第26話:朱妃、客を迎える。
朱妃と羅羅は使用人用の清潔だが粗末な寝台に腰掛けたまま、互いに肩を預けてうとうとと微睡んでいた。
「ん……。んぅっ」
朱妃の口からどこか艶かしい声が発せられ、瞼が上がる。薄い紗の下、翡翠の瞳が慣れぬ場所に戸惑うように左右に動いた。
少し日が傾いているか、影の長さが変わっている。
––雨雨に頼み事をしているのにうたた寝してしまったわ。
朱妃は申し訳なく感じた。
使用人に仕事を任せて休むのは貴人として当然のことであり、朱妃が微睡んでいたことを雨雨が知ったとしても、むしろ休めたことを良かったと思うであろう。だが使用人に傅かれる生活に慣れていない朱妃はそう感じてしまうのであった。
朱妃は顔を覆う紗を外す。そして襟元から内に手を差し入れた。
「きー」
「おはよう。ダーダー」
朱妃が目を覚ましたのは蜥蜴が身じろぎしたからであった。先ほど少し弱っていたような声をあげていたダーダーは、眠っていたためか元気を取り戻しているようにも見える。
朱妃は寝台の上に紗を置き、そこにダーダーをのせた。
「んっ……」
朱妃が動いたためか羅羅の頭が持ち上がる。榛色の瞳が覗いた。
「起こしちゃったかしら」
「あ、はい。い、いえ!」
慌てる羅羅に朱妃は笑みを浮かべる。
「いいのよ、ところでお客様が来たみたいだわ」
宮の外、門の辺りから複数の人の気配がする。
「使用人たちが到着したのでしょうか?」
「どうかしら……なんにせよ出迎えねばなりませんね」
羅羅が立ち上がり、朱妃に手を差し伸べる。
朱妃はそれを握って立ち上がり、表へと向かう。
羅羅は途中で椅子を一つ抱えた。中庭の十字路を北へと向かい、本房の前へと向かう。
棟の基部は少し高くなっている。本房は玄関の前に四段の階段があり、そこを登ったところ、玄関前の広い場所に羅羅は椅子を置いた。
朱妃はそこに座り、羅羅は階段を一段下がった場所の脇に控えた。
皇帝の玉座が南を向いているように、主人は北に座り南を向いているものだ。簡易ではあるが瓏の作法通りではあるといえる。
やってきたのは三名の女官。いや、一人の高位の女官が二名の女官を従えているという方が正しいか。
先頭の女官は背後の女官たちと同じ服装ではあるのだが、錦糸の帯や珊瑚の髪飾りなど、装いが一段華やかである。
容姿も美しい部類ではある。ただ目が細く切れ長の一重であり、唇も薄く、人によっては酷薄な印象を覚えるかもしれなかった。
女官はゆっくりと庭の十字の石畳を歩き、朱妃らの正面、階段の下で拱手して膝をつき、頭を下げた。背後の二人もそれに従う。
「奴婢はここ紫微城後宮において尚宮を勤めている辛花と申します。そちらにおわすは朱緋蘭妃殿下にあらせられましょうや」
羅羅は振り返り、朱妃を見る。朱妃は頷いた。羅羅は彼女たちに言う。
「奴婢は羅羅。こちらにおわすお方が朱緋蘭妃殿下に相違ありません」
すると辛花を名乗った宮女は一度顔を上げ、再び顔を伏せる。
「朱妃様にお会いできたこと、幸甚の至りにございます。ですが先触れもなく、また許可なく永福宮に入ったことをお許し下さい」
ふむ。と朱妃は羅羅に頷きを返しつつも考える。
この辛花なる人物、まずは尚宮を勤めると言った。後宮の女官たちの所属は六尚二十四司であると雨雨から学んでいる。尚という部門にそれぞれ四の司が属していているという。
尚宮局はその中でも人事や経理など後宮の取り纏めを行う部署であり、尚宮とは同局の長である。つまり彼女は後宮の全女官の長なのである。
「許すと仰せです」
朱妃は羅羅にのみ聞こえるように軽く咳払いを一つ。
「朱妃様が直接お言葉を下さるそうです」
朱妃はゆっくりと口を開いた。
「挨拶、大儀です。平身をおやめなさい」
女官たちは身を起こした。
朱妃は問う。
「辛花と申しましたか」
「はい」
「尚宮とは後宮を管理する長と思って相違ないでしょうか」
「後宮を統べる長は辛商聖坤天佑瑞康寿皇后殿下をおいて他なりません。奴婢らはそのお手伝いをするのみ。ですが女官たちの長であり、後宮を管理する者の一人であるのは間違いありません」
彼女は商皇后に随分と長い言葉を繋いだ。貴人は尊称というか、縁起の良い言葉を名に足していくことがあるというのでそれであろう。と朱妃は考える。
そして辛という家名。瓏で珍しい苗字というわけではないが、恐らくは商皇后と彼女は同じ一族なのではないか。わざわざ皇后殿下の名を出してきたことからそう感じた。
「うむ。ではその尚宮たる貴女に問います。この永福宮に本宮が住まう用意がなされていないのは何故ですか」
辛花は一度低頭してから答える。
「朱緋蘭様が嬪ではなく妃として後宮に入られると知ったのが本日のことであったがためでございます」
––やっぱり癸昭様のせいでは?
脳内で癸氏の身体を拳でぽこぽこと叩く想像をしつつ、朱妃は辛花に告げる。
「詳しく説明なさい」