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9話

 ***


 リコルトの部屋をノックすると、すぐに返事が返ってきた。


「リコおはよう。シーツ回収って、今日は誰が当番だったっけ」

「確か…、バーラさんたちの班だった気がしたな」

「あー。ディアロが嫌ってた班長さんの居る組か」

「やめとけ。あの人、ディアロが出ていったって知って結構寂しそうにしてたぞ」

「なんだかんだ担当の人よりも面倒見てたもんな」


 部屋を覗くと、窓側のベッドは何も敷かれておらず剥き出しの骨組みが見えていた。


「もう一週間か…。なんだか早いな」

「騎士団が騒がしいのもあるかもな。大型の案件も来てるらしいぞ」


 リコルトと一緒にシーツを運んで回収してもらう。例の班長が受け取ってくれたが、いつもより覇気が無いのは気の所為か。


「さっき担当の人が来てくれたんだ。いつも悪いな、お裾分けって」


 そう言ってリコルトが取り出したのは、綺麗な包み紙。


「リコ、栄養には気を使ってなかったっけ」

「たまには良いだろ」


 リコルトとアスタリアは、ベッドに腰掛けて包み紙から飴を取り出す。そのまま口の中で甘さを堪能した。

 菓子はあまり補給されないため、近場の店に出向かないと入手出来ないのだ。だから三人でたまに貰える小遣いを出し合い、抱えきれるほどの菓子を買い漁っていた。


「甘い、うまい〜」

「ほんとアスタ好きだよな」

「ああ、好きだ…。沁みる…」

「なんでも食うよな。極端に辛いのが嫌いなだけで」

「そうそう。リコほんと知ってるよな、ディアロの事も」

「お前らがわかり易いんだよ」

「……あ」


 アスタリアが小さくなった飴を噛み切った。咀嚼を止め、じっとリコルトを見る。


「…何だ」


 不意打ちの視線にリコルトもぎこちなく返す。ふっと目を伏せたアスタリアは、もう一度ちゃんとリコルトを見る。


「リコ、なんでディアロが騎士団辞めるって…知ってたんだ?」


 アスタリアの問いに、一瞬リコルトの瞳の奥が揺れた。邪悪な彼が浮かんだ後、眼帯で笑顔を浮かべる彼が見えた。


「稽古してたら団長に呼ばれて、教えて貰ったんだ。特殊すぎて詳しくは言えないしこれも本人の為に内緒にしてもらいたいが…って」

「…そうだったのか」

「ちゃんと腹立たしかったし、色々ムカついたけど」


 リコルトは立ち上がり、骨組みのベッドに腰掛けた。

 眼鏡に手をかけ腕を組む。そしてにぃっと口角を上げた。


「最大限傍にいて、発つ時驚かせてやろうってすぐ思ったんだよ。知ってたぞって。ドヤ顔で」


 リコルトの笑顔を見て、アスタリアも思い切り笑った。だがリコルトの眼鏡のレンズが反射して真っ白に染まる。真顔になった途端アスタリアににじり寄った。


「逆にお前はいつ知ったんだ。団長は俺の後とか言ってた気がするけどな」

「あ、まあそんな感じそんな感じ」

「というかオーリオさんの事件も颯爽と居なくなって」

「え、えええええ、それ今か?」

「もう僕は待つはやめたんだ」

「は?」


 アスタリアを壁際に追い詰め、手で退路を塞ぐ。身長の高いリコはギラギラとした目つきでアスタリアを見下ろした。


「アスタ、あのスカートの一件も出来るだけでいいから僕に教えろ。手伝ったんだからそれぐらいはいいだろ」

「言い分は分かるけど、でも…」

「どんな男だ」

「えっ!?」


 どこからか分からない汗がアスタリアの頬に流れる。まさかバレているのか…。


「身分は、どこに住んでる、いつ会ってるんだ、僕には会わせられないのか?」

「ままま待って、一体いつ分かったんだ?」

「分かるに決まってるだろ。あんなん作るぐらいだから」

「リコの事舐めてた! だから許して…」

「僕は良い。もしかして女か?」

「……なんでそうなる」


 聞く度にコロコロ表情を変えるアスタリアに、リコルトはもう自分の事をバラしたんだと確信した。ディアロですら隠し通したのだから、ここまで親密になったのならいっそ騙されたのでは無いかと疑ってしまう。そもそもこの秘密を言う程なのだから、男ならそれはもう交際………。


