14話
「筆記具」
「オッケー」
「手巾」
「予備、共に持った」
「試験前に見直すメモ」
「全教科揃ってる」
「間食」
「ここに」
「心構え」
「よし…。大丈夫大丈夫大丈夫っ!!」
団長や他の団員に見守られ、都心行きの荷馬車に乗り込んだリコルトとアスタリア。王族からタクシーぽいものを派遣すると言われたが、丁重に断りを流石に入れた。アスタリアの本心に、あまり目立ちたくないことも有るが。
車輪に衝撃を吸収する細工がされているものの、着実に揺れのせいでダメージがお尻へと蓄積される。
「予備の手巾で耐え切れるかどうか…」
「集落で休憩を挟むらしい。ストレッチでもして紛らわせるんだな」
「リコは平気なのか?」
「僕の領土もそこそこ広かったし、荷馬車は遊びで良く乗っていた。祝祭や生誕の時は連れ回されて苦労した」
荷台の縁に座っているため、行先ではなく通った道を見続ける。跡を茫然と眺めていると、背後から人々のざわめきが流れてきた。
身分証の代わりとなる騎士見習いのバッチで入国をパスし、二人は初めてと言っても過言ではない建物の数々を見回した。
「意外だな。アスタは慣れてると思っていたのに」
「降りていたのは城内だったからな。ああでも、食べ物はやたらと詳しくなった!」
やれ流行のマフィンだの、キャンディだの言っていたのは餌付けされていたからか。餌を前に目を輝かせる、犬耳の生えたアスタリアが瞬時に浮かんで消えた。
「リコ! あの出店!」
ポップ調の飾りを纏った出張型の店を指差し、電光石火の如くリコルトから離れる。
「アスタ!!」
歩幅の広さが幸いし、アスタリアの腕を掴み留めることに成功した。キョトンとした顔で振り返るも、すぐに「ああ!」と感嘆を漏らす。
「そうだった…。お金を持っているのが怖くて、リコに預けっぱなしだった…。悪い」
「…気をつけてくれ。さっき衛たちに見せたのは何だった。見習いといえど、俺たちは騎士団の名を背負っている。品行方正、いいな」
「あの出店、滅多に見られないと…、ええと、どこかの…情報誌に小さく載っていたんだ。名前も見た目も絵そのままでつい…」
尚、ゲーム内の運試しに似た要素である。背景が表示される際、ランダムに出現する運営の遊び心。出現率0.02%。ただそれだけ。
「いや、やっぱ…やめておく。この服装だって立派な正装だもんな。噂が立ったら団長に叱られる」
「……いや」
リコルトは腕から手に添い、そのまま握ってアスタリアを引っ張る。
「一個ぐらいなら良いだろ。何が欲しかったんだ」
「リコ…」
金貨を入れた袋の紐を、あっさりと緩ませた。アスタリアは「やはりレア物だと頭のいい人には伝わるんだな」とハイのまま期間限定品らしいムースを二つ頼んだ。
アスタリアの購入動向を見守るリコルトは、ずっとあの声ばかりが脳裏に木霊していた。
あれがなんの内側なのか、皆が見えた内側と因果があるのか。
どこの書物にも載っていない事象に、ただ胸がざわざわと掻き乱されるだけであった。
「リコ! これだ、これが一番美味しいらしいんだ」
と、”ゲーム内最高レアな事象において物が買えたことに大興奮”しているアスタリアを眺めつつ、口の中でほんのりと広がる甘さを味わった。
アスタリアの目先のことに心底楽しんでいる表情。それだけでも、つっかえが薄れていくような気がした。
城の正門は大きな受付会場と化していて、強張った表情の騎士たちが候補生たちを捌いていた。
受験票に身分証を提示し中に入ると、外とは違った緊張を肌で感じる。
「みんな超人に見えてきた…」
「不安による錯覚だ。水でも飲むか?」
「いや、いい…」
甘いものを摂取したせいで胃が少し荒れ気味な気がしてきた。アスタリアはまぬけと心の中で自分を叱咤した後、用を足すと告げる。
