第35話:朱妃、仕事するなと言われる。
太極殿前での儀式は続く。
今はおそらく、ロプノールはじめとした国々の進貢に対して、皇帝がそれを受け入れる入貢の儀、そして彼らへの回賜として、数多の財が返礼に贈られているところだろう。
朝貢とは中原の周辺国家が瓏帝国に従い、富を吸い上げられるというものではない。その意味で朝貢は植民地とまるで異なる。
周辺諸国家は帝国の徳を慕って頭を垂れて貢物を捧げ、国家としての上下関係を明確にする代わりに、帝国は彼らを国や王として認め、進貢されたものに数倍する返礼を贈らねばならないというシステムだ。
つまり、瓏帝国にとっては経済的な損失である。無論、周辺国家との友好関係や治安維持に対し軍事費を費やさなくて良いという恩恵もあるが。
さて、ロプノールの今回の朝貢において、シュヘラの護衛の任に当たっていた将のタリムは非礼にも途中でロプノールへ帰った。しかし貢物を紫微城に運び、また母国へと持ち帰るための使者とその護衛はそちらに参加しているはずだ。
––彼らもこちらに挨拶すら来ませんでしたけどね!
ロプノールを出国する際に挨拶は受けたが、それから後宮に入るまで一度も接触してこないのもまた充分非礼であると言えるだろう。
朱妃自身はもはや冷遇に慣れていて、これらの扱いを受けてもあまり不満や悲しみに心動かされることはない。
だが、国家間で見せる礼儀として、龍涙の湊に着いた時などに別れを惜しむ素振りでも見せるべきなのではなかったのか。そう感じるものである。
「まあ私にはもう関係ないことよね」
「どうかなさいましたか?」
洗い物を終えた羅羅が手の水滴を払いながらやってくる。
朱妃はゆるゆると首を横に振った。
雨雨のいる厨へと向かえば、まだ保存食作りは続いている。
「何か手伝えることはありますか?」
「えーっと、それじゃあ……」
羅羅が向かえば雨雨が作業内容を伝え、羅羅も厨へと入った。
「私は何かあるかしら?」
朱妃が問えば雨雨は振り返り、困った表情を浮かべる。
「御座いません」
「え……」
雨雨が項垂れ、しばし言葉を考えてから視線を合わせる。遠くで銅鑼の打ち鳴らされる音が響いた。
「朱妃様。そもそも妃嬪の方々が仕事をなさってはいけません」
「でもさっきは朝ご飯を一緒に作ったわ」
「まず羅羅さんに頼まれて火をつけたところからですが、確かに素晴らしい火付けの腕前でしたし、奴婢がやってももっとずっと時間はかかったでしょう。お料理の腕前も手際が良く、非常に助かりました」
雨雨の言葉に朱妃は頷く。しかし雨雨は続けた。
「その上でお伝えしたいのですが、あれとて本来であれば妃様のなしてはならぬことでございます。高貴な方々が家事などの雑事を行うのは賤しいと看做されることですから」
むう、と朱妃は唸る。
理解できなくはない。地位の高い人間が仕事をしてはいけないという文化は洋の東西を問わず、広くある考え方だ。
交易人が異国で物を落とした時に自らそれを拾っただけで見下され、商売が失敗したという話を聞いたこともある。
雨雨は続ける。
「瓏でも例えば武家の名家であれば、女たちは厨に立ちましょう。それは家を守るためです。しかし、朱妃様はそうではありませんので」
朱妃も唇に指を当て。しばし考える。
「今、この宮に人が足りないのは分かっているわよね。その状況は朝も今もまだ変わっていないわ」
雨雨は頷く。
「雨雨の言うことは本質的に正しいでしょう。しかし現在の永福宮において妃たる私自身が働かねばならない状況なのは理解しているはず。朝は私が厨に立つことを許し、今断るのはどういうことかしら?」
「朝、厨に立たれたのも女官たる奴婢としては忸怩たる思いですが、朝に作っていたのが点心であり、菜ではないからでございます。そして今行っている保存食作りは調理ですらなく仕事だからでございます」
朱妃は理解を得る。朝食とした春餅は点心、つまりおやつ作りの範疇であると言い訳はできるが、ちゃんとした料理や干し肉作りでは言い訳がきかぬであろう。
「趣味として后妃や公主が行ってもおかしくない範囲であれば良いと?」
雨雨は肯定した。
なるほど、この宮はここの三人以外に人はいない。だが、見られていない保障がどこにあるのか。
誰か悪意ある者が監視していて、朱緋蘭は下人の行うような仕事をしていると悪評が立つ可能性があると言うことか。
––面倒なことね。
正直、そう思う。
でも後宮に入ってすぐに自らの行動で評判を落とすとなれば、それはまた面目の立たぬ事だ。
「でも火付け、火の番は私もするわ」
火事を起こさないという先の話もある。これは譲れぬところであった。
「御意」
「さて、それなら今から何をすれば良いかしら。庭の草木の手入れはどうかしら?」
「水やりくらいであれば園芸の趣味の範囲かと」
「どのみち剪定はできないわ」
というわけで薬缶を持って庭へと向かった。