「僕に会わせて貰えないのか?」

「…分かんない。難しい…のか…?」


 確かに会うのはふたりきりが良いに決まっている。だがこればっかりは僕が…。


「うおー隙あり!!」

「なっ!?」


 考察をしていたリコルトの隙を見て、アスタリアはリコルトをベッドに突き飛ばす。そのまま手を拘束すると、「あ、つい」と呟いてリコルトの顔を見た。

 髪が乱れて不服そうなリコルトが少し面白く、ちょっと笑ってしまった。


「昨日習った取り押さえの護身術、実践してみてもいいか?」

「却下。早く離せ」

「俺にやり返さないか?」

「知らん。いいから退いてくれ」

「なんか怖いんだよリコ」

「お前が変な隠し事するからだろ…」


「変なのはお前らだ」


 突如として振ってきた声はドアの方だった。

 金髪の少年、半開きなドアの縁に寄りかかって赤い疑心の目を向ける彼は、この国の王子。


「レオンハルト…、様……」

「よおアスタ。これって黙っといた方が良いやつ?」


 お互い顔を真っ赤にしながら、とてつもない早さで膝をついた。顔を地面に下げて小刻みに震えながら。


「申し訳ございませんでした! 大っ変お見苦しいところを!!」


 今まで聞いたことのない声量でリコルトが叫ぶ。「声でか」と呟くアスタリアをリコルトが小突いた。


「俺もドアが壊れるぐらいノックすればよかった」


 と冗談を口にするレオンハルトは、変わり身の早すぎるリコルトを目にさっきから肩震わせている。ツボに入っているのを隠しているつもりなのだろうがバレバレである。

「顔を上げろ」という命に、恐ろしく顔を赤くしたリコルトを見て耐えきれなくなり大声で笑い始める。


「以後気を付けます………」


 隣で同じく笑いそうになっているアスタリアを睨みながら、リコルトは反省を述べた。


「王子、何故ここに…」


 話題を逸らす様にリコルトが問うと、レオンハルトは涙を拭って「ああ」と反応した。


「色々用があってな。なにしろ国の主戦力騎士団は宝。王になる人間が出向くのは必然の事だ」

「宿舎の僕の部屋が宝ですか…」

「勝手に覗いたのは悪かった」

「い、いえ…」


 あまりにフランクな王子にリコルトは呆気にとられる。なんだか面影が…。


「アスタ、ちょっと中を案内してくれ。もうオリスとフレイキは見回ったんだが此処は初めてで」

「あ、はい! でも何故…」

「王になる身だから、全ての団をしっかり見学をしておけってお祖父様の言いつけ。それにそれが王族の伝統でもあるらしいし。忙しそうだから呼ぶより来る方が早い」

「はあ、ですが…。ええっと…」

「なんだ」

「…何故お一人で…?」


 レオンハルトは身軽そうな衣服を身に着け、周りにお付きの様な人間は見えない。

 にやっと笑ったレオンハルトは、アスタリアとリコルトを指さす。


「一人の予定だったがもう一人増えた」

「…え?」

「…ん?」


 数時間後。

 レオンハルトの腹が空いたという発言から、食堂の席についた三人がいた。アスタリアは食事を取りに向かっている。


「お気に召しましたか?」

「設備は意外としっかりしてるんだな。あと管理。手伝いもあまり雇っていないというのに」

「自給自足…とまではいきませんが、出来る範囲は己の手で行えが団長の口癖です」

「へえ」


 ガヤガヤとうるさい騎士たちはレオンハルトの事に全く気付いていていない。先程はアスタリアが名を呼んだことで王子だとリコルトが察する事が出来たのだが、王の方が目立っているので王子の容姿はあまり巷では知られていない。