外に簡易的なものを殿方は使うのだが、あまりに人が多いためひと足先に試験会場としてこの日の為だけに造られた建物へ行くよう提案される。
リコルトの頭の回転に感謝しつつ、人を避け駆け足で向かった。
だが、あまりにも人が多い。試験といえど大掛かりな体育測定のような催しのため、国のあちこちから魔法や頭脳、身体能力に自信のある者が奮って参加している。
そして身分は全く関係がないため、
「おーい!」
「レ…ルト、様…!?」
人混みの中、王族が二人も悠々自適に闊歩しているのだ。
「一体どのようなお考えで…」
目を見開いて心配しているリコルトに、まあまあと王子らしからぬ収め方をする。
「父上の教育方針のお陰で、顔を出してもこの通り。一時期大臣たちが将来について不安だと吐露していたが、こうして身分の人権について考えるいい経験だな」
装いはいつもの王族専用の練習着ではなく、団の練習着を纏っていた。それも…。
「なぜ王族とあろうお方が、一番城から遠い、我がエイグロ騎士団の…」
「良いだろう? 余っていたんで貰っておいた。ロコはサイズが無くて、渋々フレイキなのだが」
「…よくお似合いで…」
「どうも。なんならアスタと兄弟弟子だと明言しても差異無いだろうしな」
「…それはそれは。私もお仲間に入れてもらえるのでしょう?」
「そうだな。仲良く家族ごっこだ」
両者に飛び散る火花のような何か。同舎の騎士が喧嘩という騒ぎを軽く起こし、ロコの居心地の悪そうな顔で抑制され意地の張り合いは見送りとなる。
「で、アスタは?」
不機嫌な王子を他所に、本人は木造作りの建物で迷子になっていた。
「広いよぉ…」
半べそをかきながら歩き回る。お腹の不調はやや改善されたと思いつつも、行かなければなんだか怖い。戻ろうか否かの板挟みで、アスタリアは今後の予定についてちまちまと思い起こしていた。
学園に入る直前は全て、ゲームのファンディクスに収録されている。前日譚は別に扱われているし、設定の作り込みやシナリオライターすらも都度変更されている。そもそもキャラクター制作においても、一人ずつ人数を割いては指定されたプロットまで作り込まなければいけない。莫大な資料を多く作っては破棄の繰り返し。お陰でファンブックも制作が遅れ、予定の発売日までに間に合わなかったらしい。だが、待ち続ける熱狂的なファンが多くいたのは事実。最後までこのゲームは愛された。
いや、今はこの世界だ。
窓ガラスから見えるこの景色も、動いている人々も愛された世界の一部。システム下にある、一個のギミック。
こうして俯瞰して見ると実に不思議だった。ガラスに反射した自分の顔は「アスタリア」だし、アニメと比べて数十倍リアリティの高いモブたち。
全員が意思を持って、ここに来ている事。それはわかっているのだが、現実だと思うと余計に乖離して見てしまう。
まずい、ちゃんと実感を持たないと危険ルートまっしぐらになって悲壮的展開を迎えてしまう。記憶というか、断片的に思い出したものの中で、本編以外でも十分危険要素はある。
と、向こう側の騒音と一緒に一節の鼻歌を聴いた。
廊下の先。誰かがやってくる。
その時だった。
開く戸に雁字搦めになった、重くて硬いものが散らばる何やらおかしい音を聞いた。アスタリアの頭の隅にある引き出しから、一つの記憶が思い起こされる。
〜♪〜♪
そうだ。この景色、この陽の傾き具合。
________“あの”スチルにそっくり。
ファンディクスにおいて展開されるのは、攻略した対象と過去の記憶を思い出す内容。
それは本編後のハッピーエンドを覗いた後、「昔ああいうことがあったよね」といった感じでストーリーは広がる。
だがそれは“仕様”の話であって…。
…時間を自由自在に動かせる事、この世界では誰が可能だと?
