53.ジークとエリオ
執務室でエリオを適当な椅子に座らせると、奴は顔を緩ませて、
「兄貴はメイドのことが好きなのか?」
なんて事を聴いてきた。
というかこの二日、エリオは仕事の話しもそうだが、大抵聴いてくるのが俺とメイドの関係に付いてだ。
俺とメイドは単なる雇主との関係でしかないのだが、それをなぜ恋愛方面に話しを持って行きたがるのか。
「そんな話しよりも昨日言っていた行商ルートと通行税の問題に付いてだが……」
「そっちも大事だけどよ、兄貴の人生のためにもちょいと可愛い弟の話に耳を傾けてくれよ」
これはアレだ。質問に答えない限りエリオは仕事の話に入らないな。
「メイドが紅茶を淹れて戻って来るまでの間だぞ」
「つまりメイドに聞かれて困ると?」
本人を前にして好みかどうかの話って気まずくね? こっちは同じ屋根の下で生活してるんだぞ?
「アイツに対して気を使っているだけだ。……まあ好きかどうかという問いに関してだが、友愛的な意味では好ましいかな」
決して他に他意は無い。
他の女性と比べて付き合い易いというのも有るが、あのメイドに関して変に気を使う気にもなれないというだけだ。
「へぇ〜メイドの方ははっきりと好きにはならないって言ってけどな」
……ほう? 大方メイドの立場として答えのだろうな。
俺の知る限りミルフィという少女はメイドの職務を最優先にする子だ。
「メイドとして答えのだろう? だが個人としては曖昧、いや答えなかっただろう」
「兄貴……結構メイドのことを理解してるんだな。確かに質問に答えず、自分を仕事人間って言ってたけど」
メイドと生活してから一ヶ月。いやもう二ヶ月に入るからそれぐらい察することはできるものさ。
俺が得意げな顔を浮かべてやるとエリオは、
「結局兄貴もメイドもお互い眼中に無いってことでいいのか?」
「あぁ、女性恐怖症抜きにしてもな」
「じゃあ俺が本気でミルフィを口説いても文句は無いな」
エリオが挑発的に突然そんな事を言い出した。
コイツが村に滞在中、ミルフィを口説く? 昨日や今日だって口説いてたろうに。
そんな事を思っていると、ふとエリオに口説かれて笑みを浮かべるミルフィの姿が頭に浮かんだ。
何故かそれが無性に面白くないと感じた。
「……悪いが使用人が安心できる職場環境を整えるのも俺の役目だ」
「やっぱりなぁ。これであの晩、兄貴がキレた理由が分かったよ」
別にメイドにデートを申し込んだのが面白くなかったとか、そんなことは決して無い!
アレだ。そう、村人を人質同然に賭けを持ち出す根性が気に食わなかっただけだ。
「村人を人質に取られれば誰だって怒るだろ」
「本当にそっちだけ? じゃあ質問を変えよう、兄貴は女性恐怖症を克服した時はどうするんだ?」
女性恐怖症を克服した時か。
今までの俺なら趣味に生きるため独り身を選ぶが、多分それは一種の強がりだったのかもしれない。
コレクションに囲まれるとふと思うことが有る。
老後の生活、妻も子も孫も……誰も居ない屋敷の生活は果たして幸せなのか、というか孤独死とか寂しいじゃあないか。
「ふむ。やはり結婚前提に女性と交際するだろう」
「兄貴がそんな意識を持つようになって弟して嬉しいよ! 母さんにも良い報告ができそうだ!」
故郷の共同墓地に眠る母さんには、俺自ら報告したいものだが……ミルデア王国の土はもう踏めんからなぁ。
「そっちは頼むが、第一克服に交際相手すらまだだぞ」
我が弟はせっかちなところがたまに傷だな。
折角母親譲りの女性受けする顔、身体に恵まれたのだからもう少し活かして……いや、十分に活かしてるな。
「交際相手はメイドで良くないか?」
「だからなぜメイド?」
「よく考えてみるんだ。家庭的で兄貴の好みも熟知してて人当たりも良い。それに兄貴の秘密を知っても退職しなかった子だぞ?」
エリオはそんな女性は中々居ないと語るが、単にメイドは働き口が無いからだと思うが?