 ハラハラしながら騎士団の設備の説明や案内を行っていたリコルトは、段々と顔色が悪くなっている。


「お前すごいな、団の心構えを暗唱し始めた事は驚いた」

「…え」


 突如の褒め言葉につい体がフリーズした。アスタリアにも粗相がないか常に気を配っていたため、緊張しっぱなしの身がすっと緩んだ気がした。


「…光栄に思います」

「そうか、アイツはお前に習ったんだな」

「…え?」


 くっくと笑うレオンハルト。

 アイツだ、アイツ。と目線の先にはご飯を待っている笑顔のアスタリア。


「習った…とは?」

「初めて会った時、お前みたいに堅苦しかった。今はマシになったが…。そうか、お前がアイツの家族か」


 家族。

 本来は仲間と言うべきところを、レオンハルトは家族と呼称している。つまりアスタリアがそう伝えたのか。


「…家族、ですね。アスタにとってはそうでしょう」

「お前は違うのか?」

「私は本当の家族が別にいます。ですが…」


 死線をくぐり抜けた後、笑える場所がここならば。


「アイツにとって心地いい場所にしてやろう、とは思っています」

「そうか」


 机に肘をついてアスタリアをじっと見るレオンハルト。その様子を見ながら、あまりに王族とは言い難い態度に少しリコルトは気分が落ち着いた。食事時ぐらいは気を抜いても大丈夫そうだ。


「お前にとっては守るという感覚なのだな」

「…守る?」


 不意打ちで投げかけられる独り言のような言葉。だがレオンハルトの先にリコルトは居ない。

 そういえばアスタリアの話は、ある日を堺に稽古以外の事もするようになっていった。その「信頼」がもし確実ならば。


「王子、一つ質問しても」

「なんだ」


 未だにアスタリアから目線を外さないレオンハルト。今朝方、リコルトがアスタリアに抱いた気持ちを思い出す。

 今度は、絶対守るんだ。


「お会いした際様子がおかしい等ございませんでしたか?」

「おかしい? あー、いつもあたふたしてるな」


 一段とおかしかったのはあの日の、あのスカートに着替える前だ。挙動不審なのが滲み出ていた。


「挨拶はしっかりと教えたのですが、その時の笑顔などどうでした?」

「笑顔…か」


 あの時剣を抱えたまま、控えめの挨拶だった。側近の騎士に命名したというのに、挨拶は女性の方の。なんともあべこべで面白かったものだ。


「笑顔だったな、俺もつられて笑ってしまった。あの時は状況が特殊で」

「そうですか」


 何かを確証したままのリコルトは手を眼鏡に添えて上げる。王子にカマをかけるなど不敬なのだが、こればっかりは。


「リコルト、といったな」

「はい」


 だがレオンハルトは瞳を光らせ、彼をじっと見据えた。


「その時アスタリアは顔を下げていたが? ()()()()()()ならば、表情を変えろなど注意せぬとも姿勢の方を気をつけるべきでは?」


 今まで隠していた、というよりも現れていなかった威圧がレオンハルトからリコルトに注がれる。

 両者の目が合う。そして確信が体中を駆け巡った。



 __知っている。




「遅くなりました! 今日は俺の好きなものばかりでー…えっと、どうかしました?」


 お膳いっぱいに料理を持って来たアスタリアは、2人の空気の異常さに気がつく。が、何が原因までは分からず恐る恐る話しかけた。すぐに笑顔を取り繕ったリコルトは料理の配膳を行い始める。


