激しい反応であった。朱妃は尋ねる。
女官たちは互いの顔を見合わせ、一人が声をひそめて朱妃に告げる。
「慈太皇太后殿下は赤を嫌っておいでです」
太皇太后……ちらりと雨雨の方を見れば、彼女は答える。
「辛慈太皇太后殿下は先々代皇帝でいらした天硪帝のお妃様であり、先代皇帝でいらした天海帝の御母堂様に当たられるお方で御座います」
––先代皇帝の実母、つまり武甲皇帝の実の祖母ということね。
それと、雨雨はわざわざ辛と言った。それは辛商皇后と同じ一族であると伝える意図があるのだろう。朱妃はそう考える。
つまり辛氏とは後宮の一大勢力であるのではないか。そう考えれば女官の長である尚宮が辛花と辛氏であることはむしろ当然であろう。
「燕」
「は、はいっ」
朱妃は髪を纏めていた紐を解く。柘榴色の髪がふわりと広がった。
「貴女が本宮に嫌がらせをしようというのは、この赤に関係があるのかしら」
燕は再び面を白くする。
「も、ももも申し訳……」
「ああ、答えなくていいわ」
まあそういうことだ。太皇太后殿下とは面識もなく、直接彼女が朱妃を冷遇しろと言うとは思えないが、例えば辛花尚宮が彼女に忖度しているということは考えられるかもしれない。
––今の段階では想像にすぎないけどね。
「娥楊に問います」
「なんで御座いましょう、朱妃様」
「武甲陛下は赤を嫌うのかしら?」
娥楊は目を見張った。そのようなことを問われたことはなかったからだ。
「……志尊なる皇帝陛下の御心を推し量ることなど奴婢にはできかねます。ですが、少なくとも特に何かの色を嫌っているという噂を耳にしたことは御座いません」
「であれば本宮は赤を衣に纏いましょう」
「朱妃様!」
朱妃は手で髪を梳く。
「本宮は既にこの身に赤を纏っているのです。そして朱緋蘭というこの名に。故に衣に赤を使うぐらいなんだというのです」
––癸氏め。
朱妃は思う。彼は当然それを知っていてこの名をシュヘラに与えたのだと。
彼の考えは分からない。
だが、彼が朱妃を害するつもりでそう名付けたのでなければ、そこには理由があるはずだ。
朱妃は敢えて戯けて言った。
「ほら、赤い衣の妃嬪がいないのであれば、本宮が皇帝の目に留まりやすくなるかもしれませんよ」
「……御意に御座います」
そうして、昼過ぎまで衣装の打ち合わせは続けられた。
彼女らが宮を辞した頃にはいつの間にか太極殿での儀式も終わっていた。
ぐー……。
静かになった宮に朱妃のお腹の音が響いた。
「お腹空いちゃったわね」
羅羅が言う。
「急いで昼の準備をいたしましょう」
「干し肉はどうなったかしら?」
それには雨雨が答えた。
「肉乾は干す手前まで準備はしましたが、これからまだまだ時間が掛かりますよ」
「食事は簡単で良いわ。さっと食べましょう」
「そう仰ると思って、さっき羹は仕込んでおきましたよ」
羅羅はそう言ってにっこりと笑う。
「やった」
「朱妃様に食欲が出てきていて羅羅は嬉しく思いますよ」
確かに。と朱妃は思う。ロプノールにいて冷遇されていた頃はそもそも一日に二食であった。昼を食べる習慣はなかったし、この時間にお腹が空くこともなかった。
羅羅は朱妃の頬にそっと手を寄せた。
「以前より少しふっくらとなさっております」
「あら、太り過ぎないようにしないとね」
「やめてくださいよー」
雨雨が言った。
「朱妃様が太ることなんて気にされたら私なんて豚ちゃんですよ、豚ちゃん」
雨雨は朱妃よりもふくよかではある。もちろんそれで太っているとは誰も思わないだろう。
三人はころころと笑いながら庭へとでた。
途中、石灯籠の上に黒い影があった。ダーダーが寝そべっているのだ。
日当たりが良くて温かいのだろう。
気持ちよさそうにしているので、朱妃は彼に向けて軽く手を振って倒座房へと向かった。
食事は倒座房でとる。
使用人用の食堂である。本来なら妃が食べる場所ではない。だが厨が近いのだ。羅羅たちが食事を作りながら先に朱妃に食べてもらうためであった。
「やっぱり人が足りないわよね」
朱妃は羹を蓮華で口に運びながら言う。いつの間に作業していたのか、煮込んだ驢肉を具としており、澄んだ液体には細く刻んだ葱や生姜が舞っている。浮いている丸っこいものは薄切りにされた袋茸であるが、朱妃はまだこれが何であるのか知らない。
そもそも羅羅も雨雨も料理ができるからそこまで困ってはいないが、彼女たちは厨師ではないのだ。
本房で朱妃が食事をするには、最低限それに加えて配膳と毒味役の女官が必要である。
「そうですねえ。どうにかしませんと」
厨から返事がある。二人はまだ調理中である。
その時、外から扉を叩く音がした。
「お客様かしら?」
今度は答えがなかった。鍋で何か炒めている音がする。
ふむ、どうしたものかしら。
そう思って腰を上げたところで、庭に宦官らしき人達が入ってくるのが見えた。