81 魔女と愛する人 1
アントリュースの戦いは勝利した。
あれからザザは気を失ってしまったらしい。
術者のスーリカの死で毒霧の効果は薄れていたが、傷が額で頭に近かったため、全く無事ではすまされなかったのだ。後から聞くと高熱でひどく苦しんだと言う。
ふと気がついた時、見知らぬ部屋に寝かされていて驚いた。そしてなんと、同じ寝台にギディオンも横になっていたのだ。
初めて見るギディオンの寝顔だった。
「え? え? ええっ?」
慌てて起き上がると目眩がする。思わず額に当てた手には布の感触がした。包帯が巻かれているのだ。
「気がついたか」
気配で目が覚めたギディオンが一番にした事は、腕を伸ばしてもう一度彼女を寝台に沈めることと、軽い口づけだった。
「よかった……ザザ」
間近にある顔が微笑み、無骨な指が頬を撫でる。
「あ、あの? あのあの」
「死ぬほど心配したぞ」
「……なっ? なんで?」
「まる一日眠ってたんだよ。心配して当たり前だろう」
真っ赤になったザザに、なんでもないことのようにギディオンは言った。
彼はシーツの上に肘をついて、ザザを眺めている。何をそんなに眺める部分があるのだろうと思うくらい、熱心に眺めていた。
「え、いえ、わたしがお尋ねしているのは、どうしてギディオンさまとわたしが、一緒の寝台に寝ているのかってことです」
「ああ、それか。それは寝台が足りなかったからだな」
「え?」
「今回の戦いでは死者こそ多くはなかったものの、怪我人は多数出た。それに眠り病に罹っていた街の住人も目が覚めたとはいえ、すぐに起き上がれる状態ではなかったし。今、この街では寝台に寝ることが結構な贅沢なんだよ。兵士たちは床に毛布を敷いて寝ている」
「え? じゃあ、わたしが変わります。私が床に!」
「だめだ」
再び起き上がろうとするザザに、たくましい腕が巻きついた。
「ザザは俺とここにいるんだ。このくらいの贅沢は許されて当然だ」
「どうして、ですか?」
「ここでどうしてと聞くところが、ザザなんだよなぁ。まぁそこに惚れたんだが」
「ほ……!」
「ザザがいなければ、この街も俺たちも、もっと酷いことになっていたんだぞ」
ギディオンは真面目な顔になって言った。
「もともとザザには何の関係もない戦いだった。それなのに、身を呈して邪悪な魔女と戦ってくれたんだ」
ザザの奮闘を目の当たりにした兵士たちは、ザザがただの薬師でないことに気がついている。しかし、ギディオンは余計な噂が広まらないように、市長エーリンクと守備隊長ホルバインによくよく言い含め、ザザが魔女だということが悪い風に伝わらないよう情報を操作するように頼み込んでいた。
「市長からも感謝の言葉があるだろう」
「感謝……? 私はただギディオン様のおそばにいたくて、我儘を申してついてきただけですから」
「ザザだけの我儘じゃない。俺の我儘でもあったんだ。だが、今はもう難しいことは考えるな。とにかく体を休めてくれ」
大好きな青い瞳。
森の湖のようなその色が少しだけ翳っている。
ザザは大人しく力を抜いて改めて周囲を見渡した。広くも豪華でもないが、借りていた宿の部屋とは比べ物にならないくらい、立派な部屋だ。
「はい……あの、ここはどこですか?」
「ここは市庁舎の二階だ。今は病院の役目もしていて、たくさんの負傷者が収容されている。だが、さすがに一人一部屋というわけにはいかなくてな。俺は嬉しいが」
「そ、それが一緒に寝ている理由ですか?」
「まぁそう。俺もあの後、気を失ったザザを担ぎ上げて、なんとか街までたどり着いたが、情けないことに俺まで倒れてしまってな。幸い俺のほうは半日くらいで痺れも抜けて、元どおりになったんだが」
ギディオンは担架に乗せられそうになったことや、ザザを他人の手に委ねることを断固拒否してザザを運んだことは黙っていた。
「でもお怪我をされているのでは?」
三度ザザは起き上がろうとするが、やはり元どおりにシーツに沈められた。ついでに頬にキスをされる。
「お怪我はしたが、大したものではなかったから。ザザの作った薬で化膿もしなかったし。もう元気さ」
「だったらなぜ、寝台に」
「飯を食ってお前の寝顔を見ている内に眠くなったから」
「……」
「ザザがうなされていた時は俺も眠れなかったからな。一応お前の真似をして、リキュウバの葉っぱを揉んで嗅がせてみたりしたんだが」
「そうでしたか……」
「熱が下がって本当に良かった」
ギディオンは、ザザの掌を救い上げて指先を口に含む。ザザはもう何を言っても無駄だろうと諦めてしまった。
あるじさまって、こんな風な方だったかしら?
