73 魔女と城壁の戦い 6
「ザザ! 何をしている!」
ギディオンは声の限りに叫んだ。ザザがさっと振り向き、髪を風が梳いた。
二人の視線がぶつかる。
魔女の額には鮮やかにつなぎの印が現れていた。
ザザは小さく頷くと、弓をいる動作を見せてにっこりと微笑んだ。そのまま斜めに傾いた破壊槌の丸太の一番上に進み出ると、両手を高く掲げる。
我を産みし血より受け継ぎし風、今ここにその力を示せ!
ザザの意図を正しく理解し、弓兵に火矢を構えさせていたギディオンだったが、前方の投石機の装填が整うのを見てとって、下に向かって叫ぶ。
「ザザ! 次の石が来る! 逃げるんだ!」
しかし、ザザは動こうともしない。魔法に集中しているのだ。ぎりっと奥歯を噛み締めたギディオンは、崩れた城門の残骸を伝って丸太の上に飛び降りた。
「ザザ!」
丸太を駆け上ろうとしたギディオンの背中を押すものがある。
風だ!
山から吹き下ろす風を押し返すように強い風が吹いている。
ザザの起こした向かい風だった。
「弓兵! 今だ!」
大きく崩れた城壁の両側から一斉に火矢が放たれる。それは風に乗って正しく投石機に突き立った。しかし、同時に放たれた岩がこちらに飛んでくる。まさに二人が立つ、その場所に向かって。
ザザは大きく手を振り下ろした。すると一陣のつむじ風が巻き起こり、飛来する岩を飲み込む。しかし、押し返すまでには至らない。ザザの片脚が大きく後退し、丸太から滑り落ちそうになるが、それを支えたのはギディオンだった。
「俺がいる!」
その声が聞こえたかどうか、ザザは振り下ろした手を十字に握りしめて前に押し出す。
つむじ風は、岩をぐるぐると回転させながらかき消えた。同時に岩もこちらまで届かず、眼前で垂直に落下する。
落下の衝撃で二人の乗っていた投石機が大きく揺れ、ギディオンがよろけるザザをザザを支えた。
わああああああ!
歓声が背後で起きた。
見ると、投石機は二台とも燃え始めている。
岩を乗せる皿と、重りをつなぐ柄の部分が燃えては、もはや兵器としては不能だ。
「はぁっ!はぁっ!」
「ザザ! ザザ!」
ギディオンが背中にもたれかかった魔女を片手で抱きしめて、その名を呼び続けた。
ザザは頬を真っ赤にして汗をかいていたが、大丈夫だというように微笑んだ。
「お前……体は大丈夫なのか? 真っ青な顔をして倒れただろう?」
「わたし、長いこと眠っちゃっていて申し訳ありませんでした」
「何を言っている。ザザのお陰で攻城兵器を無効にすることができたんだ!」
投石機は今や巨大な松明のように燃え盛っている。二人が見ている間にも、大きな横木がどうと崩れ落ちた。
火矢はまだまだ壁上から放たれ、乾いた平原に炎の盾が出来上がっていた。城壁に向かって突入しようとしていた歩兵たちは一旦停止を余儀なくされ、二の足を踏んでいる。靴や盾で炎を叩いての消火活動だ。
ギディオンはその様子を見て、次の局面を組み立てた。
「これで、しばらくだが時間稼ぎができる。ザザ、一旦壁内に戻るぞ。掴まれ」
「はい」
ギディオンはザザを支えて傾いた車を降りた。その手首や腰は、とてもたった今、大岩を押し返したつむじ風を起こした張本人とは思えないほど細い。
「ザザ、無理はするな。お前に何かあったら、俺の心臓はちぎれてしまう」
「わたしもギディオンさまに何かがあれば、生きてはいられません」
微塵の躊躇いもない、その言葉に男は笑った。
「なるほど、生も死も一緒ということか。ならば、二人して生きようか?」
「はい!」
ギディオンは最後の瓦礫をザザを抱いて飛び降りた。
「お二人ともご無事ですか?」
デルスが駆け寄る。
「ああ、だが休んでいる暇はない。次は白兵戦になる」
「ギディオン様! モスです! モスが見えました!」
上からフリューゲルが叫んだ。空を見ると、小さな点が一直線にこちらに飛んでくる。
そして、その後ろから──。
「見ろ! 援軍だ! 援軍が到着したぞ!」
ホルバインの声も喜びに震えていた。
「友軍は騎馬が千あまり! 間に合った!」
北西の方角から平原に馬の駆ける音が頼もしく響いた。北西の国境騎馬隊だ。チャンドラ兵の怒りの声も混じる。
チャンドラ軍の騎馬は指揮官の元、急回頭し、新たな敵に向かって馬を駆り立てていく。呼吸十回もしない間に両軍は正面からぶつかるだろう。
「よし、これで平原は騎馬同士の戦になる。こっちは歩兵の突入に備えるぞ。散開!」
ギディオンはアントリュース守備兵に向かって命令を下した。
「市街戦に備えろ! 配置につけ!」
無論、ギディオンは城壁が破壊されることを想定して、作戦を立てていた。
城門前の広場から伸びる街路には、敵の侵入を防ぐ仕掛けがいくつも設置されている。
「馬防柵の備えは!」
「完了しております!」
おおおおおおお!
