#いつもの元気なあなたが好き(2/2)
「おい、お前」
僕たちがうんうん唸っていると、一人の男性が近づいてきた。
「お前、悪役令嬢Rだろ」
うわ。どうして今日は、こう何度も変な男の人に絡まれるんだろう。
人相のよくない人だった。体は大きいし、力もありそうだ。なんとなく目が血走っているように見えて怖かったけど、僕は反射的にリタさんの前に出て、彼女をこの人の視界から隠した。
「悪役令嬢Rめ、よくも俺をこんな目に遭わせてくれたな」
男性は、威圧的な声を出しながらこっちに迫ってくる。
「知ってる人ですか?」
「……ううん」
僕がリタさんに尋ねると、リタさんは首を小さく横に振った。
「初めて見る顔だよ」
「はっ、もう忘れちまったとはな!」
男性は唇を噛んだ。
「自分の胸に手を当てて、よーく考えてみろよ。半年前、お前、何した?」
「は、半年前?」
「ああ、そうだよ! お前がMNSにとんでもねえ投稿をしてくれた半年前だよ!」
男性は、拳を固く握る。
「お前、俺がやってた宿屋のこと、MNSに書いただろ!? 『残飯みたいな夕食が出てきた』とか『預けていた貴重品を盗まれた』とか。デタラメばっかり並べ立てやがって!」
男性は落ちていた石を拾った。まずい、と思った僕は、リタさんを連れて、急いでそこから逃げようとした。
「そのせいで客が来なくなっちまったんだぞ! それだけじゃねえ! 嫌がらせの手紙が毎日山のように届いて、挙げ句、俺に愛想をつかせた女房は、子どもを連れて実家へ帰っちゃまったんだ! 全部お前のせいだ!」
後ろから、石が飛んでくる。リタさんの短い悲鳴を聞きながら、僕は彼女の手を握って、必死で逃げた。
「待ちやがれ! 悪役令嬢Rめ!」
僕たちが近くの植え込みの影に身を潜めていると、その横を怒鳴り声と共に男性が通り過ぎていく。
怒声と荒っぽい足音が遠ざかっていって、しばらくして、聞こえなくなった。
「はぁ……」
なんとか撒くことに成功したみたいだ。僕は肩の力を抜いた。
「リタさん……大丈夫ですか?」
「うん、私はなんとも……ケ、ケントさん!」
突然リタさんが大声を出して、僕はびっくりした。
「ケントさん! 血が!」
リタさんが僕の手を掴んでいた。確かに左手の甲に、ちょっとした引っかき傷みたいなのがある。
あの男性が投げた石が当たった……わけじゃなさそうだ。多分、植え込みに隠れる時に、飛び出ていた枝か何かで引っ掻いたのかもしれない。
「平気ですよ、このくらい。放っておいたら治ります」
別に大した傷じゃない。でも、リタさんは「ダメだよ!」と狼狽えた。
「ちっちゃいけど、怪我は怪我でしょ! 私のせいでケントさんが怪我するなんて!」
リタさんは、大慌てで持っていたハンカチで僕の傷口を覆った。手が、少し震えている。
「早くどこかで、もっとちゃんとした治療をしないと! この辺りの病院は……」
「びょ、病院? そんな大げさな……」
こんな小さい切り傷でお医者さんのお世話になる人なんて、絶対にいない。門前払いされるのが目に見えていたので、代わりの提案をすることにした。
「僕の家に行きましょう。簡単な治療道具くらいならありますから」
「う、うん……」
珍しくしょげ返ってしまったリタさんは、大人しく僕についてきた。
僕の家に向かう途中も、全然話さない。いつもとは違うリタさんを見て、心配になったのは僕の方だった。
多分僕は、自分で思っていた以上に、リタさんの溌剌とした性格が好きだったらしい。笑顔が消えて、別人みたいに暗い顔をしてるリタさんを見てると、こっちまでどんよりした気分になってくる。
こんなことになるなら、怪我なんかするんじゃなかったって、僕は自分の不注意を恨んだ。
全然重症じゃないはずなのに、手の甲の傷まで痛んできたような気がする。……ううん、痛むのは心かもしれない。僕は、いつもの元気なリタさんに戻って欲しかった。
いや、今だけじゃないよね。僕はリタさんには、ずっと明るい顔をしていて欲しいと思っていた。
……ずっと明るい顔、か。
なんていうか……もし僕にそのお手伝いができれば、それはとっても素敵なことかもしれない。
ふとそんな考えが頭に浮かんできたけど、僕は別に驚かなかった。
だってなんだか、ずっと最初から、心の中ではそんなふうに思ってた気がしたからね。