いや、しかしエリオの言う事には納得いく部分が有るが……。
「……わたしよりもエリオ、お前は彼女達にどう詫びるつもりだ?」
俺は執務机の引出しから今朝届いた一通の手紙を取り出し、
「フェルグラス公爵……この家名に覚えはあるな?」
問い詰めるようにエリオを睨む。するとエリオは視線を泳がせ、
「お、おう」
弱々しく答えた。
コイツの反応も当然だろうな。フェルグラス公爵と言えばミルデア王国騎士団長──マルセン・フェルグラスその人だからな。
しかも我が弟はフェルグラス家の御令嬢と交際関係に有った。
手紙には身分違いの交際だったが、それ自体は当人同士が決めたこと故、何も咎める気は無い。むしろ娘の良い経験になったと温情まで向けられていた。
だが、やはりそれとは別に複数の女性と同時に交際し、女性の心を大いに傷付けたエリオに対してどう責任を取るか。
手紙には結論に至るまで長々と書かれていたが、結果を言えばエリオの首を差出すか俺の領地をグラドラス公爵に譲るかの二択で不問にすると告げられた。
なぜそこでグラドラス公爵が出て来るのか。単純な話だ、グラドラス公爵が腐敗貴族の象徴であり、この土地に目を付けたからだ。
「俺はお前をミルデア王国に差し出す考えだが?」
「そんなぁ〜兄貴は弟が可愛くないのかぁ!?」
今では唯一の肉親だ。可愛くない訳がないが……だけどなぁ。
俺が既に結論を出していると、突然ドアが開け放たれ、メイドが険しい剣幕で俺に詰め寄ってきた。
「いくら女性泣かせの最低屑男でも! 彼は旦那さまのご兄弟なんですよ!」
うん、キミの背後でエリオが泣いてるからね?
それに少し落ち着いて欲しいし、何より甘い息が鼻にかかるほど顔が近い!
「落ち着け、それに近い」
「……これは失礼しました。それで? 本当にエリオを旦那さま自ら処刑台に送るんですか?」
「村と魔族との関係を護るためには致し方ない犠牲だ。それに、俺もエリオもギロチン程度で死なんぞ?」
俺が事実を伝えるとメイドがキョトンと眼を点にさせた。
ふむ、そんな表情もするのか。
メイドの新しい表情に少しだけ、心が和むとエリオの声が響く。
「あーあ、これで5回目の斬首刑かぁ」
「……もう生き埋めでいいんじゃないでしょうか?」
さっきまで庇っていたメイドは何処へやら。俺の前に居るのはもうどうでも良くなったと態度で示すミルフィの姿だった。
「……まあ、もう一つ書状が来ていてな」
そう言って俺はもう一枚の書状を取り出した。
それにはミルデア王家の印が押された書状だった。
「えっ? ゲラルド王の書状じゃないですか」
彼が俺の元に書状を送ったと言う事に、何か嫌な想像でもしたのか、メイドは書状に眼を通した。
だがそれも杞憂というもの。
そこに書かれている書状は、大臣を始めとした一部の貴族が北方の土地に干渉する姿勢をみせた事に対する詫び状だった。
まあ、フェルグラス公爵は完全に巻き込まれただけのだがな。
「……あの小心者が大臣達と対立状態に有るとは意外ですね」
この書状一枚で深い事情まで読み取るとは、やはりコイツは優秀か? いや、頼んでいた紅茶を忘れてきた辺りやはりポンコツか。
「あー、そういえばミルデア王国はゲラルド王と宮廷魔術師、それと何故か王城のメイド長が内部と内政改革に乗り出したんだよなぁ」
ふむ。もしもゲラルド王が何も動かなければ、弟は晴れて五度目の斬首刑に処されていたか。
大きな問題が回避されたと安堵してると、
「いやぁ〜これで俺も安心して仕事の話しに打ち込めるなぁ」
エリオが呑気にそんな事を言った。
「まだ何も話して無かったんですか?」
仕事の話が有ると言ってメイドに紅茶を頼んだからなぁ。
彼女が訝しむのも無理はないかもしれない。
だが! メイドは案外間抜けだ。
「男同士、ましてや兄弟となれば積もる話も有るだろ」
「それもそうですね。……あ、折角淹れた紅茶を廊下のミニテーブルに置いてきたんでした」
思い出したようにメイドは廊下へ出て行った。
「杞憂が呆気なく消し飛んだところで、楽しい商売話しと行こうか!」
「兄貴って本当に根っからの商売人だよなぁ。……それで昨日話したガッシュ達には今朝に手紙を送ったが……」
「商人の出入りが増えれば通行税も元に戻るだろう。あとはディアボロ商会と上手く連携が取れれば、俺の目的達成も近付くか」
ふむ、これでエリオの伝が到着すれば高原の街道整備に取り掛かれるな。
……これはアマギの結果次第で、村の改名に着手せねばならんか。
予定通りならアマギはあと六日後に村に来る事になっているが、それまで何事も無ければいい。
それが杞憂になるかどうかは分からないが、俺とエリオが話している頃、丁度メイドが紅茶とシフォンケーキを持って戻ってきた。
こうして俺達はシフォンケーキに舌鼓しつつ紅茶で休憩を取るのだった。
これからは人の出入りが増える、か。……今晩は特訓してみるのも良いかもしれない。別にこのままで居れば弟や村の外から来た者達が……余計なちょっかいを出すとかそんな事は断じて思ってないがな!