75 魔女と大魔女の魔法 2
ザザの薄い体は、風の攻撃を受けてふっとんだ。
自分が切られたことがわかる。皮膚が裂け、血が出ていることも。それは薄い膜となって闇の中に飛び散っていく。その中に翆色の光を放ちながら落ちていくものがあった。
ザザの胸から離れた母の形見の輝石である。
「ザザ!」
ギディオンが絶叫しつつ駆け寄る。
「ザザ、ザザ!」
「……だいじょうぶ、です」
ひっくり返ったザザの両手には、真っ二つに折れた青銅の槍が握りしめられていた。
スーリカが作り出したものだが、皮肉にもこれが彼女を致命傷から守ったらしい。しかし、服は袈裟懸けに大きく切り裂かれ、胸元からは血が流れていた。
「血が! 今手当てをする!」
「いいえ! すぐに次の攻撃がきます」
背中を見せていては危ない。ザザは槍を放り出し、なんとか起き上がろうとした。傷は大きいが、それほど深くはなく、骨には達していない。
しかし、間髪を入れずに来るはずの攻撃は来なかった。
「……?」
スーリカが屋根から降りている。彼女はよく見えぬ目をかっと見開いていた。
「……それは、その石は……まさかモルアツァイト」
その目は、革紐が切れて地に転がったザザの輝石に注がれている。スーリカの目には、石の放つ光がまざまざと見えるのだろう。
「その形、輝き。間違いなくグレンディル様のものじゃ! なぜ、そなたがその石を身につけておった!?」
希少な魔鉱石の結晶。輝石モルアツァイト。
それは、身に付けた者の能力を高める力があるとされる翆色の石だ。しかも、持ち主を選ぶとされる魔鉱石である。
「……っ!」
ザザは腕を伸ばして石を拾い上げようとしたが、スーリカの方が早かった。魔法で石を自分の手の中へと呼んだのだ。石はやや渋るような様子を見せたが、大きな魔力に諦めたようにスーリカの手に収まってしまった。
「おおおお! まごう事なき、あの方のモルアツァイト!」
スーリカは石を握りしめ、歓喜の叫びをあげた。
騎士グレンディルの妻、ターニャの家は、かつてパージェス古王国王家の財産である、銀山の守護職だった。
魔鉱石とは、銀を掘り出した跡のさらに深い地中に、わずかに含まれるもので、一部の魔女以外、長らく人に知られることはなかったものだ。
約百年の昔、銀山の麓に住み着いていた年老いた魔女が、長いことかけて精錬し、魔鉱石モルアツァイトを結晶化させることに成功する。
しかし、老魔女は力を使い果たし死にかけていた。
守護家の当主は、魔女とは知らずに瀕死の老婆を助け、老魔女は半年存えた。そして恩を感じていた守護家に報いるため、ターニャとグレンディルとの結婚の祝いに、魔鉱石を捧げて死んだ。
ターニャは夫となったグレンディルに、輝石をはめ込んだ剣を石を贈り、彼は生涯その剣を身に付けていた。
グレンディルの剣技は輝石の力により各段に冴え、数々の功績をあげてセルヴァンティース家の名を高める。しかし、それ故、彼の存在はスーリカに知られ、一方的に主と定められてしまったのだ。
彼に執着し、追いすがるスーリカに妻ターニャは惨殺され、自らも重傷を負わされたグレンディルは、シルワームの繭に閉じ込められる。スーリカは剣にはめられたモルアツァイトに気がついたが、石はスーリカを選ぶことはなかった。選ばれないものにとって輝石は、ただの石ころ同然である。
そして輝石は手付かずのまま、グレンディルと共に洞窟で眠りにつき、彼を解放したザザの母、魔女ユージェに引き継がれたのだった。
しかし、魔鉱石モルアツァイトは、ユージェをも選ばなかったのだ。
「なぜ! そなたがこの石を!?」
「わ、私の母の形見なのです!」
「何? そなたの母? 母とな!?」
スーリカはザザを睨みつけた。そのまま、その痩身をゆらゆらとさせている。
「……まさか……そうか。そなたの母が、グレンディル様を繭から解放した女だな!」
「そ、そうです!」
