第17話:朱妃、騾車に乗る。
ξ˚⊿˚)ξ「狼は眠らない」読んでたら投稿時間を忘れました(言い訳)。
という訳で第3章開始です!
「ブルルルル」
朱妃たちの前で馬のような動物が首を振っている。
馬にしては首が短く、兎耳とも呼ばれる驢馬ほどには耳が大きくない。つまり騾馬であった。
驢馬の雄と馬の雌を交配させて作られる動物で、頑健かつ利口な動物である。西方の神話では王の獣とすら呼ばれ、現代でも馬の数倍の高額で取引されているものだ。
古くから東西交易の中継地でもあるロプノール王国においても、砂漠なら駱駝、荒野なら騾馬が最良と言われていた。
その騾馬は軛で、艶やかな黒の漆塗りの轅に繋がれている。その先には二輪の車体。
ちょうど立方体のような形状の車体の表面は檜の板で覆われ、全体を朱漆で塗られた上には金箔で瑞鳥たる雌雄の鳳凰が戯れる様が描かれていた。
なんとも立派で絢爛たる騾車であった。
「なんと素敵な……」
朱妃は感嘆の声を上げる。
龍河を下ってきた御座船は、首都玉京近郊の湊である龍涙へと到着したのだ。
ここから玉京まではこの騾車で向かうのだろう。
「なんで馬車、それも騾馬なんかに牽かせているのに乗らなきゃならないんだよ!」
光輝嬪が憤る声が湊に響く。顔を向ければ別の騾車の前で彼女が瓏の役人の胸ぐらを掴み、それを大勢で宥めているようだ。
「こっ、後宮へと向かう姫は騾車に乗って玉京の市街へと向かっていただく決まりに御座います!」
大勢の役人に囲まれて頭を下げられ、光輝嬪は舌打ちして不満げな表情を隠そうともせず、だがその身のこなしは軽やかに騾車へと乗り込んでいった。
「……光輝嬪は乱暴ですね」
羅羅がそっと囁く。
「そんなことを言うものではないわ。馬を伴侶よりも大切にするという北方遊牧民の方ですもの」
遊牧民は馬以外の乗用獣を使わない。また草原には道がなく、車輪も使わないと聞いていた。
「まあ、実際にはここには沢山の馬もいますしねぇ」
羅羅が周囲を眺めて言う。
無数の馬が湊には存在した。
これは嫁入りの旅であると同時に、朝貢の旅でもあるのだ。
光輝嬪が従えていた遊牧民の男たちの多くは船には乗らず、川沿いを馬で走ってきていたのである。
これは遊牧民の最高の貢物が彼らの生産する馬であるからに他ならない。
彼らとはこの龍涙の湊で合流した。これは列をなして玉京に向かうことで、広く民に遊牧民やロプノールの朝貢を知らしめすためである。
両国が朝貢国となったことやその豊かさを示し、さらにそれを従える武甲帝の偉大さを示すのだ。
「そうね。どんな大きな隊商でもこんなに多くの馬を従えることは無いものねえ」
「きー」
朱妃の言葉に、彼女の肩の上のダーダーが同意するように鳴いた。
彼女は相好を崩して忠実なる蜥蜴を撫でる。
光輝嬪が反発を覚えるのも当然なのかもしれない。だが、むしろ朱妃としては光輝嬪に感心してもいた。
例えばビルグーン、先日光輝嬪が護衛として連れていた男は、今も自国の姫が騾車に乗せられたことに憤懣やるかたない様子だ。しかし彼女は明らかな怒りをあらわしながらも、すでに車の中にいるのである。
––切り替えが早い。あるいは、遊牧民たることを示すためにわざと怒ってみせたのかもしれないわね。
「朱妃様、どうぞ」
雨雨が箱車の簾を持ち上げながら乗車を促した。
彼女はこの旅の間、実質的に朱妃の従者のように振る舞うようになった。羅羅はその所作を見て覚えようとしている。
彼女の手が簾の持ち上げ方をなぞるように体の前で動いていた。
朱妃が乗り込むと、二人も向かい合うように乗車した。
しばし待つと、役人が出発を告げに来る。一度大きくがたり、と揺れて騾車は進み始めた。
「……でもなんで騾馬なのかしら」
朱妃がそう呟けば、雨雨が顔を背けた。朱妃は笑みを浮かべて尋ねた。
「雨雨は理由を知っているのね。教えてくださる?」
彼女は口を無意味にもごもごと動かしてから話しだす。
「えっと……騾馬は宦官の比喩なのです」
「宦官の……ああ、交配できないからかしら?」
朱妃は思い至った。
騾馬は子をなすことができない。馬とも、驢馬とも、騾馬同士で番っても子ができないのだ。染色体の知識など存在しないこの時代の人間にとって、その理由は地域ごとに神話や伝承によって説明されるものであった。
この後宮へと入る道のりで騾馬を使うのは、もう皇帝以外の男に触れることはできないという意味もあるのだろうと。
「あの、宦官が埋葬される時にですね……その……宝を」
雨雨の頬が僅かに朱に染まる。
「宝?」
知らぬ言葉である。朱妃は首を傾げた。
「その、切除された自分の、アレを……」
つまりは男の象徴のことであった。
––あー、なるほど。雨雨には申し訳ないことを尋ねてしまったわね。
朱妃は人差し指と中指を開いて閉じながらおどけてみせた。
「ちょきんと」
羅羅が吹き出して目を逸らす。
雨雨は片手で顔を隠して言った。
「朱妃様、おやめください。ええ、そのちょきんとしたモノをですね。共に埋葬せねば宦官は来世で騾馬に転生すると言われているのですよ」