13話
お嬢様や魔法の世界観において欠かせない要素といえば「身分制度」だ。奴隷等のカースト部位は勿論有るが、救済制度を最近王国が施行した。学園に限ると、入学前の試験で成績上位に入る者は身分を問わず入学できる等など。ゲームのアスタリアはこれを使い、市民と等しい位だったが入学をもぎ取ることが出来た。そして、「主人公」も同じように制度を利用した。
試験は、筆記と実技である。筆記は国の歴史や簡単な数式、地理に文字書きという基本的な知識。そして実技は、魔法を試験管の前で披露すること。ゲーム内のアスタリアこの才はどう切り抜けたのか不明だが、今のアスタリアにとっては最難関の壁になっている。
「だから早く数式とか、諸々暗記しとけって言っといただろ」
「う、うううう」
「しかも魔法の使えない僕に教えてくれって言われても」
「そ、そこをなんとか」
「どうなんとかするんだ…」
リコルトは家系から学園に入学するのは容易いらしい。だが実力を試したという口実で、共に試験を受ける手筈となっている。
「お前、もう少し周りを見てみたらどうだ」
「え?」
「大なり小なり、親しい友人ができたじゃないか」
「友人……?」
「世話になりっぱなしだがな」
友人と称して、果たして良かったのだろうか。身を固くしたアスタリアは、カリーナに対して垂直の角度で頭を垂れた。
「どうか、よ、よろしくお願いします…!」
困惑を浮かべながらも「えぇ」と答えた。カリーナの屋敷に騎士見習い2人。一時的に借してもらった広場。ズボンに髪を結い、動きやすい格好のカリーナはアスタリアを一瞥する。
「時間もないことですし、始めます。指南書は?」
「一通り目を通しました。恐らく、多分、大丈夫だと思います」
「まずはその自信のなさを克服しましょう。実践に移ります」
間髪入れず、無詠唱で魔法陣を展開したカリーナ。円の縁を指で沿う。呼応するように光るそれは、視覚よりも全身で光を受け止めるような感覚がする。魔法陣の安定を確認し、カリーナは円の中心に両手を添えた。すると光の粒が集まり強い影を作る。
「今のは光を司る魔法です。まず、アスタリア様の得意な魔法を探しましょう」
魔法陣を粉にした後、カリーナは詠唱をアスタリアに教えた。言い易いもの、体にしっくりくる文字列がコツだと告げ、後は彼女に任せる。リコルトに見守られながら、詠唱の朗読を開始する。
健気にハッキリと発音するアスタリアを見て、カリーナはくすっと笑みを浮かべた。
しばらく魔法を試したが、どれも平均以下の出来。アスタリアほど落胆した表情を出さないカリーナだが、ここからどう発展すればいいのか悩んでいた。
「アスタリア様が一番馴染んだ…というか、感覚を掴んだ魔法はありますか?」
「感覚…」
魔法といえば、一度経験したのはオーリオの一件だ。
「液体から、個体…」
「アスタリア様? 申し訳ないのですが、聞こえなかったのでもう一度…」
「あの、もっかいやってみても?」
「ええ。詠唱はもっと自信をお持ちになって下さい。でないと不安定なままになってしまいますので」
「はいっ」
事件の日に見た光。あの清々しくて、心地の良かった輝き。
地獄のような状況であったのにも関わらず、アスタリアの記憶はオーリオとの思い出として保管している。大ピンチであったが、楽観視して考えれば共同戦線になるであろう。
オーリオがいてくれれば。
アスタリアは無意識の範疇で、オーリオから教わったものを反芻していた。もう癖になってしまっていた。
「応えに汝、果ての静かな囁き」
自然と口から溢れた詠唱は、カリーナが一番最初に魅せてくれた光の魔法。
