第19話:朱妃、玉京の街並みを眺める。
正面には玉京の都を囲む城壁。だがその手前にも既に町が広がっている。
玉京八十万、この都市は世界最大の人口を誇り、その人口は八十万人に達すると言われている。
都市が人口増を支えきれなくなり、城壁の外にまで人が住むようになっているのだ。
朱妃たちは都市の正面にあたる南側から向かっているのだが、あまりにも広い道の正面を塞ぐ、あまりにも巨大な城壁と門の上の城楼を見上げてぽかんと口を開いた。
「ふえぇ……」
「ふえぇ……」
朱妃と羅羅は互いの手をとって城楼を見上げる。
雨雨はこほん、と一度咳払いをしてから言った。
「これが玉京の正面玄関たる最大の門、萬世門にございます」
どことなく自慢げな雰囲気であるが、それも当然だと朱妃は思う。
––でっっっかい!
雨雨は続ける。
「高さ六丈の城台の上に八丈の城楼が築かれ、南方を見張っているのです」
一丈は十尺、ちょうど朱妃二人分である。つまり朱妃十二人分の高さがある壁の上に、朱妃十六人分の高さのある建物が乗っかっているということだ。
土を盛り、煉瓦で覆ったのであろう灰色の城台の威容、そしてその上に聳える城楼の朱塗りの柱と緑灰色の甍の美しさといったら。
そして城壁や城楼に立つ弓や槍を携える兵たちの姿は米粒よりも小さく見える。
二人が唖然としたまま、隊列は城門をくぐり抜けるのであった。
そこで彼らは騾車から降り、朱妃のみが輿に乗り換える。宦官たちが担ぐ輿に乗って都の大通りを練り歩くのだ。羅羅たちは歩いて着いてくるという。
本来、ここまでの儀式的な入城を行うのは皇后の輿入れのみであり、当たり前のことではあるが、妃嬪が後宮入りするために行進は行わないという。
だが、今回の場合、これは進貢なのである。国家の友好を民にも示すべく、あるいは武甲帝の親征の成果を民に示すべく、こうして行進を行うのだ。
北狄、南蛮、東夷、西戎。中原の四方の敵にその武威を示し、降らせたということである。
––あ、他の二人の妃嬪の姿も見えましたね。
車中からは見えなかったが、光輝嬪以外の二人の嬪の姿も初めて見た。
––えっと、東と南から来たってことよね。
皆、その民族の正装に身を包んでいる。光輝嬪は青のデールに帽子なのは変わらないが、今日は金の宝飾品の数が多い。
朱妃のロプノールは多民族の文化の影響を受けていて、顔は薄手の紗で隠し、上半身は遊牧民のデールに似た形状であるが、下半身はズボンではなくスカート。どちらにもふんだんに刺繍が施されているが、宝飾品をあまり持たされていないために少し華やかさには欠ける。
木の葉を編んで作られた、円錐型の簑笠を被り、薄手の白いズボンの上に、裾が長くてスリットの深い身体の曲線が出る上着、アオザイを着ているのは南方の姫だろう。
そしてもう一人は、足元まで引き摺る長さの色が異なる裳唐衣を何枚も重ねて着ている女性だった。色の重ねがグラデーションとなって変化していく様は独特の文化と美を感じさせるものであった。
––扶桑人、初めて見たわ……!
相手と目があったので、微笑んで軽く頭を下げておく。残念ながら挨拶を交わす時間はない。
輿はすぐに出発し、彼らは歓声をもって民に迎え入れられた。
城壁の分厚さ、堅牢さにも驚かされたが、内に入ればまた同じように真っ直ぐ伸びる道の正面に巨大な門と城壁が見える。こちらが外城、民の住まいで、壁の向こうがこちらよりは僅かに小さいという内城。主に官僚たちが住まうという。
そしてその中に皇帝がおわし、これから自分が住むことになる紫微城があるのだ。玉京の規模の大きさには驚かされるばかり。
ゆさゆさと輿の上で揺られながら大通りを進んでいく。
羅羅と雨雨が後ろを歩いているために話し相手もいないし、解説をしてくれる者もいない。
だが知らぬ街の通りを眺めているだけでも充分に楽しい。
商店の多いところでは、勉強している最中の瓏語で書かれた看板や幟の文字に目を凝らす。
『美味月餅』『金物屋』『玉京でいっとう美味しい』『なんでも貫く矛』『飯店』『酒舗』『元祖月餅』『回春丸有ります』『黄金月餅』『本家月餅』
––なんか月餅ってお店多くないかしら?
「あー、王府で拉麺でも食べていきたいぜ」
「おい、黙ってろ」
「大蒜と挽肉のさー」
「黙れってんだよ、腹が減る」
護衛の兵士たちのぼやきが耳に入る。
––王府? 拉麺?
首を巡らせればなるほど、王府という赤い看板の店が見える。客の入りが多く、繁盛している店のようだ。
朝に船を降りて移動を開始したので今は正午前である。朱妃はまだそれほどお腹が減ってないが、美味しそうな匂いが漂ってくれば男性である兵士たちは堪らぬだろう。
そのようなことを考えているうちに次の城門が大きく見えるようになってきた。いよいよ紫微城へと入るのだ。
「きー……」
そのとき、朱妃が衣で隠して連れていたダーダーが微かな声で鳴いた。