第14話:朱妃、遊牧民の姫と話す。
扉を開けたのはゲレルトヤーン姫の護衛であろう、精悍な風貌の男性。帯剣を許可されなかったのか武装こそしていないが、その引き締まった体躯や大きく硬そうな手を見れば武人なのは明らかである。
もちろん瓏国人でもない。北方の遊牧民と中原の民は似た容姿であるが、彼は遊牧民族の装束であるデールを着込んでいたし、顔の肌が草原の風と陽に乾き、焼けていたからだ。
武威を感じる。
だが、その男の背後から腕組みをしてずいっと前へと歩んできた女性、ゲレルトヤーン姫にもそれを強く感じるのであった。
彼女を見上げて、朱妃は思わずひゅっと息を呑んだ。
女性である。
男物の青いデールを纏いながらも、その胸や腰の曲線は女性あることを雄弁に物語っている。
数多の金環や輝石による首飾りや耳飾りでその身を飾っているが、それよりもなお美しいのは彼女の蒼き瞳だ。そしてその髪は金糸、肌は白磁。
––西方人の血……。
遊牧民は騎馬と強弓で知られ、それは侵略と略奪に長けているということである。
つまり、彼女が遊牧民の姫であるというなら、その母はロプノール王国よりも北西にある国から拐われた、あるいは嫁がされた可能性が高いということだ。
女性として勿体無く感じることには、鼻のあたりなどは日に焼けたせいか雀斑が散り、頬には矢傷の痕があった。とはいえ、それは彼女の武人としての雰囲気をむしろ高めている。似合っているとも言えよう。
朱妃がそのようなことを考えていると、女性の嗄れた声が掛けられた。
「突然失礼する。あたしはゲレルトヤーン。大集会において草原の百の部族を統べる汗と認められし、嵐のシドゥルグ。その四女こそがあたし、シドゥルグの娘・ゲレルトヤーンだ」
瓏国語で話されていたが、一部の単語は遊牧民の言葉を使われたため、朱妃にはわからないところもある。
––汗が王と似た意味の単語ということくらいは分かるけど……。
朱妃は立ち上がり、軽く頭を下げた。礼を失しず、謙りすぎないように。
「良くいらっしゃいました。ゲレルトヤーン姫。ロプノール王国が王、ホータンの三女、シュヘラ・ロプノールと申します」
「ふむ、シュヘラが名であるかな。よろしく、シュヘラ姫」
朱妃は頷いた。
ゲレルトヤーン姫の名乗りは父の名を自らの名の前につける、遊牧民の名乗りであった。一方でロプノールでは個人の名が先で家名が後だ。また、ロプノール王国の直系王族は国名を苗字として名乗ることが許されている。
「羅羅お茶の用意を」
朱妃は羅羅に茶の用意を命じて椅子へとゲレルトヤーン姫を誘った。羅羅は問う。
「畏まりました。どちらにいたしましょうか?」
どちら、とは先日甲板で喫した瓏帝国の茶か、蘇油茶かということである。あの茶会の後、練習用に瓏の茶器一式を頂いた。
ちらり、とゲレルトヤーン姫を見上げるように視線をやる。
「蘇油茶を」
「おお、蘇油茶がいただけるのか。有難い」
ゲレルトヤーン姫は笑みを浮かべた。屈託ない笑顔である。姫という所作には相応しくないが、親しみやすく胸襟を開かせるものであるように朱妃は感じた。
「ゲレルトヤーン姫も瓏国のお茶よりも蘇油茶の方が親しまれているかと思いまして」
砂漠の民も遊牧民も茶の喫し方が似ているということを伝えることで、朱妃は友好を示す。
実際、茶を喫している間の二人は道中の苦労など当たり障りのないことを友好的に話を進めていた。
ただ、視線が鋭いのが気になった。
それはゲレルトヤーン姫もそうだし、背後に控えている彼女の護衛の男もそうであった。朱妃は彼に茶を勧めてみる。
「護衛の方、貴方もいかがですか?」
「ビルグーンだ。不要」
にべもない。護衛が飲食を断るのは当然ともいえるが、断り方というのもあろうに。
どうにも友好を深めようとしている、そういった印象ではない。
「馳走になった」
コトン、と音を立ててゲレルトヤーン姫が卓上に茶器を置く。
「さて……シュヘラ姫よ。先にこの船に乗っていた貴女は既に瓏風の名を付けられたと思うがどうか?」
––やっぱりこれが本題よね……。
「ええ、癸昭様より朱緋蘭との名を頂きました」
「じゅーふぇいらん……しゅへら……近しい音の名を頂いたのか」
朱妃は頷く。
「ええ。ということはゲレルトヤーン姫はそうではないのですね?」
「ゲレルトヤーンとは氏族の言葉で『光り輝く』という意味の女性名だ」
そう言って彼女は自らの金の髪を摘んだ。
なるほど、確かに輝くような髪ではある。彼女は続けた。
「故にその意味を持つ瓏の言葉にして貰った。光輝というらしい。故にこれからのあたしは光輝嬪だ」
「光輝嬪様……」
蒼い瞳が朱妃を真正面から見据える。朱妃は無限の蒼穹に吸い込まれるが如き力を感じた。
「だが、あたしの先にこの船に乗った姫は嬪ではなく、その上の妃の位を貰ったらしい。どういうことか教えてくれよ、朱妃サマ?」