「〜♪」
<エンジェル⭐︎リング>、レオンハルト・エイギリア攻略後ストーリー、ファンディクス編。
解放必須条件、人気のない試験会場において最上階の廊下に行く。なすべき事は、選択肢に表示される行き先を選ぶのみ。
本編と、ボーナスタイムであるファンディクス。
難易度が同じという確証は、どこにも無い。
「誰かいらっしゃるのですか?」
やらかした、とアスタリアは悟った。
なぜ今思い出したのか後悔しても遅い。エンドを絞る前に、今ある可能性について考えなかったのが敗因である。まるでネタバレをSNSでくらったような気分。
そもそも本編とファンディクスが逆転していて、フラグをへし折るなんて所業誰に出来る? ラスボスがはじまりの村に出るほどのルール違反ではないか。
心の中で反論を愚痴っても、あちらが姿を視認してしまっては何もかもが終わり。
元、といってはおかしいが、視点に立っていたのは変わりない。我らがプレイヤーにおいて一番親密で分身そのもの。無垢・純真・可憐と少しの勇気と大胆さで私たちを引っ張ってくれる。
薄桜のような色が若干散った白髪に、白と濃淡の赤が入り混じった瞳。エンジェル⭐︎リングの主人公。「アイリス・フォティア」である。
枯れぬ花があることを信じ、魔法と、自然の変化を愛してやまない。目に映る全ての事象を新鮮に受け取り、人との接触も臆せぬ精神。正に王道のヒロインそのもの。
その彼女が、学園生でもなく目の前に現れた。
アスタリアの危険フラグ対策としては、逆算して必要なものをかき集めていたものであり、その中でもイレギュラーなトラブルで円滑に対処できた事は一つもない。
(中途半端に思い出される記憶のデメリットも込みで)アドリブが大の苦手であることは把握していたはず。それが今後の課題となっていたが、大勝負がここで起きようとは。
「騎士、様…?」
ここの世界を壊さず、アスタリアに転生してきた使命をどうにか全うするには。
「申し訳ありません。ご令嬢がお見栄になっているとは思わず」
咄嗟に膝を付き、丁寧な挨拶を心掛けた。正解を知らずとも、正しいと思ったものを提示すれば…。
「そんな! 私は以前まで平民だった者でした。ここに来たのも、お声をかけたのも騎士様と知らず。…私の方こそ注意を欠いてしまいました」
顔を上げて下さい、と懇願する彼女はこんなにも綺麗かと胸を刺される。
アイリスが軽く笑うと、胸にある花のブローチが、光を反射して恍惚と輝いた。化粧を施しているのか、艶な口元と頬に散った紅が余計に美形を引き立てている。
言った通りアイリスはつい最近まで平民であったのだ。身寄りを貴族に引き取られ、成り行きで学園へ入ることとなる。尚、引き取られた家にもちょっとした仕掛けが施されているのだが…。
「私、アイリス…、フォティアと申します。ご無礼をお許し下さい」
「エイグロ騎士団のアスタリア・バルモと申します。アイリス様の御領名は存じております」
そこそこに有名であり、時たまリコルトから「フォティア」名を聞いていることを思い出した。
「まあ! フォティアにいらしたことが?」
「ありませんが、内戦において重要な土地だと騎士団で学んでおります。民を一番に考え、身寄りのない方々も積極的にお救いになった聖地であると」
「内戦…ですね。ええ、そうですね…」
あまりお気に召さなかったようだが、これ以上に褒める要素を知らない。準備不足だ。
「私は土地が荒れる事象について、あまり関心を寄せられないのです。良く無いと分かっているのですが、どうも争い事に向いていないと、思って…」
「お優しいのですね」
「い、いいえ!」
アイリスは伏せていた目を思い切り輝かせ、アスタリアの手を握った。
「以前、フォティアのお婆様から聖地と魔法について習いましたの。土地と魔法の向上に結びつく因果関係というもの。アスタリア様、どう思われますか?」
ロコが言っていたことに繋がるのだろうか。「欲望」か「奇跡」かの名称。場所とも一緒に考えるのならば、歴史とも強く結びつくだろう。
思えば、多くの魔法を浴びてきた。傷つき、傷つけられ、守り、守られた。
こんなの、ゲームじゃ体験ができない代物ばっかりだ。
「泥沼のような欲が生み出す魔法の中に、…光る奇跡だと思います」
アイリスは、目が眩むほどの笑顔を咲かせ、両手をがっちり握り上下に揺り動かす。
あわあわと困っているとはっと気が付き、赤面しながら離してくれた。
「つ、つい…。ごめんなさい、本当に」
「いいえ。納得して頂けたのなら幸いです」