ザザはありったけの勇気を振り絞る。それでも声が震えた。
「よくも……よくも……殺してやる……その女!」
「母、ユージェは既に亡くなっています。そして、我が父の名はグレンディル!」
ザザはお腹に力を込めて言い放った。
「な、に?」
スーリカの体の揺れは止まった。
「グレン……ディル? グレンディル!?」
「そうです。おそらくあなたがシルワームの繭に閉じ込めた方です」
「……そうじゃ」
「あなたは怪我を負ったグレンディルさまを、繭に閉じ込めて癒そうとした。その術が完成した時、偶然魔女ユージェが彼を見つけた。母の日記にはそうありました」
「……」
今やスーリカは、全身でザザの語る言葉を聞いていた。
「母は悲嘆にくれるグレンディルさまに寄り添い、心を癒し、そして私が生まれた!」
ザザは誇り高く、顎をあげた。もう声は震えていなかった。
「我は魔女ユージェとグレンディルの娘、ザーリアザ。そして、ギディオン・セルヴァンティースさまをあるじと定めたザザ・フォーレストだ!」
魔女の名乗りだった。
スーリカだけでなく、背後のギディオンまでもが目を見張っている。
「……ザザ」
「……お前は、あのお方の娘とな? 確かに、お前の血からはあの方の香りがするわ……今までなぜ気づかなんだのか」
まだ血が流れているザザの胸元を見つめてスーリカは言った。
「あの女……ターニャを殺して、これでグレンディル様の心を奪う者は消えたと思うていたが……そうか、お前の母親が…………あの方の情けを受けたのか!」
スーリカの声はどんどん激しくなっていった。
「おのれ! どこまで妾を苦しめる!」
捻れた爪を持つ五本の指が、勢いよく振り下ろされる。
すると、空中に五匹の蛇が現れ、ザザに飛びかかった。かっと裂けた口からは、赤黒いものを滴らせる牙が光っている。
毒蛇だ。
「……っ!」
思わずマントで覆って防御するも、毒蛇の牙は鋭い。しかし、恐ろしい毒牙はザザに届かなかった。
「……」
ぼたりぼたりと不気味な音が周囲に満ちた。
見ると、真っ二つに斬られた蛇たちが、地面でのたうちまわっている。ギディオンが大剣を一閃したのだ。見る間に蛇は地面に染みを残しながら消えた。
「主が魔女を守るか」
よく見えないはずの瞳は、ギディオンの目をしっかりと捉えている。
「……男、お前の腕には妾の毒の痕跡があるな」
「そうだ、お前の毒を塗り込めた矢で射られた」
「それにしては、素晴らしき剣技の冴えじゃ……なるほど、そこの小さい魔女に抜いてもろうたか」
「ザザはかけがえのない、大切な存在だ。ザザは俺を主と呼ぶが、俺はザザを恋人と呼ぶ」
「……憎しやっ!」
その言葉を聞いた途端、醜く顔を歪めたスーリカは、転がっていた青銅の槍をギディオンに向けて飛ばす。完全に死角からの攻撃だった。
「ギディオンさま!」
ザザが咄嗟に風を起こすも、軌道は僅かしか逸れない。しかし、ギディオンも同時に体を捻り、穂先は腕を傷つけるに終わった。以前と同じ場所だ。
「……っ!」
傷は肉を裂いて血が溢れ出した。ギディオンは顔をしかめただけで、防御の構えを崩さないが、スーリカの様子が変化している。それは憎悪と言うより驚愕、憤怒と言うより郷愁だった。
「これは……この血の匂いは……グレンディル様?」
そして、どこか切なさも滲んだ奇妙な顔でギディオンと、滴る血を凝視していた。
「男! お前は何者じゃ! 名を聞かせよ!」
「おう。俺はギディオン・セルヴァンティース。魔女ザザを守る者の名だ!」
ギディオンは大剣の切っ先をスーリカに向けて言い放つ。
「セルヴァンティース!」
スーリカは歓喜に満ちて叫んだ。
「おお! 我が主、グレンディル・セルヴァンティース様! 我が元に蘇られたか!」
モルアツァイトとは、ラピュタの飛行石みたいな物と思ってください。見た目、トルマリンの結晶みたいな感じです。
ノヴァでも出ましたが、鉱石大好き!宝石じゃない原石が好きです。




