#忘れたままでいたかった(1/2)
そんなある日のことだった。はちみつキッチンに、意外なお客さんが来たのは。
チリン、とドアベルが鳴った。
「いらっしゃいま……」
ちょうどカウンターにいたケントさんの声が不自然に途切れたのが聞こえてきて、バックヤードでMNSの書をいじっていた私は、何事かと思ってこっそりと店内の様子を見た。
「ふん、随分と地味な店じゃないか」
高慢な口調。私はあんぐりと口を開けた。
ロ、ロードリックさん!?
もう少しで叫ぶところだった。私は慌てて両手で口を押さえると、もう一度お店の中に目をやる。
……間違いない。あの、整ってるけど生意気そうな顔とか、高い身長とか、何となく大げさな仕草とか……。
どう見ても、私の元婚約者のロードリック・フォン・アームストロングだ。私がアームストロング家へ乗り込んでいった日以来の再会だった。
それにしても、何でこんなところに!? もしかして、敵情視察ってやつ? 私に『一万いいねを取ってみろ』って言ったのは、ロードリックさんだし。
……いや、違うかな。だって、ここに私がいるってことを、ロードリックさんは知らないはずだから。
ロードリックさんだけじゃない。私の存在は、誰にも知られちゃダメだった。だって私、まだ悪役令嬢Rだって思われてるんだから。
このカフェに悪役令嬢Rが関係してるなんてことが皆に知られたら、絶対にお客さんが来なくなっちゃうもん。嫌がらせだってされるかもしれないし。
ロードリックさんが頼んだのは、はちみつラテだった。甘いもの好きだもんね。そして、自撮りをパシャリ、パシャリ。この人、本当に自分を撮るの好きなんだなあ。確かにフォトジェニックな見た目してるけど。
気のすむまで念写を撮った後、満足したような顔でロードリックさんは退店していった。
……えっ!? ちょっと待って! 追いかけるの? ケントさん!
ケントさんは、厨房にいたお姉様にカウンターを任せると、外に出た。二人の様子が気になった私も、スカーフをしっかりと頭に巻き付けると、バックヤードから這い出して、その後を追うことにした。
「あっ、あの!」
ケントさんは、ロードリックさんに声をかけた。ビンを持ったロードリックさんが、気怠そうに振り向く。
「お前……リーゼロッタか!?」
けど、ロードリックさんが目をとめたのはケントさんじゃなくて、ケントさんの後ろにいた私だった。
な、何で分かったの!? これでも一応変装したつもりだったのに……。
って言うか、あんまり大声出さないでよ! 辺りには人がいないから良かったけど、そうじゃなかったら、私の正体がモロバレになるところだったじゃん!
「お前、どうしてこんなところにいるんだ?」
ロードリックさんはケントさんの横を素通りして、私の傍へやって来た。
「もしかしてお前も、今MNSで密かに広まりつつある、知る人ぞ知る、この『持ち帰り用のドリンク』を買いに来たのか?」
ロードリックさんは、はちみつラテが入ったビンを軽く振ってみせた。
「お前みたいな流行に疎い奴が、よくそんな情報を入手できたな。私は屋敷の使用人たちの立ち話を小耳に挟んでな。あいつら、平民なのによくもまあこんなものを知って……」
「それ、私たちが作ったんだよ」
私は、ロードリックさんの尊大なしゃべり方にうんざりして、話を途中で遮った。
このお店に貴族が来るのは、ロードリックさんが初めてじゃない。
やっぱり平民の方が数はずっと多いけど、ちょっとだけなら貴族とか、そのお使いっぽい人も来店して、お持ち帰り用ドリンクを買っていくこともあった。それだけ話題になってきた、ってことなのかな。
でも、ロードリックさんの口調には、相手をバカにするような気持ちが透けて見えて、私にはそれが、どうしても我慢できなかった。だから少し黙らせてやりたくて、本当のことを言ったんだ。
「ここにいるケントさんと一緒に考えたの。……ねえ?」
「えっと、は、はい」
ケントさんは、何故かロードリックさんに気後れしてるみたいだった。ロードリックさんの方がケントさんよりもぐんと背が高くて、着ているものも豪華だったからなのかな。
でも、どれだけロードリックさんが着飾っていようが、私にはケントさんの方がずっと素敵に見えるんだけどね。
「平民と一緒に?」
ロードリックさんは、呆れ返ってるみたいだった。
「何故そんなことを……。平民と戯れるなんて、お前も落ちたものだな、リーゼロッタ」
「余計なお世話だよ!」
私は手に持っていたMNSの書を開いて魔力を込めた。出てきた私たちのアカウント、『ハニー』のホーム画面をロードリックさんに見せる。




