15.メイドとシュラウド
調理場のまな板の上にシュラウドを乗せた私は、彼に語りかけるように告げた。
「これも旦那さまのため、責めて美味しく調理して差し上げますよ」
するとシュラウドは翼を広げ、
「コケコッコー!コケー!
まるで私の言葉を理解してる様子で、なんと縄を持った腕を鳥脚で蹴り上げて来ましたよ!?
力強く放たれた蹴りによって手から離れた縄が宙を舞う。
抵抗には多少驚きましたが、それで怯む私じゃないです。けどこの鶏は先生が育てた鳥! 普通の鳥と侮ってはいけませんね。
ならば──ナイフを二十五本取り出して間隔を空けながら投擲。
するとシュラウドは一瞬だけ眼を光らせ、
「コケ!コケ!コケ!コケ!コケ!コケッー!」
まるで翼で拳を放つ様に、いえ拳の連撃でナイフを全て弾き落としやがりました!?
明らかに鳥の動きじゃあないですよ! ……いや、落ち着け私、ここで狼狽えたら隙を付け狙われるかもしれせん。
「やるではないですか。流石は魔女が飼育した鶏ですね」
とは言うもののこれは明らかな強気です。
はぁ〜先生は一体どんな方法で飼育したのでしょうか? 考えるだけで心当たりが幾つか思い当たる。
きっと先生の事ですから与える餌は、愛情を込めて魔女の知識を活かした調合で作ったのでしょう。
そして魔女の知識が詰まった餌と先生の愛情によってシュラウドを始めとした動物の知能が発達したというのが私の推測。
先生を知らない人が聞けば、そんな馬鹿な話しは無いと否定します。ですが、私と兄弟子クラースは先生がどれだけ動物に愛情を注ぎ込むのか知っている。
先生の動物に対する愛情は、赤子に愛情を向ける母親と同じかそれ以上。
ですが! ジークに提供するとり肉のために私も引けない。何よりも鶏にこの超優秀メイドが敗北したとなってはメイドの名折れ!
こちらの様子を余裕の有る態度で観察するシュラウドに、私はゆっくりと歩み寄る。
今度は武器も持たずに両手を広げ、
「ごめんなさい。あなたも生きてる以上食べられるのは嫌ですよね? ここは一つ仲直りと行きませんか?」
シュラウドは私が差し伸べた両手を翼で弾きながら、
「コケッー!
ひと鳴きと共に鳥脚による飛び蹴りを!?
咄嗟に横に弾けるように避ける。するとシュラウドの蹴りが私の背後に有ったテーブルに穴を開けていた。
厚い木製のテーブルを貫通する蹴りの威力! これを私が受けたら最悪骨折するではありませんか。
そうこうしてる内にシュラウドは穴を開けたテーブルから脚を引っこ抜き、こちらに振り返る。
これは拙いかもしれない。思わずシュラウドの鋭い眼光に息を呑む。
それでもまだ私には打てる手が有ります。手が有る以上諦めるのは早計でしょう。
またナイフを取り出す。今度は十本を同時に投擲。
だけど最初と違って回転を加え、ナイフが互いの刃を弾かせ軌道を変え、跳弾しながらシュラウドの周囲を飛ぶ。
跳弾したナイフがシュラウドの身体を掠り羽根が舞う。
動きを止めている間にナイフを五本投擲。
そして飛んだナイフがシュラウドの翼ごと壁に突き刺さる。
「これでチェックです」
地面に落ちた縄を拾い上げ、それをテーブルに置いて包丁に持ち替える。
研ぎ立ての真新しい包丁の刃が煌めき、私に若干の高揚感を与え、シュラウドに歩み寄った。
なおもシュラウドはナイフの拘束を解こうと必死に翼と脚を動かしていますが、逃れることは叶わないようです。
ここで勝ちを核心してはダメ。きっと一瞬の隙で逃げられてしまうという予感が有る。
シュラウドは一撃で仕留めるべきです。
私がシュラウドに包丁を振り翳した刹那の瞬間!
「コケ、コッケコッコー!!」
彼の鳴き声に床に陣を描くように散らばった羽根が光り出し!?
拘束から脱出と見せかけ、羽根で魔方陣を描いていた。それに気付いた時には遅く、外から鶏の鳴き声が響き渡る。
そして窓を突き破り、ざっと数えて五十羽の鶏が一斉に調理場に入り込んだ!
「ちょ、ちょっとこれは洒落になりませんよ!」
あぁ、シュラウドは人語は理解しても魔術までは扱えない。心の何処かで常識と定め油断していた罰でしょうか?
まさかシュラウドが召喚魔術の一種──同胞呼びの魔術を扱うだなんて。
「コケコッー!」
鳥語を理解できない私ですが、いまシュラウドが放った言葉はなんとなく理解できました。
私って本当に優秀ですね! なんて普段の私は冗談を飛ばすでしょうが、五十羽から向けられる殺気を前に取るべき答えは一つ!
「旦那さま、ごめんなさい! 私は逃げますっ!」
私は迫る鶏達を避け、調理場から廊下に飛び込んだ。
廊下を滑るように駆け出すと調理場から躍り出る鶏の群れ!