「手伝いに行かなくて悪かったな、いいからそこに座ってくれ」リコルトは自身の隣をさした。

「ああ」

「アスタ、ここでのマナーをあまり知らないから俺の隣でいいか?」

「マナー…、というマナーはございませんが…」


 では、とリコルトではなくレオンハルトの隣に着席した。首をかしげ、リコルトを覗き込むレオンハルト。目を合わさぬよう並べるリコルトの眉には皺が寄っていた。

 食事をした後は騎士団の見学を再開した。だがアスタリアが先に進んでいくうちに意識をし合う2人は置いていかれる。良くも悪くもマイペースなアスタリアについて行きながら、一周した後アスタリアたちの住む宿舎に向かっていた。


「ここを上がれば俺の部屋で…あ」

「あぁ」「あー!」


 アスタリアの部屋の前には、あの双子が居た。


「王子いました。どこ行っていたのですか」

「どこって、見学に」

「我々も行くと言いましたよねえ。もう王子…」


 余程心配していたのか、駆け寄って体をわしづかむ。過保護ムーブに慣れているのかレオンハルトは真顔で包囲された。しばらく安全を確認した後、リルとエルは小さい見習い騎士を発見すると「ああ!」と笑顔になって近寄った。


「おふたりともありがとうございます」

「久しぶりです、お世話になりましたぁ」


 リコルトは慌てて返事を返す。お世話になったのは実質おあいこだ。


「勝手にご案内してしまってすみません」

「いいえいいえ! ですが助かりました、ありがとうございます」

「ここの騎士団長はお話が長いのは承知していましたが、まさか歳を重ねたら更に長くなるとは計算外で…」

「一体何年前まで遡れば気が済むことか…」


 リコルトとアスタリアは顔を見合わせ吹き出した。セリフから読み取れる辺り切り上げたというよりも逃げ出したという感じだ。団長がそういう雰囲気ならば、この2人は団長と古い仲なのだろう。


「先に行ってて良い、ある程度見て回れって言っただろ」

「王子だけ逃したんですよぉ…」

「私達頑張りましたよぉ」

「あぁ…、だからお一人で宿舎まで」


 隣に隣接するため移動は容易だ。ずっと何故かを模索していたリコルトは腑に落ちた疑問を、やっと頭から追い出した。


「宿舎あ!?」

「王子宿舎まで向かわれたのですか!?」

「……ハイ」

「王子!! あれだけ距離を置くようお伝えしましたが!?」

「王子、宿舎はれっきとした憩いの場です。王族は立ち入ってはならぬのですよ!!」


 憤慨というか、叱る親のような態度でレオンハルトにまくし立てるリルとエル。腕を組んで目を伏せるリコルトと、居心地悪そうな笑顔なアスタリアはその様子を見守っていた。


「いいですか、パーソナルスペース!!」

「よろしいですね!?」

「…………ハイ」


 めちゃくちゃ小さい返事をレオンハルトがする。「小さい!」「ワンモア!」と急かす2人。

 先程の威勢や王族特有のオーラは何処へやら。イメージなら小さい獅子が大型犬にしつけられている。


「よく見るのか? この説教は」

「…時たま」


 ふとレオンハルトが騎士見習いたちに視線を飛ばすと、2人は生暖かい目でこちらを見ていた。

 ムッと頬を膨らませるとすぐさま「王子似合いません!」「もっと格好いいお顔をなさって下さい!」と飛んでくる。しばらく言葉攻めをくらいながら、レオンハルトは「そうだ、あれは?」と問いかける。何やら思い出した様子で、2人はヌッとリコルトとアスタリアの目の前に滑り込んだ。