魔女一族が最も重宝しているが、相性というものは合わないらしい。
「揺れる翠、果ての静かな囁き」
アスタリアの差し出す手先。無から段々と魔法陣が展開される。
点滅を起こした魔法陣から光の筋が溢れ出した。今までにない反応でリコルトとカリーナは我を忘れ、注視の姿勢になる。
「魂の呼び、応えの果てに静かな囁きを!」
すぅっと、体から何かが抜けた。手先に熱が凝縮し、鼓動を強く感じる。だが一瞬にして痛みに代わり、思わず方腕を掴み掛かった。アスタリアの明らかな異常事態に、カリーナは駆け出した。だが、背後から巨砲のような疾風が走る。瞬時に流れて来た気配から、カリーナは風の主を知った。
「アスタあぁぁぁ!!」
手のひらに魔法陣を捧げ、飛び出したレオンハルトはアスタリアに向かって砲を放った。謎の光がアスタリアを包み周囲の光諸共収束し切った後、レオンハルトは駆け寄る。
「大丈夫か! 俺の魔法で散らせてみたが」
「ありがとうございます。コントロールが重大事項に…」
「良い兆しなんじゃないか? 俺の愚弟より」
視線の先には、バツが悪そうな表情で近寄る青年がいた。
「兄さん…」
リコルトは耳を疑った。レオンハルトに兄さんと呼ぶ人物は一人しかいない。だが以前会った彼は幼く、全身から近寄りがたいオーラを放出しまくっていた。だが、目の前にいるはレオンハルトと似たような風貌の青年。
「ロコ様で…ございますか?」
「ああ。俺の弟」
満面の笑みを浮かべながら、レオンハルトはロコらしき青年の肩を持つ。ロコの頬には、あの時と一緒の黒影が頬を這っているし、黒髪も目つきの悪さも健在だ。ただ肉体的成長を短期間のうちに遂げているだけで。
「忘れたか? 俺たちで解いた、呪い。こんなに背も伸びて、抜かれないか心配して過ごさなきゃいけなくなった」
「………」
ロコはずっとそっぽを向いて、ぎこちなく立っていた。気持ちはわかる。その場にいた全員が察していた。
「お二人とも、ようこそいらしてくださいました。お茶の用意を」
「押しかけたのは俺たちだ。アスタの特訓と聞いて、出動せねばとな。そうだろ」
「……」
「ロコ」
アスタリアが近寄ると、ロコは明らかに挙動が固まった。向けられていない視線を感じ、アスタリアは勇気を出して一歩を踏み出した。
「ロコ様、具合はどうですか?」
「良い…。だいぶ、良くなった」
「よかったです」
気になっていた事を、やっと本人の口から聞くことが出来た。引っかかっていた一つの不安が解け、微笑みを浮かべたアスタリアは自らの心臓に手を当てた。ずっと目を逸らしていたロコも行為に気を取られ、震える瞳にアスタリアを写す。
「アスタリア…」
「はい」
ロコが、アスタリアの心臓から手を拾う。急に握られ驚くが、ロコの真っ直ぐした眼差しに言葉が消える。
静かに翳した右の手。うっすらと魔法陣が展開され、宙に黒い結晶が現れた。
石を削るような音が鳴り、アスタリアの掌に黒の結晶で出来た薔薇のオブジェが完成する。
「詫びの品だ」
ロコがアスタリアに差し出す。頷き、受け取った。
「ありがとうございます。とても綺麗で…」
造形の端々は歪であったり、余分なクリスタルが付着していたり、未熟だと見て取れる箇所があった。だが以前の攻撃的な魔法からは想像もできない、繊細な技術にまで成長している。
「俺に聞いてきたんだ。何がいいってな」
「…」
「花って言ったら、騎士が花を好む訳がないだろう、もっと真面目に考えてくれって」
「…兄さん」
眉間の皺が更に増えた。仲介に入りアスタリアは頭を垂れる。
「とても嬉しいです。本当に、ありがとうございます」
「…そうか」
