第22話:朱妃、月餅を食す。
白昼の満月は黄金の円盤であった。
御花園の周囲には盛り土や奇岩を配することによって、花の背景に山があるかのように造園されている。
その人工の山の上、一抱えほどもあり、鏡のように磨かれた黄金の円盤を持つ宦官が立っているのだ。
そして地上をまた別の宦官たちが走る。彼らが抱えるのは巨大な花瓶。そこには立派な白い花穂をたくわえた芒が挿されていた。
朱妃たちが唖然とする間に、赤、黄、桃色であった地面は白へと塗り替えられていく。
「なんとまあ」
楽嬪と言ったか。扶桑の姫が口を開く。
「皇后殿下は瞬く間に地を夜にしてしまわれました。千載千載」
楽嬪は商皇后を讃えた。
しかし商皇后は扇で口元の笑みを隠しながら否定する。
「だめよ、皇后殿下ではなくてね」
「流石お姉様」
楽嬪はそう言い直し、商皇后は頷く。そして月見の茶会が始まった。
もぐもぐもぐもぐ。
––月餅美味しい。
もぐもぐ。
––あ、お茶も。こう、香り高く少し渋みのあるお茶で、一旦口内に残る月餅の甘さを流してからもう一度月餅に取り掛かるとまた。
もぐもぐ。
––月餅の餡の中に胡桃とか胡麻とか、他にも私の食べたことのない木の実が練り込まれているのね。これがまた、食感に変化を加えているし香ばしさも増していて素晴らしいわ。
もぐも…………あれ。
朱妃が月餅を頬張っていると、他の四人の視線がこちらに注がれているのを感じた。
「美味しそうに食べるわね。良いのよ、たくさん召し上がって?」
そう言われて朱妃は赤面した。
幼い頃は菓子を食べる機会もあったが、ロプノールの王宮内で冷遇される中でそういったものを食べる機会は減っていた。
またロプノールで一般的に食される中で最も甘いのは棗椰子の乾果であろう。あれも美味しかったが、やはり瓏のお菓子や食べ物は味の奥深さにおいて隔絶していた。
「瓏帝国の食べ物は美味しゅうございます。ここ玉京へと向かう船旅でも美味しい食事をたくさんいただきました」
「それは重畳。ちなみに何が一番美味しかったかしら?」
「はい、どれも美味しく甲乙つけ難いのですが、私が船に乗ってすぐに体調を崩してしまったのもあり、そこでいただいた粥が一番印象に残っています」
「粥かよ」
「粥なんて……」
光輝嬪と楽嬪が呟く。
そこに馬鹿にするような雰囲気を感じた朱妃は思わず反発した。
「いえ、私も米粥は自国でも食べたことがあり、美味しいものとは思っていなかったのですが、全くの別物だったのです」
商皇后は満足そうに頷いた。
「たとえ粥ひとつとっても我が国の食べ物が他国より優れているのであれば誇らしいこと。粥の何を美味と感じましたか?」
「そもそも私がかつて食したことのある粥はどろりとしていましたが、いただいたそれはさらりとし、出汁の馥郁たる香りが鼻腔に広がりました。そして不勉強ゆえに、何であると言えず申し訳ないのですが何やらコリコリとしたものと……」
「袋茸かしら、それとも搾菜?」
商皇后は顎に手を当てそう呟く。
「それと黒くてぷにぷにしたものが……」
「皮蛋かしらね」
茸ではなかったから、搾菜と皮蛋であろう。朱妃は自分の好物となった食材の名をここで認識した。
「どうも美味そうには聞こえないな」
光輝嬪はそう言い、朱妃はむっと睨んだ。
話題を変えるように筍嬪が口を開く。
「皮蛋といえばそう。数年前に南江市に滞在した時にも月餅をいただいたことがあるのですが」
南江とは瓏帝国南部の、帝国でも五指に入る規模の都市名だ。
彼女の生国ともおそらくは海路で交易をしているのではないだろうか。朱妃はそう考える。
「それは皮も餡も柔らかいものでした。私はこれに関して、皮のぱりっとしたこちらの方が好みです。ただ……」
「どうぞ、遠慮なく仰って?」
「餡の中に鹹蛋の黄身が入っていたのです。黒き餡の中に黄色い黄身がある様は、闇夜に浮かぶ満月が如く美しいものでした」
鹹蛋、鶩の卵である。同じく鶩の卵を熟成させて作る皮蛋の話から連想したのだろう。月餅に関してはもちろん黄身をそのまま入れるわけではなく、それを固めるか練り込んだ餡が入るかしていたはずだ。
「それは厨師に作らせないわけにはいかないわね」
商皇后の言葉に力が籠る。
宴のために試してみるのであろう。彼女が月見の宴を成功させるために注力していることが知れる。
という話などをしているところで宦官が皇后に近づき二、三言葉を交わす。皇后は言った。
「皆様も長旅でお疲れでしょうから今日はこれくらいでお開きといたします。また後日、お話ししましょうね。貴女たちの宮については宮女が案内するわ」
朱妃らは立ち上がり、腰を深く折って礼をした。
四人の妃たちは皆、それぞれが自らの宮、建物が一棟与えられることとなる。
朱妃が住まうこととなった宮の名は永福宮。後宮の西側に位置するという。朱妃は羅羅、雨雨を従え、宮女の案内でそちらへと向かった。
そして、そこで事件は起きたのだった。