一挙手一投足、アイリスは優雅だ。カリーナに負けぬ、平民を感じさせぬ優雅な雰囲気。髪をかきあげる仕草をした後、アイリスは吸い込むような瞳を向けた。
「吃驚しましたの。仰っている事が、土地の歴史などに関係の無いものだと思わなくて」
「…戦争、ですか」
「ええ」
魔法の発展要因、という訳だったのか。
歴史上、魔法の祖となる種族があっても実態は首を絞め続けるものであった。賢者と言われている家系も、必ず幸せになると保証されていなかったのだ。それどころか、魔法の才すら満点に振れない人材すらも産み落ちる。だがその彼も今日、寄り道をしてスイーツを一緒に頬張った。
もしかしたら危険が最大限迫った時だって、最後に残るのは根拠も形も無い物かもしれない。
「お婆様は、魔法は行動の奇跡から生まれるものだと言われています。その後に、絡み合う欲と、因果と取り返しのつかない事柄が…。アスタリア様は逆なのですか?」
「あ、そう思って発言していた…のですが、逆でした?」
「ええ…。私にはそう聞こえました。申し訳ありません、不愉快な思いをさせてしまったら謝罪致します」
「いいえ、少々人混みの空気に酔っていたもので。咄嗟という事であれば、きっとそれが私の本心であります」
「まあ! お邪魔してしまって、重ね重ね失礼を」
お顔の色が悪い、などと気遣いの言葉をかけたあと、ここから去りますと挨拶とお辞儀をした。
釣られるようにアスタリアも社交を行う。こういう場合立場が弱い者が長く敬意を示すっけ…、と散々叱られたリコルトのマナー講座を思いだす。
ネクストイッツ…。どう見送ればいいか習っていないと頭が混乱した時だった。
下げっぱなしの頭上から、可愛らしい声でキャッと悲鳴が降ってきた。
「えっ」
美人というより、心底キュートなアイリスの顔がすぐそこまで迫っていた。
体勢が体勢なだけに完全に対応が出遅れてしまった。今日は後手すぎるフラグ回避ぐだぐだデー。誰かに厄を浄化する魔法をかけて貰いたいものだ。ここの世界って神社とか寺院じゃなくて協会だっけ?
そうくだらないことだけが脳内を支配したのは、アイリスがアスタリアの胸に思い切り倒れ込んだからであった。
「もっもももも申し訳ありません! きゃっ、服がっ…、もおっ! すみません、直ぐに退きます!! 重いですよね私…! うわあああ」
後頭部を打ちつけたのか、若干じんじんと痛みがある。だがその頭痛を吹き飛ばす勢いで、アイリスの焦りっぷりは面白みを極めていた。大変可愛らしいが胸が痛むのも否めない。立ちあがろうと必死だが、抑えられていても尚絢爛なドレスはやや邪魔そうだ。
「お怪我などございませんか?」
「は、はい! わざわざご心配を…、きゃっ!?」
ばたばたと暴れるアイリスを抱え、立ち上がると同時に持ち上げる。これまた軽い…。
腕にお尻をのっける状態にあるため正式に抱き上げている判定は外れるであろう。急に浮遊感を感じたアイリスだったが、親切と汲み取って大人しくなっている。
ふわっと優しく、慎重に地面に降り立たせる。
「声もかけずに申し訳ありませんでした。お怪我は?」
「…無いです。ありがとうございます…」
「それはよかったです。ですが一応、医務室など尋ねてみては如何でしょう」
「そ、そうさせていただきます…! あの、本当にすみません…」
「いいえ。試験、どうか良い導きがありますように」
すっかり大人しくなったアイリスを見送り、一人廊下に残されるアスタリア。
が、急に座り込み、腰をさすった。
「ってて…」
アイリスの視界は、ちかちかと瞬いていた。
来た道を戻るように歩いているが、鼓動は意味のわからないぐらい五月蝿いし、気分はずっとふわふわしている。
浮いてしまいそう、心が暖かくて蒸発してしまいそう。
「アイリス!!」
ハッと呼ばれた方へ見ると、フォティアに引き取られた時に出来た兄がこちらに手を振っている。
「お兄様」
「アイリス、何処へ行っていたんだ? 心配したんだぞ、まさか悪い輩などから何か…」
「いいえ」
「…アイリス?」
「悪いお方ではありませんでしたわ! お兄様、私…。学園に入る資格を頂けて本当に光栄です」
「おおそうか…。なんでも云えば、俺がどうとでもする。ところで誰かに何かされたのか?」
アイリスは芽生えたと自覚した…、心に現れた感情を包むように、胸に手を置いた。
自分の教えられたものと全く違う価値観。急に投げかけた質問もアクシデントも、動じず応じてくれた。
自分が平民と知らず、名を馳せた土地の令嬢だと存じていても尚。
「私、知りたい事がもっとできましたの。リヒトお兄様!」
