閑話2:癸氏、報告す。
ξ˚⊿˚)ξ連載再開ですわー。
明日も閑話の続きと、三章までの登場人物一覧を上げます。それで三章終了、明後日から四章です。
ぶっちゃけ書籍化作業が多忙で、今月は更新が乱れる可能性もありますが、とりあえずできるだけ頑張ります!
「商皇后には気をつけよ」
癸昭は朱妃にそれだけ耳打ちして騾車から離れ、馬の腹を蹴って走る。この行進のため大路は人払いがされている。その中央を、僅かな護衛を伴って駆けた。
気をつけよ。そうは言ったものの、辛商が朱妃に、あるいは他の嬪たちにも危害を与えるとは思っていない。
むしろ手厚く歓迎するだろう。
辛商は美しい。肉欲を刺激される傾城というなら貴妃らの方が上であろう。だが、同性異性の心を等しく奪う力が彼女にはある。それはたとえ敵対者であろうともだ。
ここで朱妃が商皇后に心から取り込まれるようでは困るのだ。逆に明確に警戒して、それを気づかれても困る。ここで一言告げておくことで、疑心を持ってもらえれば良い。
癸氏はそう思っている。
馬が向かう先は紫微城、ではない。午門の前で折れ、城の周囲をを半周してさらに北へ。
向かうのは北の離宮、寿和園。そこの主人たる辛慈、慈太皇太后のもとである。
美しく広大な庭園である。清浄なる水をたたえる池は湖と言っても良い広さで、その背後に聳える高さ三十丈の山、その裾野の景観。これら全ては人の手によって造られたものだ。慈太皇太后の命によって。
庭園を最も美しく見られる場所、そこに離宮がある。癸氏は景観を楽しむ暇もなく、離宮の謁見の間へと急いだ。
そこには護衛たちすら入ることを許されない。広くはない、ただ目も眩むほど煌びやかな謁見の間にて、癸氏は平身低頭する。頭上をゆっくり、ゆっくりと衣擦れの音が過ぎていく。
離宮の主人たる彼女が椅子につき、衣擦れの音が止まった時、控えていた宦官が叫ぶ。
「太皇太后殿下のお出ましである!」
癸氏は言う。
「臣たる癸が太皇太后殿下にお目に掛かります。千載千載千載」
「……免礼」
歳を経て、乾いた女の声が落ちる。
礼はもう良い、そう言われた癸氏はゆっくりと頭を上げ、立ち上がった。
「ありがとうございます」
伏目がちの視線の先、黒の靴、黒絹の下裳と目に入る。喪に服している事を示す黒。しかし無数の金糸銀糸で縁取られ、吉祥の文字が図案化して描かれたものだ。
そして彼女の身体が目に入る。
––小さくなられた。
まずそう思った。今回、シュヘラとゲレルトヤーンの二姫を迎えるにあたり、一年近く玉京を離れていた。
もうすぐ古希、七十となられるのだ。当然だろう。
年相応の体格ではある。ただ、その髪は黒々としており、衣より覗く手の皮膚も、市井の三十路女よりよほど艶やかであった。
「お召しにより癸昭、参上いたしました。お祖母様」
癸氏は太皇太后を祖母と呼んだ。
「哀家の孫、癸昭よ。良く参った」
哀家とは夫たる皇帝を亡くした皇后、皇太后の自称である。
慈太皇太后は先々帝である天硪帝の妃であり天海帝の実母、そして現皇帝たる武甲帝や、癸昭の祖母であった。
癸氏もまた、尊き血をひく者であるのだ。
「また、長き旅路、大儀であった」
「御言葉、感謝の極みにございます」
「辛くはなかったか」
そこには孫を労る慈しみの響きがある。だが、癸氏の心にそれが染み入ることはない。
「是。というのも我が身、万里の遠くにありても、皇帝陛下の武勇と太皇太后殿下の御威光について語られぬ日は無かったからに御座います。それは正に東より昇る太陽が遥か西の地までを照らすが如し。辺境の民の幼子とて瓏帝国の弥栄を熱心に祈願しているのでした」
嘘である。
––娼婦が男に貢がせるよう、宦官が殿上人に阿るよう。
癸氏はそれを自嘲しながらも滑らかに言葉を紡ぐ。
「それは重畳」
慈太皇太后が満足げに息を吐いた。しかしその視線は癸氏を捉えて離さない。
彼女が片手をゆっくりと上げ、薬指と小指を癸氏に向ける。その二指には長さ七寸と六寸の、湾曲して先端の尖った指甲套が嵌められている。純金に精緻な彫金の施された付け爪であった。
「爾に問おう。なぜ西戎の娘を妃に上げた」
指甲套を向けられていると、剣を突きつけられているかの如くに感じる。
肉体的な能力で言えば、癸氏が無手であるとはいえ、護衛の宦官を制し、慈太皇太后を弑すことなど容易である。だが、この威圧は尋常なものではない。到底動けるものではなかった。
だが、問われる内容は癸氏が想像した通りのものである。
「是、お祖母様に申し上げます。四夷の女どもの間に不和を齎すためにございます」
「格差をつけることで軋轢を産み、奴等が大同せぬようにするか」
「流石の御慧眼に御座います」
「だがそれでは説明が足りぬ。西戎の娘である理由は何か」
つまり、不和を産むためであれば四人の誰でも良いはずであり、シュヘラを妃に選んだのはなぜかと問うた。
「まず、臣が直接連れてきたのは北と西の二姫です。東と南の姫とは玉京に着くまで会っておりませんので、対象となり得ませんでした。そして北狄の娘では不適格です。四夷の中で、実際に中原を脅かす力があるものは彼らのみ。彼女を妃にしたとして、力ある者を厚遇しただけと取られるでしょう」
「道理であるな」
「はっ。そして西戎の娘を不和を呼ぶため妃にすべきと考えたのは、彼女の立場にございます。彼女は生国にて冷遇されていたようなのです」
「……なんだと?」





