第34話:朱妃、儀式の音を聴く。
朱妃は言う。
「この肉について考えていたけども、とりあえず追加の人員が来るまでは保存食にしておけば良いのかしら」
「確かにそうですね。岩塩や香辛料、炭も充分にありますから保存食作りは可能でしょう。ただ奴婢と羅羅さんの二人、妃殿下に手伝っていただいても三人でそれを行うというのは……」
中原にも肉乾などと言い、干し肉の文化がある。無論、北方の遊牧民にも東西交易のロプノールにもあるものだ。旅人たちは必ず携帯しているものでもある。
雨雨の言葉に羅羅は首を傾げる。
「干し肉を作るのはそんなに大変ですか?」
「え?」
朱妃も首を傾げる。
「陽にあてておけば良いのではなくて?」
「ええ?」
なんでそんな勘違いをと思った雨雨であるが、話しているうちに分かってきた。砂漠では肉が腐ることがほとんどないのである。
朱妃たちが腐るということを知らない訳ではない。水気の多いものや水場にあるものは放置すれば悪くなる。だが乾燥しきった砂漠において、肉を血抜きして内臓を抜いたものを放置すればそれは乾いていくだけなのである。
それは死体が木乃伊になるように。
雨雨は言う。
「朱妃様、羅羅。玉京で肉を放置すると……腐りますし、蝿などの蟲が集ります」
「なんと」
「なんと」
「ちゃんと管理し、加工しないといけません」
それは大変そうだなあ…。と朱妃は思う。
実際問題、肉だけなんとかしていれば良いというものでもない。他にもすべきことは沢山ある。
「難しいものね。もちろん保存食にできるからと言って、そうすれば良いものでもないけど……」
「なぜでしょう?」
「明日以降もお肉が運ばれてくるというからよ」
ああ、と二人は頷いた。
今日のみ肉が大量にあるのならこれを保存食にするのは良手であろう。しかし毎日来るのであれば、腐るのを引き延ばすのにすぎないからだ。
「雨雨、できるなら今ある肉で、今日食べる分を除いて保存食にできるかしら。根本的な解決策はまた考えるとしても、実際にその手間など見ておきたいの」
「是」
そう話していると、遠く、南東で銅鑼の音が響く。午門の開門の合図だ。
そして無数の足音と衣擦れの音が聞こえてくる。
「儀式が始まったのね……」
朱妃は呟く。それは事前に聞いていたことであった。
昨日、朱妃をはじめとする四人の姫が後宮へと入った。それは彼女らを含めた朝貢の品々が紫微城に着いたことを意味している。
そしてそれは同時に、武甲皇帝の親征が四夷を服従させ、全て成功のうちに完了したのだ。そういう意味となる。
つまり、前宮では今日、親征の成功を祝う儀式が行われるのだ。
「太極殿の前には広い、とても広い広場がありますが、そこに文武百官が立ち並んでいるのです。もちろん見たことはないのですけど」
雨雨が言う。
前宮は女人禁制である。つまり朱妃らは参加することができない。よって、話には聞いていたが、特に何かすることなどはないのだ。
ちなみに女人が前宮、つまり朝廷部分に入ることがあるのは皇后が輿入れする際のみである。つまり存命の人物の中でそちらを見たことがあるのは、商皇后殿下ただ一人であった。
周囲の妃嬪たちも気になるのか、高殿などへと登り、そちらを見ている者もいるようだ。
朱妃も西廂房の玄関前の階段の上に立ち、背伸びをしてみるが、もちろん塀に遮られて見ることはできない。ただ、皇帝の玉座があるという太極殿の黄色い屋根が見えるだけである。
「屋根しか見えないわ」
当たり前だが広場の人が見えるようでは困るのである。それは広場から後宮が覗けてしまうということだからだ。
楽の雅なる音色が風に乗って聞こえてくる。そして楽の音が止まると共に再び銅鑼が打ち鳴らされた。そして声が聞こえてくる。
「皇上の御成である!」
もちろん、ここから玉座が見えよう筈はない。それでも女たちは皇帝が見えるかもしれないと首を伸ばしているのだろう。
広場からは玉座が見えるのだろうか。玉座の皇帝は者たちをどんな顔で睥睨しているのだろうか。
「拝!」
衣擦れの音、靴が地面を擦る音が響く。文武百官の全てが同じ動きをとっているのだろう。それぞれの音は小さくとも、無数の音が重なり大きな音となる。
「起!」
彼らは石畳に跪き、拱手してその合わせた手が地につくようにして頭を垂れたのであろう。そして立ち上がる。これが拝である。
「拝!」
「起!」
それが繰り返される。
朱妃も跪きはしなかったが、皇帝陛下の座す太極殿に向けて拱手し、頭を垂れた。
「拝!」
「起!」
「拝!」
「起!」
「拝!」
拝と五度繰り返され、しかし次の言葉は起ではなかった。
「一叩!」
鈍い音が響く。
「二叩!」
それは男たちが額で石畳を叩く音だ。
「三叩!」
それは三度繰り返された。
「起!」
五拝三叩の礼、天帝たる皇帝陛下への最高の敬意を示す礼であった。
「皇帝陛下万歳万歳万歳!」
「万歳!万歳!万歳!」
そして続くは耳がおかしくなるほどの音量の唱和である。朱妃は、ほう、と溜息をつき、庭へと降りた。





