#まだ、思い出にはできそうにない(1/1)
「ケント! 三番テーブルにこれ、持っていって!」
はちみつキッチンは、今日も大盛況だった。オープンした当初よりも、ずっとお客さんも増えて、売り上げも上がり続けている。
でも、僕はそれをちっとも嬉しいとは思わなかった。
「はちみつケーキのセットです……」
僕が覇気のない顔で商品を持って行くと、お客さんが怪訝な顔をした。
「これ、頼んでませんけど」
「えっ?」
僕が慌ててテーブル番号を確認すると、ここは三番テーブルじゃなくて、二番テーブルだった。
「し、失礼しました……」
僕は急いでトレーを下げようとした。
でも、それを遮るように、二番テーブルのお客さんが話しかけてくる。
「あなた、『ハニー』さんですよね」
アカウント名で呼ばれた僕は、げっ、と思った。でも、無視するわけにもいかないので、仕方なく、小さく頷いておく。
「やっぱりぃ!」
お客さんは、嬉しそうな顔になった。
「私、あなたのアカウントのファンなんですよ! お持ち帰り用の『ローズ・マイアランジティー』も、買いに来たことあります!」
「そうですか……どうも……」
「でも、最近は投稿してませんよね? 何かあったんですか?」
「いえ、そんなことは……」
「あっ、そうだ! 後で、あなたと一緒にアカウントを運営してる女の人にも会わせてくださいよ! リーゼロッタさんでしたっけ?」
その名前を聞いて、僕は胸がズキリと痛むのを感じた。
僕とリタさんが一緒にアカウントを運営してたという情報は、一体どこから漏れたのか、もうたくさんの人が知ってることだった。
それだけじゃなくて、悪役令嬢Rの正体を見破った僕たちは、俗に言う『有名人』ってやつになっていた。
このお店に来るお客さんも、ほとんどが、その『有名人』を一目見ようとしてる人たちだった。
だから、どれだけお客さんが増えようが、僕は嬉しい気持ちにはなれなかったんだ。だって、この人たちの前に立って、さっきみたいに僕たちのアカウントの話題を出されると、リタさんのことを思い出しちゃうから。
厨房を荒らした犯人を店内で待ち伏せてる時、リタさんは、『もし一万いいねを取っても、ケントさんに会いたい』って言ってくれた。
あの時……僕は返事ができなかったけど、本当は、『僕も』って言いたかった。『僕もリタさんに会いたい』って。
それに、リタさんが『婚約は結ばない』って言ってたことも、すごく嬉しかった。
でも、それからしばらく経って冷静になると、やっぱり僕なんかじゃ、リタさんの相手として全然釣り合うようには思えなくなってしまった。『友だち』くらいならまだ大丈夫なのかもしれないけど、それじゃあ、あんまりにも辛すぎる。
だから、あえて僕はリタさんとお別れすることを選んだんだ。
なのに……。
「ケント、あんたまたぼんやりして!」
三番テーブルに商品を置いてから厨房へ帰ると、母さんが腰に手を当てて僕を待っていた。
「しっかりしなよ! ただでさえ忙しいんだから!」
「うん、ごめん……」
謝ったけど、どうしてもシャキッとした気分になんかなれなかった。
「まったく……」
母さんがため息を吐いた。
「ちょっと早いけど、休憩にしな。そんな暗い顔で接客なんかしたら、客が逃げちまうよ。……ほら! 外の空気でも吸っておいで!」
僕は母さんに、裏から外へつまみ出された。
「……ふう」
でも、外に出たくらいじゃ、僕の気は晴れなかった。
リタさんとお別れした日からずっとそうだ。気が付いたらぼんやりしてて、何も手に付かなくなっている。
それだけじゃなくて、無意識の内にMNSを操作して、前に撮ったリタさんの念写を眺めてることもあった。
これじゃいけないって思って、その念写を消そうとしたこともあったけど、どうしても躊躇ってしまって、結局はそのままだ。
ああ……僕って、なんて意志が弱いんだろう。自分から「さようなら」って言っておいて、未だにリタさんのことが忘れられないでいるなんて。諦めないといけないって分かっていても、まだリタさんのことを好きだと思ってるなんて……。
「リタさん……」
どうしようもなくなってリタさんの名前を呟いてみるけど、余計に胸が苦しくなっただけだった。
「どうしたの、ケントさん」
「……え?」
落ち込んでいた僕は、息が止まりそうなくらい驚いた。
だって、目の前にリタさんが立っていたんだから。




