第27話:朱妃、尚宮と会話する。
連絡が来ていなかったから。先ほど雨雨が言っていた、妃に嫌がらせが罰せられない大義名分とはこれか、と朱妃は思った。
辛花は言う。
「是。皇后殿下をはじめ、妃嬪の方々や宦官たち、そして女官ら。後宮の誰もが異国の姫君たちを嬪として迎えると聞いておりました。朱妃様にお入りいただく宮も、ここ永福宮ではなく瑞宝宮に入っていただく予定でした」
その瑞宝宮の方がここよりも宮が小さく、嬪が入るための宮なのであろう。
朱妃は頷き、話の続きを促す。
「瑞宝宮には奴婢らが最高のもてなしの準備をしておりました。しかし新たに迎えるのが嬪ではなく妃様となれば、そちらを使っていただく訳には参りません。それが規則に御座います」
辛花はそう言って頭を垂れた。朱妃は問う。
「もてなしの準備が出来ていないこの宮に通された理由はわかりました。それでは瑞宝宮、そちらに用意された人や物をこちらに回していただけるのですか?」
そちらに嬪は入らなかったのだ。当然の問いである。しかし辛花はそれを否定する。
「否。宮女や宦官たちに行った教育は嬪にお仕えするための作法で御座いますれば、妃にそのまま仕えさせることはなりませぬ。また瑞宝宮に用意していた寝具なども嬪がためのもので、妃にお出しするには格が足りませぬ」
そう言って背後の女官たちと共に頭を垂れる。慇懃な所作であるが、伏した顔で嘲笑っているのだろうと朱妃は思う。
彼女の言うことにも一理はある。妃として入った者を嬪として扱うようなことをしてはならないだろうし、例えばそれが原因で宮女に不備があったとしたら、その最終的な責任は尚宮である彼女のものになるのかもしれない。
だが、ここで宮女を派遣できないと断るのであれば、その責任を癸氏に負わせることができるのだろう。
––むしろ、癸氏は後宮と対立していて、私はそれに巻き込まれている?
結局、癸氏が宦官なのかそうでないのかわからないが、役人や護衛の兵を動かしていたことを考えれば、後宮の人員ではないだろう。
権力構造の中で別の部署であれば対立するのは当然と言えば当然である。
ロプノールの宮中でも王太子派と第三王子派の仲の悪さは、王宮の片隅に追いやられていたシュヘラでも知っているほどだったのだから。
「ふむ。では妃に相応しい人や物とはいつ届くのです」
「正確にいつとは言えませんが、此度の嬪の方々に用意するための準備から考えれば一年はかかるかと」
––寝言は寝て言ってちょうだい。
朱妃は思わずそう言いたくなるが、口を噤む。
辛花は続けた。
「疑問に思われるのも尤もでしょうが、例えば妃の方の布団一枚作るには、冬の間、幽山に飛来する白麗雁の胸の毛のみを集めた物を用意せねばなりません。そしてそれを布団として打つには––」
などと、妃がための逸品を用意するのがどれほど大変なのかを語る。
朱妃は幽山がどこにあって、その白麗雁なる生き物がどれほど価値があるのか知らないし興味もない。
いや、興味がないのではない。優先順位が違う。朱妃にとって大切なのは今どうするかという話なのだ。
「仔細は不要です。要は、本宮はこの宮にしか滞在できず、貴女たちはすぐにここを整える気は無いのですね」
「無論、整えて差し上げたいのですが、今の女官たちの権限と予算では整えられぬことをご理解いただければと」
予算と言った。
––ああ、なるほど。結局は賄賂の要求ですか。まあ、そもそも金なんて持っていないんですけどねー。
まあ、賄賂を渡すか、頭を下げろということなのだと思う。前者は無理だし、後者を行う気はない。
「貴女たちの言い分は理解しました。その上で三つ尋ねます」
「何なりと」
「皇后殿下や妃嬪の方々の食事の素材や水は清浄で新鮮なものをお出ししていますね」
「はい、水は毎日、霊山の湧泉より汲み上げた––」
「仔細は結構と言ったはずです」
朱妃が止めれば、辛花の顔に僅かに不満げな表情が浮かぶ。
「それであれば本宮への食事や水の用意がすぐにできないなどと言うはずはありませんね」
「それは……」
朱妃は言う。
「これが用意できないとあらば、女官や宦官の担当の者が責を果たしていないと皇后殿下や癸氏にお伝えする必要があると考えますが如何に?」
そう言うと、背後の女官が叫んだ。
「畏れながら言上仕ります!」
「許します」
「奴婢は尚食局は司膳の端と申します」
尚食とはその言葉からして食事や水、酒などに関わる部署であろう。膳を司るということはその中でも特に食物に関わる者たちであるとのことであると朱妃は考えた。
「本日の分に関しては瑞宝宮より下げてしまっておりますが、明朝には必ずやお持ちいたします!」
辛花は悪意を浮かべた顔を端に向けた。だが端は低頭し、それを見ない。
尚宮はこれも出し渋るつもりだったのだろう。だが彼女はそれを無視して朱妃の言い分を認めた。まあ、今日一日くらいは我慢すべきかと朱妃は思う。
ともあれ、女官たちが一枚岩ではなく朱妃に同情的あるいは中立の者もいると考えるべきか、それとも単にここで尚食局が食物を出さねば、それは罰が与えられると考えたのか。
「ではそのようになさい」
「はいっ!」