「こう言ってはなんですが」

「少しここいらに用が御座いますので」


「?」を浮かべる2人に、リルとエルは気味の悪いぐらい満面の笑みを向けた。




 ***





 夕食を三人でとった後、レオンハルトは騎士団長が呼んでいると双子に呼ばれ連れて行かれた。

 去り際、リコルトたちに言い残す。


「俺は床で寝るのはあまりしたくない」

「ちゃんとご用意しますので……」


 ご安心下さい、と追加で念押ししアスタリアと共に今晩のシーツを取りに行った。


「立ち入るな、と言った次は泊まらせてくれか」

「まあ公務が長引くって事は良くあるらしいしな」

「…大変なんだな、王族って」


 そんな立場になるはずの人間も、こればかりは同情しない訳にはいかなかった。


「リコは継ぐって思っていたのか?」

「いいや。生まれてちょっとずつ分かってきてた。それに俺には向いてない」

「頭は良いのにな」

「お前はその頭が足りない」

「あー言ったなー」

「だったら早く計算方式も文字も覚えることだな」

「くっそー」


 風呂支度を行い風呂場に急ぐ。

 時間帯はきっちり決められており、見習いは前後の風呂掃除を条件に一番風呂になっている。個室にも小さめの浴槽はあるのだが、設置されていないのがほぼ。階級によって部屋割りされているので自然と流れは決まっている。

 脱衣所と浴室に繋がる扉の前に待機しているリコルトは、誕生日に2人からもらった計算書を読んでいた。いくら時間帯が決まっていても突然風呂に入りたいと突入してくる人もいるかもしれない。そんな時は、アスタリアが掃除していて入れないと言い訳をするのだ。…現実はその後どうするのか考えていないし、そう上手くいくのか分からないが…。だが、今まで一度もそんな問題には直面していない。回避するためにいつも風呂の時間は微妙な時を狙っている。


「……ったくとんでもない人に目を付けられたな」


 ぽつと独り言をこぼすリコルト。すると、浴室からまた大きな物音がした。


「おい、大丈夫か!」

「……!!!、!!、!!!」

「…あー、わかったー」


 反響して何一つ明確に聞き取れないが、生きているということは分かる。

 最近石鹸を別の物に変えてから、こういう音が増えた。団長曰く少し資金に余裕を持てたのでワンランク高級品に変えたらしいというのだが…。泡立ちがトップクラスらしいそれは、アスタリアにとって相性は良くなかったらしい。…ほらまた音が…。

