8話
何かを見落としている気がした。
「王子!? 何をなさっているのですか!」
「模造剣はお部屋で振り回すなとあれだけ!」
「専属の騎士ぃ!? ご勝手にそのような」
「いやでもオーリオはそれでも良いとは言っていましたが…」
「アスタリアさん…その格好は?」
「王子、状況を教えて下さりませんか! リルとエルはもう訳が分からず…」
ゲラゲラと笑うレオンハルトに世話役の二人はあわあわと扱いに困っていた。
横暴…、そう、彼は横暴なのだ。他人の正義にあまり関心が無く、王族の気品を兼ね備えた青年。
己の信じるものを指針として生きる王様見習い。
「ああそうだ、アスタリア」
「は、はいっ」
レオンハルトは近くの机に積まれていた掌サイズの箱を掴んでアスタリアに投げる。
器用にキャッチしたアスタリアはレオンハルトに目配せをした。早く開けろ、と言わんばかりの視線にアスタリアはお礼を述べて開封し始めた。
「王子、あれってまさか」
「まさかあれって、王子」
包を外して箱の蓋に指を引っ掛けた。ぐっと力と期待を込めて開けた瞬間、中から勢いよく何かが飛び出してくる。
「わあっ!?」
つい尻もちをついてしまった。さっきの交渉の緊張感も残っていたのだ。
びよよよーんと箱から垂れ出ているのは、デフォルメの蛇人形。
何が起こったのか全く掴めていないアスタリアを横目に、レオンハルトは王子らしくなく豪快に爆笑していた。エルとリルはいそいそとアスタリアに駆け寄り手を差し伸べたり支えたりしている。
「悪趣味と申したのですが…」
「でもこうでなければと…」
それは紛うことなきビックリ箱だ。抜け殻の、ではなく人形のヘビが憎たらしいほどにかわいい。
「隙あり」
してやったり。その言葉がピッタリのイタズラっ子の顔だった。
***
帰路。
エルとリルは今回は帰りも同行することになった。一度断ったのだがレオンハルトの絶対的命令(風な口調)により搭乗は確定になった。リルとエルはずっとアスタリアに謝り倒している。
だが、アスタリアも勝手に王子に謁見すらも申し込まず契約に持ち込んだことを詫びた。しかし二人はキョトンとした顔で返す。
「まあ、彼もまだ子供ですから」
「これからですけれど、今ではありません」
レオンハルトがどれだけ大切にされているのかがよく分かる一言だった。だが、二人の心配はレオンハルトよりもロコに向いている。
一体どのように解呪を行うのか。その目処は本当に大丈夫なのか。
「…少し心配ではあります。ですが、心当たりは少し」
こればっかりは自分のこれからを信じるしかなかった。
しばらく馬車の中では静寂が訪れる。王家の所有物でもある為最新モデルらしいし、刻む魔法の力である程度強化がされているが移動の時間は要する。アスタリアは心の中にある蟠りの正体を探ろうと、ずっと必死に脳を回した。
ああそうだ。ディアロは騎士団を辞めてしまう。
病気を治して、妹を迎えに行くために。
…いいや、彼は死ぬ。病気を暴発させて、
___リコルトの目の前で死ぬ。
いつ?