「コケ!!」
「コケッコ!」
「コケコケ!」
羽が羽ばたく音に私はちらりと視線を向けると、なんと鶏どもが隊列を組みながら跳び蹴りを放ってきやがりました!
咄嗟に前転して最初の蹴りを避ける。
次に右に避けつつ前左に避け蹴りを躱す。
このままの姿勢は拙い! 直感に従いスライディングから低姿勢に入ると先程まで有った頭の位置に、三十羽の鶏の蹴りが同時に空を蹴っていた。
あれは流石の私でも死んでいます!
廊下を駆け抜け、前方に見えるドアに気がつく。
あぁ、もうホールに出る。折角掃除したホールが今度は羽根で散らかる。
そんな事を考えていると前方のドアが開き、眼を細めたジークが現れた。
「どんな状況だ?」
驚きを超え、呆れたように問いかけて来た彼に私は必死だったのでしょうね。
「旦那さま! この鶏どもは危険ですから直ちにホールへ退避して廊下のドアを封鎖してください!」
「鶏ごときに何を焦る? 鶏は有史以来からの食糧だぞ」
そう言ってジークは私の前に立ち、鶏どもに拳を放った。
彼が放った拳は空気を激しく打ち付けたような轟音を鳴らし、五十羽の鶏が床に一斉に倒れるではないですか。
……何でしょうか? この光景と状況は?
まるで私が一人で焦って馬鹿をやってるようじゃないですか。
一人不貞腐れているとジークの前にシュラウドが立ち塞がる。
そしてシュラウドはジークに翼で拳を放った。
それは見事なまでの正拳突き……鳥の翼で正拳突きって何なんでしょうか? とかそんなツッコミを他所に私の耳に一つの事実が音として入り込む。
それは骨が砕ける不快な音でした。まさかジークの骨が!?
「旦那さまっ」
ジークに駆け寄ると驚くべきことに彼は平然と立っていた。逆にシュラウドは疼くまる様に羽根を抑え……えっ?
「ふっ、鳥ごときの拳でわたしの鍛え抜かれた身体を傷付けられるとでも?」
ジークはシュラウドに勝ち誇った表情でそんな事を。
えっ? いや、えっ?
「何を呆けているのだ?」
「何でも無いですよ。えぇ、最初から旦那さまを盾にすれば良かったなんて考えていませんとも」
「……さては考えていたな?」
ジークから視線を逸らしつつ、倒れている1羽を掴み取る。
「美味しそうな鶏がこんなに沢山ですね!」
「……まあ良い。それよりもシュラウドは残しておけ」
「如何してです?」
「そいつは中々見込みの有る鶏だ。それに卵産みを1羽残しても良いだろうと思い付いた次第だ」
確かにシュラウドは戦力? 的にも申し分ないですね。
私は疼くまるシュラウドの前に屈み、エプロンの内ポケットからハンカチと木の棒を二つ取り出す。
シュラウドの折れた翼に木の棒で支える様にハンカチを巻く。一先ず翼が変な方向に曲がることは無いでしょうね。
「コケ?」
「旦那さまはあなたをペットにするとお決めになりましたからね。まあお仲間の一羽は美味しく食べさせて頂きます……大丈夫、全部捨てずに有効活用しますよ」
「コケッコ」
するとシュラウドはジークの肩に飛び移りました。
「ほう、わたしに服従するということか。メイドよ、折を見て鶏小屋を建てるぞ」
「承知しました。それでは鶏男爵さま、私は鶏を捌いて来ますね」
「誰が鶏男爵だ!? いや、男爵で有ることには間違いないが!」
なら良いじゃないですか。
それにしても足元に転がる鶏が邪魔ね。
「シュラウド、彼らを元の場所に帰してください」
私がシュラウドに告げると彼はそっぽを向いてしまった。
おや? かわいいミルフィちゃんの頼みを無視ですか、そうですか。
まあ、所詮は鶏だから私の可愛さは理解できないよね!
「コッ」
あっ! 床に唾を吐きやがりました!
「旦那さま〜!」
「ふむ、屋敷内の序列が決まったな。シュラウドよ、下っ端の願いを聞いてやるのも鶏の勤めだと思うがね」
誰が下っ端ですか! もう怒りましたよ!
「コケッ コケッコッコー!」
シュラウドのひと鳴きで気絶していた鶏が一斉に目を覚まし、窓から何処かへ去って行きました。
さてと。私は鶏を1羽片手に掴んだまま、ジークの腹部を左手で触れた。その瞬間、
「ぐわぁぁぁ!!」
断末魔と共に全身に鳥肌を浮かばせながら彼は床に崩れ落ちた。
「シュラウド。私達の力関係は三すくみです、旦那さまはシュラウドに強くて私はシュラウドに弱い。ですが私は旦那さまに強いという。あぁ、立場は無視してですよ」
「コケー」
シュラウドは納得した様な鳴き声を上げ、私は早速捕まえた鶏を丁寧に捌き、そして昼食に焼き立ての鶏モモ肉のステーキを出すのでした。