 心配になり、木材の扉に向いた。聞こえぬ見えぬ彼女に声援を送る。


「アスター、生きろよー。頭! 頭守れよー!」

「浴室で何と戦ってるんだ」

「ワァーーーー!!??」


 デジャヴ!? リコルトは咄嗟に扉を両腕広げて隠した。


「風呂か。お前入ったか?」

「い、いいいいえいえまだです」

「じゃあ入るか。一緒に入るんだろ? 団長が言っていた」

「いや、え、ちょっと」

「リコお!? すまない! 泡がちょっと目に入って…」


 キィ、とリコルトの背に扉が当たった。一瞬脳がフリーズする。今振り返ったら、死ぬ。

 バッとレオンハルトを見た。彼は……顔を真っ赤にさせ、口を手で抑えて首ごと目を逸している。


「…分かった。アスタ、布だな」

「あ? ああ! 目が痛くて…」


 どたどたと籠に入っているリコルト用の布を手に取ると、必死に腕を振る。ぐいっと引っ張られた手応えと共に手放す。


「ありがとう!!」


 扉の閉まる音がした。


「ッハァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…………」


 どちらの口からなのか分からないぐらいに、とてつもない大きな溜息が漏れた。



 ***



「はぁ。いい湯だった。あれ、レオンハルト様…」

「入る」「俺も」

「え、え、えっと…?」


 目を合わさずすれ違う2人。だがリコルトのみすれ違う直前、アスタリアの頭を掴んだ。


「リリリ、リコ…?」

「後で話しがある。……いいな」

「ひい…」


 良し、と返事をした後、まだ掴んでいるアスタリアの髪を指先でゆっくりと梳いた。


「お前にとっては相性悪くとも、髪質とは良いんだな」

「あ、ああ石鹸か。うん。艶が増したっていうのかな」

「そうだな」


 2、3度梳いた後、髪に顔を近付けた。匂いはしない。きっと一緒に住んでいるからだろうか。

 不思議そうなアスタリアを見ると、つい脳内に色んな表情が浮かぶ。くすっと笑った後、アスタリアの頭に顎を乗せた。


「…リーコーー」

「低いな。丁度いい」

「あーそう…」


 温かい。生きているを確認し、手を離した。


「後で転んだ所を見せろ。あと、痛かったら痣になる前に冷やすこと」

「はいはい」


 脱衣所から逃げるようにアスタリアは出ていく。

 本当はもう少し体温を感じていたかったが、兎にも角にも後ろからの視線が痛かったため止めにした。


「ああやってお節介焼くんだな」

「お節介というか、僕の常識を精一杯伝えてる、といいますか…」

「傍から見れば俺と双子っぽいな」

「そうですかね…」


 背後で脱衣を行っているレオンハルトを盗み見ると、背中に一段と大きな傷が刻まれていた。

 一瞬時が止まる。手に持っていた衣類を一体どうするのかあぐねている所、リコルトはレオンハルトの目の前の籠を指さして教えた。


「そこに入れて下さい。あ、貴重品があればアスタに…」

「特に無い。そうか、ここに」


 バサバサと無造作に投げ込み、そのまま全裸で浴槽に向かって行く。


「ここかあ?」

「あ、私も行きます」


 急いで脱衣を行い、彼の背を追った。だがレオンハルトはリコルトを先に行かせ、キョロキョロと見渡していた。


「…狭いな」

「……はあ」


 男所帯で使用するために設計されたものだが、なんだか格の違いを無意識に知らしめてきた。


 ***


 風呂場から出た先は外に通じる廊下だ。

 白い光を発しながら輝く月の下、アスタリアは手すりに寄りかかった。

 なんだが一日が長いと感じながらも、心の底では楽しんでいるアスタリアがいた。いつもお城については時たま案内してもらっていたが、こちらの生活を説明出来る日が来ようとは。きっと誰も考えなかったハズだ。

 そう思った瞬間、楽しい気持ちが落ち着いて心がじんわりと重くなった。肩にかけている布から手を外し、両掌を目の前に翳す。月明かりにそのまま移すと、影を掴んでいるように思えた。


 ふと視線を下げると、中庭に人影があった。それは同じ部屋の…。


「オーリオ!!」


 随分と久しく会っていなかった。どうしているのかも、団長すらも分かっていなかったのだ。療養が理由で騎士の休職願いを受理してから、彼は休むどころか騎士団で全く見ない。噂も聞かないので、誰かが死んだと不謹慎にも呟いていた。その度に胸が苦しくなったが、アスタリアはリコルトの励ましと共に信じ続けた。


「オーリオ!! 何処に行ってたんだ! みんな心配してるんだぞ!」


 慌てて中庭に飛び出し、彼に駆け寄った。裸足であったがそんな事気にならなかった。なんだか月明かりに照らされた彼が幻想的で、もしかしたら幻なんじゃないかと思うぐらい。


