71.復活のメイド
ラベンダーや薬草の香りに目を覚ますと見慣れない天井が広がってました。
ふむ、私が握っているこのゴツゴツとした感触と隣りに息遣いは何でしょうか?
私はここが何処なのかとか、近くに居るものの正体を確かめるために周囲に視線を向けた。
……此処が先生の自宅と理解するにはさほど時間も要しませんでしたが、私が握っているのはジークの手ででした。
ちょっと待って欲しいです。何かおかしいですね、もう一度状況を確認してみましょう。
ベッドで横たわっている私と規則正しい寝息を立てるジーク……現実は非情ですねっ!
一体なにが起きてこうなったんですか!?
まさか私は大人の階段を?
「お、落ち着け私、まだそうと決まったわけじゃないです」
私は火照る頬を叩き、自分の記憶を探りました。
確か私は露出女との戦闘の末に力及ばず捕縛されたんでしたね。決して体調が悪くなってふらついた拍子にバランスを崩して後頭部強打なんてしてないです。
っと、その後は何処の洞窟でいよいよ熱も上がりはじめて、朦朧とする意識の中……不意を突いて逆に露出女を捕縛したんでしたね。
それから熱のせいか頭がおかしくなって……露出女を擽り棒で攻め立てた。
そこまでは良いです。
「……如何して私はあんな行動にっ」
熱で朦朧とする意識の中、駆け付けたジークに私は甘えましたが、そこで意識を失ったのか現在に至ると。
甘えた事実に変わりはありませんが、大方私は無理を言ってジークに看病をお願いしたとかそんなところですかね。
つまり私は大人の階段を登っていない!
あっ! 私はいつまでジークの手を握ってるのでしょうか。
私が漸くジークから手を離すと、
「あら、目が覚めたのね。体調はどうかしたら?」
タライとタオルを抱えた先生がやって来ました。
「先生、身体の方は大丈夫ですよ。……あ、あの、私は旦那さまに何かご迷惑をおかけしましたか?」
そう尋ねると先生は明らかに残念そうに肩を落とし……えっ、私、何かやっちゃいました?
「先生、ね。エリカお母さんと呼んでくれないのね」
「お、お母さん!? 私が先生をそう呼んだですか?」
確かに一時期は先生とメイド長をお母さんとは呼んでましたが、成長するに連れて恥ずかしくなった私はそう呼ぶ事を辞めた。
「えぇ、はっきりとね。でも貴女は私達よりもジークに一番甘えてたわね」
病気の私は一体何をやってるのでしょうか?
いえ、自分自身に変わりはありませんがメイドとしてあるまじき失態です!
「うぅ〜、旦那さまにご迷惑をおかけするとかメイド失格です」
「風邪は誰だって弱気になるわ。不安から甘えたくなるものよ、特に貴女は幼い頃から一人で生きてきたからねぇ」
「その反動ですか?」
「さあ? 本当はジークに対して無意識に恋心が有るとか」
私がジークに恋心を抱くだ、と!?
思わずジークに視線を向けると顔が熱くなる。如何やらまだ熱が下がりきってないようですね。
「ま、まだ微熱は残ってるようです」
「確実に解熱剤は効いてるわよ」
先生の薬は完璧ですもんね。
……という事は私は本当に彼に対して恋愛感情を芽生えさせてしまった?
私はメイドですよ。それに今回の事件は私を狙っての犯行でした。
……此処に居ていいのかなぁ。
「メイドとして失格ですね……それに私が居ると大臣がまた狙って来るんじゃないですか」
「ミルフィ、それは貴女が気にする事ではないわ。あとはクラースに任せておきなさい」
先生は私を優しく論するように言ってくれました。
「……そう、ですね。彼は優秀な兄弟子ですからね」
クラースなら確実に今回の件について終止符を打ってくれるでしょう。
そこは安心ですが……どうしよう、自分の感情が分かりません。
「先生、私は恋をしてると言いましたね? でも風邪の影響だとしたらどうです?」
「えっ、そこまで否定したいの? あんなに大胆に甘えたのに」
「……風邪の私は別人格の甘えんぼミルフィです」
空想! そう思わずにはいられない!
そんな私に先生がため息を吐くと、
「ミルフィは鈍感ですね」
私が姿を現した人物に驚きを隠せなかったのは無理もないです。
如何してクラリスメイド長が此処に居るんですか!?
「クラリスメイド長!? いついらしゃったんですか!」
「昨日。ミルフィが女の天敵エリオと話してる辺りからですね」
「じゃああの時感じた視線はメイド長の?」
「そうですよ。……まあ驚かせようと隠れましたが、間もなくデートを始めるではありませんか」
いつも無表情なクラリスメイド長が表情を綻ばせながらそんな事を……。
「ち、違います。あれは紛れ込んだ不届を者を炙り出す演技でして!」
「彼は満更でもなさそうでしたよ……いえ、二人とも楽しそうでした」
えっ、それは楽しまないと意味がないじゃないですか。
私がそう言おうとした時でした。
「ミルフィは楽しくなかったのか?」
目を覚ましたジークに聞かれたのは、
「楽しかったですよ。デートははじめでしたが、リボンも買って頂き……あっ」
そういえば折角頂いたリボンは何処に行ったのでしょうか?