うんうんと頷くレオンハルトを横目にリコルトが笑う。一件落着な雰囲気の中、カリーナの提案で休憩を取ることとなった。
乗り込んだ詫びとして王族の方から豪華なティータイムが振る舞われる。普段は見ることの出来ない他国の特産物や名物スイーツが次々と登場し、滅多に輝かないカリーナの瞳が珍しく星を散らせた。よく見るとロコの皿も頻繁に空にしては新たに品を盛っている。大きく振り乱す尻尾が見えるようだ。二人は連動するように品々の隅から隅まで手を伸ばし、口に運びまくる。
「良く食うんだよな、知らなかった」
兄が暖かく見守る目を向けながら、ふと溢した言葉を耳で拾うことができた。ただの独り言で誰かと共有するまでもないが、抑えきれず落ち弾けた幸せ。
甘いもので頬が緩んだ者、を見て、笑顔になる者。
自分の特訓でこのような景色を見られるとは。アスタリアはほんの少し、ちょっぴり、自惚れた。
***
と、甘く溶けそうな空間を味わっても、魔法使用者のスパルタ具合は変わる訳もなく。何時間も詠唱と魔法陣イメージ。実践、工夫、反省を繰り返していくアスタリア。
挑戦を続けているうちに、体内の疲労が蓄積されているのが明確にわかるようになっている。
力の入り具合が違う。病気の時とは違う倦怠感が襲う。立っているだけの稽古なのに息は上がり、消耗されていく体力と気力。
深呼吸で動機を整えていると、肩を誰かが叩いた。
「ロコ様」
燻んだ藍の瞳を向けながら、彼はアスタリアを支えるような手つきで肩に手を回す。
「休みはしないのか。幾ら体力があるとはいえ、やりすぎな気がするが…」
「特訓はいつまた機会を頂けるか分からないので、帰る力は残しつつも尽きるまでやってみたく…」
なんて崇高な姿勢、とロコが感心を寄せるが少々赤らめた顔をしたアスタリアは、そっとロコに囁く。
「ご心配をおかけするのならば、皆さん併せて休憩を取った方が良いのでしょうか?」
「…いいや」
いつもは空っぽであるはずの、心の深層にふつと熱が湧いた。噴き出す火山のようではなく、芽吹きに近いやる気であった。
「アスタリア、先ほどの魔法はどのような面持ちで」
「面持ちですか?」
「ああ。魔法は大きく分けて二種類ある。これは使い手に限る精神論で、実践に全く通じない。ただの雑学だと思って聞き流してくれ」
ロコは先刻同様、掌に咲かせるように真っ白な結晶を生み出した。
「古来より、魔法の用途は「奇跡」か「欲」かで論じられる事が度々あった」
あ、とアスタリアの脳内に心当たりのある文献を思い出す。魔法を専攻している人たちといっても、使える者と使えぬ者が存在する。
昨日教えてくれた彼のように、願っても具現化することなく散っていった人の少なくないと聞く。
「内戦のように善と悪の見分けがつかず混沌としたり、同等に性善、性悪のどちらの説かと並行を繰り返す議論そのものだった」
だが、とロコは呟いた。そのまま結晶は塵になり、風に乗って消滅した。
「俺はどちらも有るが、人の魂の在り方にしっくりくるのがどちらかである、と考えている」
「つまり…」
「俺はきっと、「欲」そのものだ」
ロコの影のような傷は、肌と似通った色に変色したが、完全に元に戻ったという訳ではない。その戒めを隠すようにネックまで伸びた服の裾を、邪魔ったらしく引っ張った。
「黒魔法が今までの歴史を語り、縛り付けている。だが俺はこれを皆んなの繋ぎにしたい。…傲慢にも、俺はお前を助けようと力を使った。結果、引き返せぬ罪も同時に背負った。底知れぬ恐怖と、罪悪による後悔に苛まれた」
アスタリアもディアロを助ける覚悟を決めた夜を思い出していた。
苦境に立たされている気になって、自分が現実を見ていない事実から目を背けようとした。