「便りとか出そうと迷ったんだがな」

「オーリオが? それこそ本物かどうか疑われるかもな」

「俺だって残ったお前らのことぐらい心配するんだよ」

「じゃあ顔ぐらい出したらどうなんだ」

「へえへえ。ごもっとも」


 久しぶりに見たオーリオはなんだか静かだった。というかディアロを助けた日も、直ぐにどこかに消えて会話などしていない。


「…今までどこに行ってたんだ」

「旅」

「…たび?」


 そう、とオーリオは銀目をアスタリアに向けた。月明かりが後ろにあるが、影に飲まれず美しく光っていた。


「お前、光に当たると瞳が明るくなるんだな」


 オーリオがアスタリアに近付いて頬に手を添えた。そのまま上に向けると、目を合わせて小さく笑う。


「綺麗に成長したな」

「…オーリオ?」

「あー、悪い。おっさんが触って」

「オーリオはおっさんだけど、俺の師匠だろ」

「師匠なら若い方が良いとか言えないのか、この弟子が」

「だってオーリオだし」


 くっくとお互い笑顔になった後、アスタリアはそっと問いかける。


「オーリオ、もっと武器を増やせってどういうことだったんだ」

「…あー。あれか」


 今度は頭に手を添え、隣に立ち直す。


「お前がもっと、こう騎士団で苦労しないようにって感じだな」

「……王族に取り入れって感じか?」

「…その様子じゃバレてるみたいだな。まあそんな感じだ。ここに縛られて生きるのも、お前じゃない気がして」

「剣が似合わない?」

「俺の教えた剣だ。お前に合ってるに決まってるだろ」

「そっか」


 オーリオの撫でる手はずっと続いていた。そのまま彼は口を開く。


「お前の仲間の件、まあ…俺が教会潰した延長で」

「ああ、大丈夫なのか? 教会って王族とかなり続いてる伝統って…」

「深く関わっちゃいるが、まあなんとかなるだろ。その潰した街の近くにそういう気味の悪い風習があったんだよ。頭に来たから村ごと降伏させてその黒いヤツごと潰してやった」


 あまりにさらっと事後報告するものだから、呆気にとられてしまった。こういう男が過ぎるのだ。


「…お疲れ様。騎士団に戻ってきたのはディアロに伝えるため?」

「正確には団長に、な。とりあえず後から到着した騎士団が調査して、犠牲になった人なりその村なり調べでその報告書と俺の独断専行の処分書を預かった」

「ちゃっかり叱られてるな」

「運が悪いから紅い月の時にはあまり出歩きたくなくて計算して帰った。でも…、まあ、運が良いって訳でも無かったけどな」

「ああ…」


 でも救世主のように頼もしかった。いつもより背が大きく輝いて見えたのだ。

 …恥ずかしくて言える訳も無いが…。


「………アスタリア」

「何?」


 頭を引き寄せられ、オーリオの胸に埋められた。

 あまりに軽い力に驚き抜け出そうとしたが、優しい手付きで出来なかった。


「お前は違う。だから生きろ。いいな」

「…オーリオ?」

「……どうだ、やっぱクサかったか」

「あ、え? なんだよ、誰か口説くのか?」

「にしては重すぎだろ、どうだっつってんだ」

「それをなんで俺に聞くんだ。団長とか良いんじゃないか、モテそうだし」

「あいつは駄目だ駄目だ。告白の間日を跨いじまう」


 アスタリアが笑うと、満足したのかオーリオは踵を返した。


「じゃあな! また戻る」

「もう行くのか?」

「手柄立てるさ。気を付けろ、超えるべき師匠はもう見えねぇところにいるかもな」

「じゃあ俺は見失いように見とく!!」

「頼もしーな」


 そのまま、彼は暗闇に消えていった。ほっと一息付いた時、背後からザクっと物音がする。

 すると後ろには小枝に驚くレオンハルトがいた。


「レオンハルト様」

「誰だそいつ。此処には俺とお前しか居ないはずだが」

「…レオ。どうかしましたか」

「ん。さっきのって、お前の師匠か」

「ええ。さっき帰ってきてさっき出ていきました」

「挨拶でもしようと思ったんだが、実に働き者だな」

「前はそうでもなかったんですがね」


 跡を見ながらそっと呟いた。

 レオンハルトはアスタリアの遠い目を見ながら、肩に手を置いた。


「なにか話したか」

「功績を上げるからお前も負けるなと。俺が見張っているから、気を抜くなとも言いました」

「…そうか、功績…」


 アスタリアの憂い気な雰囲気はその言葉もあったのか、とレオンハルトは察す。


「お前、俺の騎士になったって言ってないだろ」

「わからないです。でも自分が行動したのは認めていました」

「…借金の…あー…ディアロには」

「………伝えていないです。正確な金額も教えないで欲しいと団長にお願いしたので…」

「そうか」


 レオンハルトはアスタリアの手を引いた。


「いくぞ。リコルトが待ってる」

「…はい」


 力強い返事をした後、2人は歩き出した。

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