第0話:朱妃、愛されないと宣言される。
ξ˚⊿˚)ξただのぎょーです。
本日より連載開始で、とりあえず10万字くらい毎日更新予定ですが、書き溜めはあまりありません。
今日はこのプロローグともう1話上げますが、以降は16時に1話ずつ更新予定です。
「朕が、爾を愛することはない」
夜の帷の中、低く落ち着いた声が響く。しかし、その内容は朱妃を困惑させるのに充分なものであった。
彼女が何度転がっても落ちないほどの巨大な寝台、その名を竜床。武甲皇帝陛下はその上で横たわり、妃の訪れを待っておられるのだ。朱妃はそう伝えられていた。
––起きてるじゃない!
皇帝陛下は寝台の枕のあたりに座っていた。そして彼女が寝台につくなりそう言い放ったのだった。
朱妃はあわてて寝台の逆端、足の側に両の膝をつく。絹の布団の肌触りはぬめやかで、羽毛は軽くて身体が沈み込んでいってしまいそうなほどに感じた。
––こうした場でなければその感触を堪能し、楽しめたでしょうに。
ちらとそんなことを思いつつも、彼女は寝台の上で平伏する。慌てた動きに柘榴色の髪が闇の中で踊った。
沈黙が閨に落ちる。作法としては皇帝陛下の次の御言葉を待つべきだっただろう。だが静けさに耐えきれず、朱妃は不敬と知りつつも問いかけた。
「瓏帝国の主たる武甲皇帝陛下に言上仕ります。本宮に……寵をいただけぬということでございましょうか」
まだ少し覚束ない帝国語で尋ねる。瓏帝国の言葉は彼女の生まれたロプノールの言葉や西方諸国の言語に比べて複雑で、特に宮中で使われる言葉は難解に過ぎる。
例えば一人称、自分を示す言葉が無数にあるのだった。皇帝であれば一人称は朕、後宮の妃であれば一人称は本宮などと。
「朱妃……、朱緋蘭と申すのであったな」
「はい」
武甲陛下が彼女の名をゆっくりと口に乗せた。
「面を上げよ」
朱妃は礼法通り伏し目がちにゆっくりと視線を上げていく。長い睫毛の下に翡翠の瞳が覗いた。
彼女にまず見えてくるのは武甲帝の胸元、衣に金糸で施された龍の刺繍。僅かに灯された明かりに照らされ、闇の中で浮かび上がって彼女を睨みつけているかのようだ。
さらに顔を上げていけば、まだ若く、端正で、しかし威厳のある皇帝の尊顔が見えてくる。
闇に溶けるような射干玉の黒髪は、光の塩梅か、艶やかに輝いていた。
「改めて告げる。朕が爾を愛することはない。故に抱くこともない」
その言葉通り、真っ直ぐ彼女を見つめる皇帝の視線からは色を感じない。その向かいに座る朱妃が一糸纏わぬ姿であるというのに。
肌の色は丁子色、瓏帝国人のそれよりも濃い色合いで、遠く離れた地から彼女が渡ってきたことを示している。
肌には染みひとつない瑞々しさで、胸元の双丘はまろやかな曲線を描いている。
しかし、朱妃はほとんど恥じらいを感じていなかった。
––もぅー……。正直、ちょっといらっとします。
彼女の頭を占めるのはほとんどが苛立ちと不安である。
「一つ、伺いたき義がございます」
不敬を承知で翡翠の瞳と黒き瞳を合わせて尋ねる。皇帝は鷹揚に頷いた。
「許そう」
彼女はつい昨日この瓏帝国は紫微城の後宮へと入った妃なのであり、故に瓏帝国の皇室に伝わる儀式的な交合を行わねばならないのは分かっている。
中原の歴代の王朝が伝えることによると皇帝とは乾、即ち天。一方の女たちは坤、即ち地。皇帝の交合とは天地の交わりを意味する儀式である。つまり少なくとも後宮入りして初めて皇帝と共にする夜は、宦官たちが見守る前で交わらねばならないことを意味していた。
ちなみに今夜の朱妃は後宮にあてがわれた屋敷で侍女に湯浴みで全身を磨かれ、化粧や髪結を施され……たところで宦官たちに押し入られたのだった。
彼らは敬事房なる皇帝の夜の務めを管轄する部署の者たちである。
朱妃は着ていた衣をひん剥かれ、全裸にされた。恥じらいはこのあたりが頂点であった。宦官、男の象徴を失っているとはいえ、元々男であった者たちに衣を剥がれたのである。
そして布団、緋色に金糸で凰の描かれたそれは立派なものが用意された。彼女はその布団に簀巻きにされ、二名の宦官たちに抱えられ、えっさほいさと後宮の壮麗な建物の間の回廊を運ばれてきたのだった。
その時の彼女は摩天高地の砂狐の如く、遠くを見つめて動かぬ虚無の表情をしていたが、それもむべなることであった。
そうしてこの皇帝陛下の待つという建物、交合するため専門の宮である。そこへと連れて行かれ、その褥にぺいっと投げ込まれて布団を剥がれたのだった。
––そして今になって『愛さない、抱かない』って。……もうちょっと何とかならなかったのかしら? ……ですが、これだけは尋ねておかねば。
「それは本宮が生国、ロプノールを蔑ろにするということでありましょうや?」
彼女は遥か西方はロプノール王国の姫であったのだ。たとえかの地の王宮で疎まれ、物置が如き部屋で起居していたような姫であろうとも。
それでも一国の姫として、母国に瓏帝国の矛が向かうようなことは避けねばならない。それが彼女の務めであり、矜持でもあった。
「否。過度な厚遇はしない。だが蔑ろにはせぬと皇帝の名に誓おう」
そこで彼女はそっと安堵の溜息を吐く。そして外気に晒されているが故か、緊張が解けた故か、一度ぶるりと身を震わせたのだった。
––やれやれですわ。まあ、これで最低限の仕事は果たしているということなのでしょうかね? でも、どうしてこのようなことになってしまっているのかしら……。
物語の始まりは、この数ヶ月前に遡る。
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