「奇跡なんて聞こえがいい。魔法だって何億という犠牲の上に成り立っている、ただの個人間の伝統技術だ。価値だってあるようで無いのと同じに過ぎない。
…だが、その仄暗い事実の中にも、奇跡と呼ばれる所以があるはずなのだ」
「…欲を、奇跡に…」
「嗚呼。きっと、アスタリアの色は良きものだろう。先ほどの展開の発色、みるみるうちに純良なものに成長すると思う」
「光栄な限りで」
「世辞なら兄さんが沢山言うだろうから。俺からのアドバイスはこれだけだ」
ロコの心。存在を決定づける魂が確立した。
闇堕ちルートにとっての安全圏が明記されることはないが、ロコ唯一の枷であった魔法と、ここまで対峙できた事実を目の当たりにした。
彼は大丈夫。アスタリアは会話の内容を咀嚼しつつ、己の中にある核なるものを必死に思い起こした。
初めて行動したあの日。
大人に少しでも貢献を、と尽力したあの日。
幼き少年を救おうと剣を交えたあの日。
いつの刻だって、独りでは絶対に成し得なかった。
「そのまま。そうだ」
ロコの補助を貰いながら、アスタリアは念を込めた。
ふわっと宙をくすぐる風が舞う。乱れのない、張り詰めた光の糸が、ゆっくりと魔法陣を作り上げる。焦らず、工程を確かめるように詠唱と共に創出を繰り出す。
「魂の呼び、応えの果てに…。静かな、囁きを」
結びを発した途端、アスタリアを起点とした微光の渦が、その場にいた人物全員に伝染していった。
カリーナは反射で振り解こうとしたが、一切の悪を感じぬパワーに身を任せた。
レオンハルトも、一番近場のロコも、ただ纏わり付く不快の真逆なその感覚をもっと感じ取ろうと、受け止める覚悟を固めた。
その情景は、たった一瞬であった。
受け止めた各々にうつる、自身の姿。
それに縋り付くような女性の影。
一身に何かを読み、書き、捨て、また書く。何かに取り憑かれたような幻想だった。
渦の中、駆ける空気の鼓動がリコルトに届いて震え、五月蝿く鳴り止まない風の声にかき消された。
全員がハッと気がつけば光は消え失せ、ただ茫然と立ち尽くすアスタリアのみの光景であった。
「……ひかり、散っちゃった…」
哀しそうな声を上げ、もう尽きた気力を憂う。もう一度、もう一度と魔法展開を試みるが、コントロール不足で気力が大幅に削れたらしい。
そんなアスタリアを横目に、カリーナは大きく瞬きする。
レオンハルトも同様の態度で頭を掻き、疑問を口にした。
「今のは…」
「えぇ。アスタリア様の…内側でしょうか」
「内側?」
リコルトの問いに、カリーナはええと応えた。
「見えたのです。一瞬。誰かの姿のようなものが」
「今って、アスタの魔法で、ですか?」
「ええ。どうやらレオンハルト様も」
「…リコルト?」
「いえ。何でも…有りません」
見えた?
さっきの一変した空気。五感自体が違うものを拾ったのか。
『死にたい』
リコルトの耳には、風に紛れた声が張り付いて離れなかった。
「アスタリア。一先ず休憩を挟もう。魔法の回復は時間と比例することが研究でわかっている。自分のキャパを把握するためにも一旦休んだ方がいい」
ロコが促進する。ぐず、と悲しい顔でアスタリアはカリーナ達の元へ戻っていった。
ロコの魂に流れてきたのは先ほどの影と、アスタリアの魔法の性質。近距離であるため情報量が少なくない。
頭痛がしてきたような、鈍い痛みが脳で鳴っている気がする。古来の力を携えていても、慣れぬ干渉を受けると身が慣れていない為驚いている。
ただ、入り込んできた感覚に数個の違和感を持ちながら、まだ自分に修行が足りないのだなと思ったロコであった。