閑話3:癸氏、土産を渡す。
慈太皇太后が動きを止める。顔に朱が差した。
「彼の国は価値なき姫を我が国に貢ごうとしたというのか!」
彼女は怒りを露わにする。そう、これは瓏帝国を馬鹿にしていると捉えられる行為なのだ。
慈太皇太后は自身、及び帝国を蔑ろにしようとされることを殊更に嫌う。
癸氏は自分が問責されている矛先を、そちらへと誘導したのだ。そしてこれは朱妃個人への警戒を逸らす働きもある。
「是。そこにございます」
慈太皇太后が暫し沈黙し、納得に頷いた。
「ふむ。その娘に高き地位を与えることで、その価値ある娘を相手国では冷遇していたことを非難するか」
つまりこれは外圧を与えられるということであり、場合によっては戦争を仕掛ける大義名分にもなるということだ。
癸氏は拱手し、低頭する。
「是。無論、遠征には時間も金も掛かります。西戎が臣従し、価値を示し続ければわざわざ攻める必要もありますまい。ですが、布石は打っておくもので御座いますれば」
「我が孫よ。哀家は爾が瓏の為に動いたのは理解した。明らかな越権ではあったがな」
後宮の地位を差配できるのは皇帝と皇后のみである。たとえ太皇太后とて彼らに働きかけることはできても、直接差配はできぬのである。
「それにつきましては申し訳ございません、ただ、兵は拙速を尊ぶものに御座いますが故に、武甲皇帝陛下からは許可を頂いております。遥か万里の彼方にあって連絡をしようとすれば多大な時間がかかりますから」
当然のことではある。伝説の駿馬が開けた平原を走るというのであれば、一日に千里を走ることも可能であったという。だが、中原の道は関所や川なども多く、荷を積んだ旅人が道を塞ぐこともあろう。そのような速度では到底走り得ない。
故に遠方に赴く使者や軍を率いる将にはかなりの権限、独立裁量権が与えられる。ただ、後宮の人事に関する権利を使者に与えていることなどは通常あり得ることではないが。
「お祖母様」
癸氏は問責の場であれば太皇太后殿下と呼ぶべき状況で、敢えて祖母と呼んだ。
「なんだね、我が孫よ」
「お祖母様にお土産が御座います」
ふん、と慈太皇太后は笑った。
「爾が賄賂とは珍しいの。出してみよ」
癸氏は賄賂を贈らず、受け取らぬ清廉な人物であると役人や宦官たちの中では有名である。
それは清廉さというよりは、賄賂でできた関係に拘泥されるのを嫌っているというのが理由の一つである。
「是、失礼します」
癸氏は自ら部屋の入り口に戻り、すぐ外に控えさせていた護衛に持たせていた箱を受け取る。
その箱もまた螺鈿細工の施された芸術品と呼んで差し支えないものだ。
それを一度、慈太皇太后に向けて捧げ持つと、近侍の宦官に渡した。
宦官が中身を改め、首を捻る。価値のあるもののように見えなかったのだろう。彼は太皇太后の前で跪き、それを渡した。
彼女もまた中身を見て僅かに首を傾げた。指甲套で器用に中身を摘み上げると、目の前に翳す。
それは茶褐色の礫であった。
「なんだね、これは」
「棗椰子なる木の実を干し、陽の力を込めた乾果にございます」
「菓子か」
「木の実とは思えぬほど甘いものですが、薬にも御座います」
「ほう」
「健康を増進させ、美容にも良いと」
「ほう!」
癸氏はこれがロプノールよりもさらに西の地で栽培されているもので、彼の地の交易品であることを伝えた。
彼の地でのこの食物の評価もまた伝える。砂漠を渡るほどの力を与えると。美と健康に良い成分が多く含まれていて、古代の西方の美姫が愛した食物であると。
慈太皇太后はそれらの話を身を乗り出して聞いていた。
「はよう、はよう!」
慈太皇太后は尚食局の毒味役をすでに呼び出しているが、到着が待ちきれぬ様子であった。
慈太皇太后の最大の興味は長寿と美容にある。
癸氏が普段賄賂を贈らない理由は、ここぞという時に相手が真に欲しがる物を選んで贈るためである。その時に、普段から賄賂を渡していれば、その感動が薄まる、そういう戦略であった。
急ぎ呼び出された毒味の娘は慎重な手つきで棗椰子の乾果を半分に割り、それを口にした。彼女の顔が綻ぶのを見て、太皇太后は待ちきれぬ様子でそれを口にする。
「なるほど、なるほど。素朴な味ではあろう。だが大いに滋味を感じる」
「在下も現地で食しましたが、そう感じました。これは是非お祖母様に食していただかねばと」
「好。この乾果を毎日、哀家に届けよ」
「御意。薬も過ぎれば毒と言われます。これは一日二粒までが良いと聞き及んでおりますので、そのように差配いたします。西戎にもそう伝えておきましょう」
こうして癸氏はお褒めの言葉と謝礼として金子を受け取って紫微城へと帰ったのであった。