黒髪の中に発色する、艶やかな黄緑色の長髪を結った高身長の青年。アイリスや本人は全く気が付いていないが、美貌で周りの生徒や婦人までも虜にしてしまっている。常磐色の瞳はやや怪訝に。だがアイリスの前では潤いを持ち、なんなら溶け落ちてしまいそうなぐらい緩む。そのギャップに堕ちるユーザーは少なくなかった。
アイリスは高いところから義兄と義妹の表情のやりとりを見ていた。
これで四人目。
アイリス・フォティアの義兄、「リヒト・フォティア」、<エンジェル⭐︎リング>の攻略対象。
視線の悪さと秀才が有名であり、在学時には幾つもの論文を出す度に学会がざわざわ騒がしくなる。
だが実態は…簡単に言えばシスコンであり、成人してできたアイリスを溺愛するのだ。至るまでの過程が用意されているのだが、あの二人の反応を見てそれらを全てクリアした後だと推測できる。
つまり、リヒトルートはまだ候補に上がっている。
その場合、アスタリアはほぼ空気。アブソルートリー空気。というよりも邪険に扱われる。
そして酷いのがエンドに「死んだ」とも「旅に出た」とも捉えられる文章が添えられている。何故ぼかしたのか不明だが、どっちとも判別がつかないのが余計にタチが悪い。
絶妙に苦いアスタリア要素を揃えているのが、リヒトである。
「最後に控えたやつが、一番の厄介者という訳か…」
はあっとため息とついた時、高台の時計に目がいった。
そしてあっという間に血の気が引いて、次の瞬間には脱兎の如く駆け出していた。
「遅い!」
リコルトの説教を、肩を上下させて両膝に手をついて聞いた。メガネ越しの目がギラギラ光って、正直顔を合わせたく無い。逸らし続け下を向いていたが、ばかでかい「聞いているのか!!」と同時に顎を強引に掴まれ、じわじわと目の逃げ場を奪う。
それを面白そうに見る王子が一人。もう片方は止めるべきか否か迷うように両手をあわあわさせていた。
とうとう頬を挟まれ、痛いぐらい視線を刺してくる。ずっと御免を言っているのに。
「いいか、僕たちは番号が後列だからいいものを」
「う、う…。今からちゃんと準備するから…」
「ちゃんと僕が計画した通りにしないと、他の奴らが勘繰るからな?」
「わかった、わかったから離して…」
「いーや、このまま捕獲された獲物のように、いっそのこと抱えて…」
「いーーー勘弁してくれ、それは流石に!」
「……」
「リコ?」
パッ、と拘束が解けた。だが今度は服を引っ張られている。
リコルトが怖いくらい凝視している箇所に目を向けると、真っ白な襟元にあったのは桃色に咲いた口紅の跡だった。
「なんだこれは!?」
「ちょっ!? ちょちょちょそんなに引っ張ったら伸びる!」
騒ぎを聞きつけ王子ズが駆け寄ってくる。まずいと思いながら後ずさると、訳の分からない力で引き戻された。
そして頭髪が顔ギリギリのところまで襟を凝視する。特にレオンハルト。
「アスタリア…、お前誰を侍らせたんだ」
「え? えぇっ?」
「説明しろ! これは一体何なんだ!」
捲し立てるリコルト、野獣のオーラ全開のレオンハルト。
ロコに助けを求めようと彼に目を向けると、真っ赤にして顔を手で覆う姿があった。
「(かわいいな)」
「聞いてるのかアスタ! 何があったんだ!」
「アスタリア、主人のものに手を出したんだ。俺がそいつを責任持って対処しなければいけない」
「えぇっ!?」
レオンハルトの脅しに一気に冷や汗が吹き出す。
もしここで偉い人を出せっぽい事案になってしまったら、アイリスをシンデレラのガラスの靴っぽい方法で徹底的に探し込むかもしれない…??
そんなことしたら女性全員に唇照合をするっていうことか?????????そもそもなんでこの人たちこんなに怒ってるんだ????????
「だ、だめです! ストップ!!」
「はあ?!」
「……アスタリア、」
地を這うような低い声でレオンハルトは名を呼び、唐突に手を取った。
「……はあ」
やれやれという態度で、手の甲に口つげを落とした。
そのまま踵を返して去っていく。
あまりに突然で、リコルトは目が点になりロコはレオンハルトと放心状態のアスタリアを交互に何度も見る。
当の本人はあまりに咄嗟な行動に火照る頬と、動く口角を必死に抑えていた。だがすぐに黒いものが心を覆って現実に引き戻される。
「…ライバルが多い方が変に燃えるタイプなんだな、俺は」
アスタリアは試験前だというのにこんな空気になったやるせなさからちょっと泣き、リコルトとロコはそれをきっかけに平常心を取り戻したのだった。