チャンドラの勇猛な歩兵が炎の壁を乗り越えて突撃を開始した。
城門の崩れたところを身軽によじ登るのは、さすが山の民ならではの芸当だ。
想定どおり、最初の数十人は近くの建物から矢を射かけて倒したが、敵兵は怯むことなく後から後から突入を続ける。たちまち弓矢では対応しきれない数になった。
ギディオンが剣を大きく掲げて命じる。
「いくぞ! 街を守れ!」
早い冬の陽は傾きかけていた。陽が落ちてしまえば、地の利がある守備隊の方が有利になる。
街路をよく知るホルバインは、偽の壁や樽で通路を塞ぐ作戦で、精鋭が待ち構える袋小路へと敵の小隊を誘導した。また、油を撒いた路地を敵が通過するところへ火を放ち、大火傷を負わせたり、残った市民たちの協力で頑丈な倉庫へ敵を閉じ込めて煙で燻したりと、街のあらゆるところで激闘が繰り広げられていた。
アントリュース軍は市民も協力し、よく街を守っている。しかし、敵の数は多く、街全体でどのくらいの被害が出ているのかはわからなかった。
「武器を捨てろ! 投降すれば命までは取らない」
通りの突き当たりに追い詰められたチャンドラ兵に向かって、ギディオンは命じる。しかし、数の上で優っていることを頼んでか、投稿する隊は少なく、決死の形相で打ち掛かってくるものがほとんどだった。
「お前の顔は知っているぞ! セルヴァンティース! 友の仇だ!」
「討ちとれ! 名を挙げる絶好の機会だ!」
山の民特有の大振りの剣を揮って、チャンドラ兵はギディオンに向かってくる。ギディオンはその正確無比な剣捌きで主に相手の手首や指を狙う。
「うわああああ!」
斬られた指先が地べたにぽろぽろと転がる。指を落とされたら武器は使えない。それを見た敵兵が戦意を喪失するのを知ってのことだ。フリューゲルやデルスら、王都から彼が率いてきた精鋭たちも、付近で勇猛果敢に戦っている。
「取り囲め! 相手は少数だ」
チャンドラに指揮官が必死に兵を鼓舞し、三人がかりで取り囲むもギディオンの剣先は鈍らない。
「ぎゃあ!」
地面ぎりぎりの一閃に、足の腱を斬られたチャンドラ兵がたまらずに転がった。
「な、なんて体幹をしてやがるんだ!」
ゆらりと体勢を立て直した男に敵が初めて怯む。
その時、新たな敵が背後の街路にから現れた。
「応援だ! いいぞ!」
「あ、あいつを。セルヴァンティースを殺せ!」
「奴もそろそろ疲れてくる頃あいだ! 息もつかさずに襲い掛かれ!」
「おおう!」
ギディオン達が戦っている広場を目がけて、十数人の兵が走る。しかし、広場の手前で急に彼らの足は鈍った。
「あ?」
「どうした!」
兵士たちは武器を持ったまま、ぼんやりと中空をぼんやり見ている。その目は意志の光を失っていた。
「ザザか」
ギディオンは、民家の屋根の上に立つ魔女の姿を見とめた。
夕焼けの中にその姿はひどく美しく見えた。
「だいじょうぶ。やれる」
ザザは懐から小さな袋を出した。
山中に潜入している間に作った痺れ薬を粉にしたものである。
食物に混ぜて摂取した場合は効き目は遅くなるが、鼻から直接吸い込むとその効果は早く、一時的だがせん毛状態(突然ぼんやりすること)に陥る。
こうすれば魔力を消耗することなく敵をやっつけることができる。
ザザは狭い街路を屋根から屋根に飛び移りながら、広場を目指そうとする敵を出来るだけ減らしていった。
ザザはこの街の公式の図面はもらっていないが、学問所の生徒アロイスがくれた地図は全て頭に入っている。彼は子どもの目線で街を歩き、路地という路地をくまなく記録したのだ。
狭い通路を身を隠そうともしないでチャンドラ兵が進んでくるのが見える。
「少しの間ぼうっとしますよ」
ザザは粉を指でつまみ、小さな風を起こした。
「……?」
粉を吸い込んだチャンドラ兵が、不思議なものでも見るように自分の剣を眺めている。自分が誰で、どうしてここにいるのかわからないようだった。
その様子を見た敵兵はおろか、味方までが驚いでいる。ギディオンだけがうっすらと頷き、残りの敵を倒しにかかった。
背中越しに彼が叫ぶ。
「あとは俺たちがやる! できるだけ身を伏せていろ!」
はい、とザザは心の中で返事をした。
ギディオンの邪魔をしないよう、そしてその命を守るのだ。
これがザザの戦いだった。
アントリュースの街を青い闇が覆い始める。
「!」
突然襲ったその気配に、ザザはぞっと身を震わせた。冷えた空気の中に混じる赤黒い憎悪。それは見えない質量を持ってザザを圧迫する。
「来た!」
ザザはぐっと拳を握りしめた。
スーリカの気配だった。