馬車の中で長考していたアスタリアは突如、悲鳴に似た声で運手に告げた。
「急いで!!! 急いで下さい!!!」
祈りながら道中過ごし、リルとエルも深刻そうなアスタリアに声をかけられなかった。
到着してそうそうアスタリアは馬車から飛び降りた。しっかり2人に挨拶した後、大変失礼ですが!と叫んで何処かに走っていった。
「元気ですねぇ」
「若い感じがしますねー」
自室にはディアロも、リコルトも居なかった。焦って団員に何人かぶつかってしまう。その度に怒声が聞こえたり野太い悲鳴が聞こえるが、謝ることすら忘れるほど走り回った。いつもより人数が少ない。そういえばこの日は正規騎士の大規模な集まりがあるため、ほぼ全員そこに出払っていたのだ。
中に居なかったので宿舎のを一周囲むように探索していく。角を超えた先に、逆光に照らされた影がある。真っ暗だったが、シルエットですぐに誰か解った。
「ディアロ!!!」
なりふり構わず駆け寄った。肩を上下させ、いつものロードワークよりも息を上げて空気を吸う。
「ああ良かった、無事で…」
彼の顔を見ようとした瞬間、周囲がドス黒い何かに覆われていることに気付いた。
それはまるで。否、もう確定で。
太陽がディアロの後ろに落ちた。黒い影を全身に這わせたまま、彼はこちらを振り向いた。
「…あすた、」
そして、彼の橙目はアスタリアの後ろから昇ってきた紅い月に照らされ。
左目からは黒い煙が上がっていた。
「ディアロ……ッ」
慌てて口を両手で塞いだ。死ぬ、何故だか生存本能がそう警報を鳴らし続けている。
「どうしたディアロ。なぁ、何が…!!」
必死に喉を絞って声をかけた。ディアロは光の点っていない目を最大限見開き、その瞳孔から涙を流した。だが左目だけは様子が違う。液体といえど黒く淀み、粘着性のある涙を頬まで垂らす。
「しんだ」
「…え?」
彼は涙を拭う事なく、淡々と言った。
「いもうとが、さっき、しんだ」
全身から血の気が引いた。ああそうだ、「キャラの闇落ち」の条件。
それは、その人物最大のターニングポイントが訪れた時。
彼は耐えきれなかったのだ。
今までの日常が。あの日までの過去が。
それでも何とかしのいで、自分を飾って他人に見せてきた。
夢を追い続けた代償として、こうなる運命になっていたのだ。
「ディアロ!!!」
アスタリアが叫ぶ前に、ディアロは獣のような雄叫びを上げていた。
だがそれは悲痛に似た叫び声で、左目の黒煙が勢いを増し燃えるように肥大化する。
「ディアロッディアロ!! ディアロ!!!」
ディアロから何かの風圧が発生し、たちまちアスタリアを引き離す。
「ああああああああああああああ!!!!!」
彼は必死に左目を煙と一緒に両手で抑えつけていた。出る黒煙の痛みに耐えきれないのか、自身で止めようとしているのか。
だが両手は煙に触れた瞬間、気味の悪い音を起てて変色し始める。震えながらも必死に指で囲っていた。
お陰で一瞬風圧が止んだ。地を踏ん張り、苦しむディアロを見ながら顔をくしゃくしゃにしながらもにじり寄った。
「負けるな、ディアロ負けるな!!」
彼の手に、アスタリアは両手を添えた。
強烈な痛みが手を伝わって全身に轟いた。ビリビリと震える。孤独と悲しみを振動にしたような、心臓が壊れるほどの痛みだった。
手の皮が火傷のような傷が付き始める。呻き声を上げながら抑えるディアロはもう真っ赤だった。
「アスタ!!」
その時、先程来た道から声が聞こえた。
光景を目にした途端、顔を歪ませて手に持っていた訓練用の剣を放って駆け寄る。
「リコ…ッ…!!」
手の包帯が解け、傷から血が吹き出した。
痛みで顔が歪んでリコルトが更にアスタリアの上から手を握って重ねる。じゅぅっと痛みがリコルトを裂いた。
「リコ、早く誰かを…!!」
「これ以上僕に何も隠すな!!!!」
アスタリアが言った瞬間、リコルトは糾弾した。
「おい!! 騎士団辞めるなんていつ言った!!! さっき知ったんだぞ僕はぁッ!! これは何だよディアロ…!! もう何もかもがさぁっ!! けど! お前ら全員、同期で!! 仲間で!! 騎士だろうがああああ!!!!」
ディアロの脳内に、三人の笑顔が弾けた。
最後の力を振り絞ってディアロは両腕にアスタリアとリコルトを抱く。
