第28話:朱妃、尚宮を追い返す。
朱妃は辛花に続けて尋ねる。
「薪や炭、油といった燃料はどうでしょう。妃に与えるに相応しい格というものがありますか?」
「扱う香木、またそれを削る量については……」
辛花はそう話しはじめ、朱妃はそれを直ちに遮った。無駄な問答をする気はないのだ。
「本宮は香木や香油といったものの話などしておりません。薪や炭の話をしているのです。妃ともなれば神木を木炭にしたりするのですか?」
「い、いえ。そんな罰当たりなことはいたしません」
朱妃はにこりと笑みを浮かべてみせた。
「では直ちに炭は用意できますね?」
「い、今は在庫が……」
「瑞宝宮のために用意されたもので構いませんよ。妃と嬪で炭が変わるわけではないのでしょう?」
「はい。しかし下位の屋敷にあったものを入れるわけには……」
辛花は抵抗し、朱妃はそれをまた遮った。
「ねえ、辛花。貴女たちは炭を皇帝陛下や皇后殿下の宮で作っているのかしら?」
「は? いえ。そんなことはありませんが」
「宦官か平民が炭小屋で作っているものでしょう? それを陛下だろうと妃だろうと使うのです。下位の屋敷に置いてあったから何だというのですか。そのような言い訳は通りません。今すぐここに運ばせなさい」
「はっ、はい。では用意させますので失礼致します」
「ええ」
彼女らは永福宮を後にした。
二人はその場から動かずにそれを見送る。
「…………ふー」
朱妃はずるずると椅子から滑り落ちるように体勢を崩した。羅羅が近づいてその背を支える。
「朱妃様、大丈夫ですか?」
「もー…………、こういうの疲れちゃうわー」
「いえ、ご立派でした!」
羅羅は朱妃を抱きかかえ、ぽんぽんと彼女の背中を叩く。
安堵のため息を吐きながら、朱妃は頭を巡らせる。
中原は豊かであり、瓏帝国は強大な国家だ。それ故にその身を蝕む蟲どもも肥え太るのだろう。
今、燃料のみは回収を命じたが、その他の瑞宝宮に用意された寝具や織物などは全て女官や宦官らが持ち去ったのだろう。賄賂を渡せば回収できたのだろうが、無い袖は振れぬのである。
「御免なさいね」
「朱妃様が何を謝ることがありましょう?」
「ほら、私は月餅をいただいたけど、貴女、今日の昼から飲食してないでしょう」
羅羅はにこりと笑みを浮かべる。
「そんなのは慣れたものです。手頃な小石でも舐めておけば平気ですよ」
と彼女は砂漠で遭難しているかのようなことを言い出す。悲しいことに二人は飢えにも渇きにも慣れているのであった。
暫く待つ間に、宦官たちによって炭が運ばれてきた。羅羅はその対応をし、その間に朱妃は本房の様子を覗く。
白を基調とした柱、壁。金の装飾。一般的な家屋よりも高い天井。天井には鳳凰の絵、別の部屋には竹林の白虎、深海の海亀。達筆すぎて読めない掛け軸。永福の名に相応しい縁起の良い絵や文なのだろう。それらは美しく、だがどこか寒々しい。配色もあるが、人の気配がない建物はそういうものか。寝室に入ると、床が一段高くなっているところがあり、これが寝床と分かるが、やはり布団が無いのが困ったところである。
「ただいま戻りました!」
本房の外から聞こえてきたのは雨雨の声だった。
機嫌が良さそうに聞こえるのは何か成果があったか。
「おかえりなさい、雨雨」
彼女の背後には荷車が一台、そしてそれを牽いてきたのだろう宦官が二人。
「癸昭様に現状をお伝えしてきました。二十四司や二十四衙門には何らかの注意が行くことになると思います」
雨雨の顔は晴れやかだ。
だが、朱妃としては反応に困るところでもある。
二十四司は女官たちの、二十四衙門は宦官たちの組織である。朱妃としては癸氏がそれら組織に注意すると言われても、そこまで影響力が強いとも思えない。逆に朱妃自身がより睨まれる虞もあるだろう。
ただ、少なくともこちらの状況を知っている者が外部にいるというのは大事である。
「報告、ご苦労様です。……そちらは?」
朱妃は荷車に視線をやった。
「朱妃様がロプノールよりお持ちいただいた進貢より、一部をこちらに回してもらいました」
確かに積荷の袋に見慣れた母国の焼印が押されているのが掛け布の下より覗いている。
朱妃が布を外せば、そこにはロプノールよりさらに西方で織られた精緻な紋様の絨毯や宝石、貴金属、硝子製品などが見える。
「まあ……!」
そしてなによりこの匂い。棗椰子の乾果や、胡椒の実などの香辛料、放浪湖の純白の岩塩や摩天山脈の桃色の岩塩などもある。
癸氏はあの旅の責任者であり、朝貢の品々を差配できるのかもしれない。また、もちろんここにあるのは数多ある文物のごく一部にすぎない。だが……武甲皇帝陛下に捧ぐべき物を断りもなく横流しして良いのだろうか?
彼が罰せられることがなければよいが。そう思いながらも朱妃は頭を下げる。
「雨雨、次に癸昭大人とお会いした際、朱緋蘭が心より感謝をしていたとお伝えください」
「はい、勿論。でも直接お伝えした方が喜ばれると思いますよ」
伝える機会があるのかしら? そう思わないでもないが、会えたら礼を言おうとは思う。朱妃は頷く。
雨雨は服の袖の下に手を入れた。
「ふふ、こんなのも戴いてきましたよ」
そう言って、手のひら大の白くて丸いものを取り出す。包子であった。