「い、今何時ごろですか?」
「ああ、昼を過ぎた頃かな? 腹は減っているか?」
「い、いいえ」
「何か飲むか?」
「へいきです」
「そうか、まぁ眠っている間に何度か果汁を飲ませたからな。口移しで」
「く、くち? え……ええええっ!」
ギディオンはしれっと、とんでもないことを口にする。
「嘘だ。けど、そんなに驚くことか? ほらそこに吸い飲みがあるだろう? それで飲ませた。以前ザザが教えてくれたように」
「……あなたは、本当にギディオンさまですか?」
「は?」
「いえ、なんでもありません」
枕に頭を沈めて窓に目をやると、確かに明るい。こんなに明るいのに寝ていることが申し訳なく思えるほどに。
おそらく今は戦後処理で大忙しの筈だ。本当ならギディオンも、こんなことをしている場合ではないのだろう。
私のために、ここにいてくださるんだわ……。
ザザの心がふくふくと満たされる。体にはまだあまり力が入らないが、苦しみも悲しみも、今は追いついてこない。
いろんな事は後で考えよう。こんなのは本当に贅沢だ。きっとすぐに終わってしまう……でも、もう少しだけ、こうしていたい。
「デルスさまたちはご無事でしょうか……」
ザザは後ろめたさを隠すために尋ねた。
「ああ、元気だよ。氷漬けにされかけたが、スーリカが死んですぐに解放された。頑丈な奴らだからな。フリューゲルが鼻風邪を引いた程度だ」
「眠り病の方々は……」
「それも、心配ない。あの後次々に目覚めてな。家族は大喜びだ。ザザの葉っぱのおかげで悪夢から解放されてはいたが、さすがに何日も眠っていたせいで、体力の回復までにはしばらくかかるとの話だった」
「宿屋のお子さんも?」
「ああ、あの子も大丈夫だ。比較的すぐに回復して今朝、母親と一緒にお見舞いにきたぞ。その花を持ってきた」
「きれい」
道端に生えている冬の野の花だ。小さくて目立たなくても、とても可愛らしい。
「俺が生けたから、体裁は悪いが」
「……きれいです」
ザザは花を生けているギディオンを頑張って想像しながら言った。
「じゃあ、もう一眠りしようか」
ギディオンはそう言って自分も横になり、ザザに腕を回す。ひと回り小さくなった肩がギディオンに愛おしさを募らせた。
「ひゃっ! こ、困ります! ギディオンさま」
「困るのか?」
「いえ、困りませんけど……困ります。恥ずかしい……それに」
「それに?」
「ギディオンさまにはお仕事が……」
「あるさ。起きたらやる。今はお前と一緒に、もう少し眠りたい……あとな」
「はい」
「俺も、お前に話があるんだよ……聞きたいことが」
「でしたら、今」
「いい。また眠くなってきた。ザザは小さくても温かい……寝る」
そう言いながらギディオンはザザの見ている前で、青い瞳をゆっくり閉じて寝入ってしまった。その様子はいかにも安らいで楽そうだった。
ザザはうっとりとその様子を眺めた。体に回された腕の重みさえ、愛おしい。
今だけだ、この方を独り占めできるのは。
きっと、今だけ──。
脳裏を哀しい影が掠めたが、今は封じ込めることにする。
「……すき」
そう呟いて、冬の昼下がりの明るい部屋の中、再びザザも眠りの淵に落ちていった。