左目は醜く黒く変色し、尚も黒い液体が流れている。だがもう片方は涙に濡れ、溶けたように綺麗な色をしていた。
「ありがとな」
ぎゅうっと力を込めて二人を抱きしめる。
そのまま力が抜けて、地面に倒れた。
「ディアロ、ディアロ!! おい!! 起きろ!!!」
リコルトの必死の呼びかけにも応じず、彼は苦しそうな顔で胸を抑える。呼吸が荒く、段々と吸う回数が少なくなっている。
リコルトが声を枯らしてディアロの名を呼び続けている。アスタリアは抱きしめられた温もりの衝撃に耐えきれず膝から崩れ落ちたまま硬直していた。
「ディアロぉっ!!!!」
嗚咽に近いリコルトの声でハッと正気に戻った。だがまだ虚ろの意識のまま、アスタリアはディアロに近寄った。
「アスタリア…、」
大粒の涙を溢したままのリコルトは、アスタリアの異変を感じ取る。
ヨロヨロとディアロへしゃがみ込んだアスタリアは両手を彼に翳す。
「助ける、助けるんだ、私が、私がやるんだ、助ける、でぃあろを、私が」
ポウっと両手の前に、白い魔法陣の成りかけが浮かび上がる。ただ本能に任せて己の魔力の微細な流れをなんとか感じ取っていく。
熱が頭から手に回り始める。段々と光を帯びていく魔法陣。神聖な光を出しながら、紋を閉じる円が描かれた瞬間…。
「あ゛あああああ゛あ゛あ゛ぁああ゛あ゛あああ゛あ゛あぁあ゛あ゛あああああああああ!!!!!!」
「アスタ!!!!」
庇ったリコルトと一緒に薙ぎ倒され魔法陣は粉になって消失した。
「ディアロ…っ」
彼は手を地面に付き、四足歩行のような構えでアスタリアたちを見ていた。ヨダレが垂れた口はもう人間の面影は残っていない。
「ディアロ、ああディアロ…!!」
アスタリアは朧気な足取りでディアロだったものに手を向ける。だがリコルトが羽交い締めで抑え込んだ。
橙の目を残したまま、ディアロはアスタリアたちに飛びかかってくる。だが、何処かから飛んできた剣が彼の左目に命中し、地面に倒れ込んだ。
誰だと目を向けた先に居たのは、アスタリアにとっては見知った顔だった。
「もう黒魔獣になりかけです!」
「おふたりとも! 大丈夫ですか!」
そっくり双子のリルとエルであった。
だが二人の他にも一人居る。身長差で隠れていたが、二人がアスタリア達に駆け寄った後オーリオはその場に留まってディアロをじっと見据えていた。
「誰…、だ」
リコルトは目を擦って確認する。「国からの者です」「公務員です」と淡々と説明する二人。だが獣もどきの怒鳴り声で意識はすぐに逸れた。
「ああもうだいぶ…」
「左目ですか、コアは」
「双子! 頼めるか」
オーリオは目を逸らす事なく叫んだ。
「ええ。手伝ってくださいね」
「このお仕事は我々が適任ですけれど」
「分かってる」
三人は合図も無く同時に飛び出していく。
「光あらせられる民に贈る、祝福を」
「水そそがれる地に望む、幸福を」
「波は我らの指針、自壊せし哀れな旅人」
三人は取り出した石をディアロに投げた。最後の呪文が終わった瞬間、バァッと光の輪がディアロを囲んだ。
「今だ!! 抑えろ、剣を無理に抜く!!」
リコルトとアスタリアは、喉から悲鳴が出た。
エルは大人しくなったディアロの頭を抑え、オーリオは体を抑え剣の持ちてはリルが握っている。
黒い煙は散漫し続けているが、煙が輪に触れた瞬間粉になっている。時間がない。
リルの手さばきの度にディアロの悲鳴が聞こえる。
耳を塞ぎたくなったアスタリアとリコルトだが、お互いの手をしっかりと握ったまま、ゆっくり、ゆっくりとディアロに一歩ずつ近付いていく。
輪に入った途端、オーリオは二人をディアロの体に抑えつけた。
「手伝うんなら最後までやれ。良いか、絶対暴れさせるな!!」
泣きながら、二人はディアロに話しかけ名前を呼び続けた。
ディアロはずっと叫び声を上げ続けているが、橙の目は光を取り戻していた。
「おい」
オーリオは二人に石を握らせた。
「もう呪文は入ってる。念じろ、祝福の式だ」
二人はディアロの手を握った。すると光を帯び、ディアロの全身を包む。
アスタリアは白。リコルトは緑だ。
「いい色だ。いいか、いくぞ」
リコルトとディアロ。
アスタリアとディアロ。
リコルトとアスタリア。