ジークもリボンの存在に気付いたのか、思案顔を浮かべてます。
如何やら彼も失念していたようですね。
「ああ、あのリボンでしたら妖精が渡しに来たわよ」
そう言って先生は戸棚から紙袋と小瓶を取り出して、私はそれを受け取りました。
「あぁ、良かったです。ところでこの小瓶は? 中身は粉のようですがマヒマヒ蝶の鱗粉ですか?」
「もうミルフィには必要無いでしょう。それは妖精の粉よ、森を護ってくれたお礼だそうよ」
妖精からの友好の証を私が……何だか嬉しいですね!
「良かったじゃないか。それで? わたしは不覚にも君に恋をしたようだが、君は如何なのかな?」
喜んでる私にジークが流れるようにさらりとそんな事を……待って欲しいです!
これは告白されてるんですか!?
「……あ、あの? 私はメイドです。だから、その……旦那さまの想いは嬉しいのですが」
きっと顔は真っ赤なんだろうな。
視界の端で口元を緩める保護者二人が憎らしいですがっ!
ジークの背後二人を睨むと、突然ジークは私の両手を優しく握って、
「わたしはミルフィ、君個人に聞いているのだ」
巫山戯る余裕も与えさせない真っ直ぐな瞳を向けられました。
私個人に対するジークの純粋な想いは確かに伝わります。その証拠に私の胸は先から高鳴りぱなしで、ジークも顔が赤いです。
「わ、私は……こ、恋とかしたことも無いです。それに旦那さまならきっと相応しい女性が居ると思います、例えばナタルとか!」
「彼女とは付き合いは長いが、特に心惹かれる事もずっと居たいとも思わんよ」
あっ、話題を振ってなんですが……ナタル、ごめんなさい! 貴女に脈はありませんでしたっ!
いえ、このまま勢いで誤魔化せば何とかなるかもですね!
私が内心でそんな計画を描くと、
「ミルフィ、職務に関係なく貴女の本心が大事なのよ」
「がんばって、お母さん達は応援してます」
外野の横槍で逃げられないようです。
もう向き合うしかないんですね。
私個人としてのジークは、安心感と安らぎを与えてくれる存在です。
もしも彼の様な優しい男性と一緒になれたら幸せだなぁとも考えた事は少しだけ有ります。
あぁ、私はいつの間にかジークに心惹かれていたんですね。
それがいつなのかは分かりませんが、
「……私も旦那さまに心惹かれていたんですね」
少年の様に笑い、ご飯を美味しそうに喜んで食べて、ちょっとドジで情けないところも有るジークが好きになっていたと。
ふと冷静になって考えてみる。
仮に私とジークが男女の関係になったとして……捨てられませんか? いえ、メイドとしての立場は如何なるのでしょうか?
それに身分差だって……。
「では、ミルフィはわたしの想いに応えてくれると……そう認識して良いのだな?」
確認するように尋ねるジークに私は、
「あ、あの……私を捨てたりしませんよね? 身分差だって有りますよ」
そんな事を聞いていた。
もう、捨てられるのは二度とごめんですからね。
「身分差など成り上がり貴族のわたしにとってはどうでもいい! だが、改めて誓おう! 何が有っても決して君を捨てないと! 君の居場所はわたしの側だ!」
そんな力強く言われたら諾くしかないじゃない。
メイドとして生きてきた私がはじめて彼の為に生きたいと心の底から溢れた瞬間でした。
「……つっ〜!! わ、分かりました。き、今日から私は旦那さまのこ、恋人、です」
こうやって想いに応えるのも心臓が張り裂けそうで、切なくて、でも嫌な気分じゃないですね。
あぁ、きっと私は顔が真っ赤なのでしょう……先生とクラリスが涙ぐんでますが、こんな時は空気を読んで二人だけにして欲しいです。
なんでこんな時だけポンコツなんです?
いえ、二人はもう無視でいいです。それよりもメイド人生に付いて相談しなきゃ。
「あ、あの! 重ね重ねですみませんが、私はまだメイドを続けたいです」
「構わないさ。ま、わたしと君が恋仲になろうと生活面は変わりないだろう」
そう言って笑ってました。
……それは如何ですかね? 私は謂わばジーク専用メイドミルフィ! 徐々に変化を齎して差し上げましょう!
「ジーク、結婚式を挙げるなら誓いの指輪は用意しなさいよ?」
「ああ、近くの坑道で丁度良い原石が採掘できるからその辺りは心配など無いさ」
「……ふぇ?」
二人はいったい何を話してるのでしょうか?
今し方恋仲になったばかりですよ。
「式は来年か再来年辺りを目処に……」
「ヘタレねぇ。まぁ式場を建設する必要も有るし、村もしばらくは忙しくなるわね」
「……二年ほど休暇申請を出しますかね」
「ふむ。クラリスの手腕も加われば心強くは有るが、まだ課題も多いのでな」
「なるほど、極力ミルフィと2人きりがいいという事ですね」
「流石は王城のメイド長を勤めるだけは有るな!」
あれ? 私が預かり知らないところで三人だけで会話が弾んでる?
私を置いて話が進んでるような? なんですかそれ? なんか悔しい。
「むぅ〜!!」
私が唸り声をあげて抗議すると三人は笑みを浮かべるばかりでした。
責めて私も話に入れて欲しいですが! さっきの結婚ってなんですかぁ!?
まだ速いですよね! そんな叫びは彼らに届く事はありませんでした。
それから大事を取って今日だけ先生の自宅で一泊することになったのですが、結局私は彼と恋仲になったことを意識するあまり一睡もできませんでしたよ。
次回でいよいよ完結です!