三人の繋ぐ手が、空に浮かぶ紅い月よりも強い輝きを見せた。
***
「じゃ、な」
左目に黒い眼帯をしたディアロは、アスタリアとリコルトに手を振った。
リルとエルの待つ馬車に向かおうとした瞬間、アスタリアはディアロに飛びついた。
「馬鹿!!!!!」
「はあ? それはないだろ、もっとなんかこう…」
「おい馬鹿、」
「あーリコも。なぁ、もっとさぁ」
意外な事に、リコルトもアスタリア諸共ディアロに飛びついた。
急なタックルに「おおっと」と危うくなるディアロだったが、普通に甘えられてむず痒くなる。
二人が再会したのは、ディアロの怪我がある程度完治した日。そしてディアロの旅立ちの日だった。
「あーはいはあい。まったく甘えん坊な兄弟を持ったもんだぜ」
ディアロは片手ずつ2人の頭を撫でていく。
しばらくして気が済んだのか、アスタリアとリコルトが離れた。
「どうだった、俺の胸…ってあっはははは!! お前ら顔真っ赤!! 慣れない事するからだよ馬鹿だなあ! っははは!!」
「…うるさい」
事の発端のアスタリアはそっぽを向いて返事をした。流れに乗っかってしまったリコルトは手で顔を覆い隠して完全ガードだった。
「まあ俺はもうこっちに戻ってこれないけど、騎士は諦めなくていいから」
「…本当にいいのか」
「あのさ、肩代わりを勝手に背負い込まれる俺の気持ち。なあアスタ、ここに貴族がいるんだから〜」
「元だ、もう帰ってもシーツ一枚貸してもらえないけどな」
「もう王子には話してあるんだろ。俺だって俺の人生ぐらいなんとかするからさ」
「…ああ分かった。絶対に会おう」
「おう。勿論。…リコ」
「…何だ」
ディアロはリコルトの顔をじっと見た後、出会った時のようにニッカリと笑った。
「たまには末っ子らしくな」
「…何だソレ」
「分かってんだから、結構寂しがり屋ってところも、最初宿舎に着いた時もホームシックにィ」
「ああああ早く行け!! 帰ってくんな!!」
「つめった! 冷酷騎士とか言われるぞ! ファンクラブ作られなくなるぞ!!」
「何いってんだっ」
早くしろ、の団長の叱咤でディアロはやっと馬車に乗った。
最後まで窓全開で手を振り、笑顔のまま彼は行ってしまった。
このまま王都に近い第三騎士団「エイピル」騎士団に面倒を見て貰うついでに仕事を本格的に始めるそうだ。治療も出来る設備も整っているらしい。これからの彼には酷かもしれないが、きっと大丈夫。
「さって、僕たちも準備しないとな」
「…あぁそうだな」
これからは我が身の選択だ。
学園、<本編>を無事に迎えれるかどうか。
アスタリア・バルモ。現在レオンハルトの専属騎士。主人公が来てしまえば死亡ルートまっしぐらの状態である。
***
ディアロが騎士団を去っていった自覚があまり無く、何度めか分からない寝返りをアスタリアは打った。
まだ脳が落ち着いていないので、ひとまず本編と今回起こった事のすり合わせを行っていくことにする。
妹の死の発覚、これは恐らく原作通り。だが今回はオーリオが単独で捜査を進めていたらしい。数日間居なかったのはこの為だったのか…? 確か小説の挿絵では、ディアロはサッシュベルト付き衣装を着ていた。
一瞬息が止まった。彼は出発の時にアレを発症したのだ。そうだ、彼は皆に見送られるのが嫌で正規騎士の会合に被るよう出発日を決めた。そこにたまたまいたリコルト…。
でも実際死なずにオーリオとリルエルの活躍でなんとか命拾いした。…あれ、でも私が城に呼ばれるようになって今日送迎されなかったら双子は居ないはず。そしてオーリオも本当は死んで…。
ディアロは暴走してもう人間で無くなりかけた。そして原作では死。
襲ってきたディアロの目に刺さったのはリコルトの剣。彼は鍛錬の途中。
リコルトは、未来に向けて出立するはずだった親友を……殺したんだ。
ボロボロと涙がシーツを濡らす。本当にこの世界は残酷なんだな。…いや、私の世界も変わらないかもしれない。エルリンの人気の秘訣、みたいな事を言えば聞こえはいいが、立ち向かう壁があまりにも息苦しくて歯を食いしばって耐え続けなければ生きる道は無い。
「……疲れたなぁ」
色んな人の表情が脳に貼り付いて離れない。決して心地よくはないが、悪いものでもなかった。