67 魔女と大魔女 4
一行が街に帰って来たのは、東の空が白みはじめる時間だった。
ギディオンは少しも休まず、ザザを宿に預け、くれぐれもよろしく頼むといい置いて、慌ただしく市庁舎に出かけて行った。
彼は、ザザが知りえた限りのスーリカの魔力を伝えると、非常に難しい顔をした。
「お母さん……」
ザザは運ばれた自分の部屋でそっと母、ユージェの手記を開いた。
もう一度、以前読んだ頁を読み返す。
やはり、ザザの母がシルワームの繭の中から助け出した男は、グレンディル・セルヴァンティースだった。
そして、彼はザザの父であるという。
そして思った通り、前には閉ざされていたページが一人でに開いた。母の文字が続く。
『私はグレンディル・セルヴァンティースと名乗る人を助けることに決めました。
彼は宝玉の嵌まった剣以外は何一つ持っていなかったので、私が村に帰ってすぐにしたことは、残っていた貴重な薬草を売って、男物の衣類を整えることでした。彼が一生お仕えする主だと悟った私は、なんでもしようという気持ちが昂っていたのです。
私は、非常に幸福でした。主を持つということが、魔女にとってどんなに素晴らしいことであるか、やっとわかったのです』
ザザは母の文字を指でなぞる。
お母さん、あなたの気持ちがすごくよくわかる。私もギディオンさまに会った時、そうだったから。
『そして私はグレンディル様の回復を待って旅に出ました。セルヴァンティースの名前は貴族のものだったので、王都に行けば何かわかると思ったのです。彼には記憶がほとんどありませんでしたが、大切な人を失ったことだけは覚えているようでした』
『王都で彼の生家は、意外なほど早くにわかりました。
セルヴァンティースというのは、大きな貴族の家だったのです。グレンディル様の記憶は少しずつ戻り始めていました。
しかし調べてみると、家はグレンディル様の弟様が継いでいて、その弟様も彼が眠っている間に亡くなっていました。セルヴァンティース伯爵家は、ディーターと言う名の、甥御様のものになっていたのです。
グレンディル様が見つけられたのは、自分とその妻の墓。二人とも、何十年も前に死んだことになっていました』
『グレンディル様は、とても悲しまれました。奥方さまをとても愛しておられたのです。
繭に閉じ込められたおかげで、奥方さまが亡くなった事が、そんなに昔のことのように思えなかったのでしょう。打ちのめされて、絶望し生きていく気力を失われておられました。
ですが、私はなんとしても、彼にもう一度立ち上がって欲しかったのです。立ち上がって、生きてほしかった』
『私は生家にご自分が生きていることを伝えてみては? と伝えました。
彼は伯爵家の直系であり、正当な継承者です。けれど、グレンディル様は、今更自分が名乗り出ても誰にも、信じてもらえないと言うのです。
彼が眠りについてから、長い年月が経ち、誰も彼のことを覚えていません。魔女の仕業だと主張しても、魔女が活躍した時代は歴史になり、魔女も魔法も、もはや誰も信じてはいませんでした。
その頃には魔女は本当に少なくなっていたのです。私も、私とドルカ以外には知らなかった』
『グレンディル様は家に戻ることは諦めると私に言いました。
伯爵家はディーター様のものになっていて、彼を知る家族も友人も、ほとんど死に絶え、何十年も眠っていた自分が今更名乗り出ても、証明してくれる人はいないと。
でも、私は嬉しかった。グレンディル様は私と共に旅に出ると仰ってくれたから。
私は主としてだけではなく、男の人としてあの方を愛していたのです。ひと目見た時からずっと』
あいしていた……。
愛していた。
男の人として、あるじさまを愛していたのね、お母さん。
ザザの目に涙が溢れる。
その気持ちは自分も同じだったからだ。
『私たちは再び旅に出ました。私は魔女と知られにないように薬を売り、グレンディル様は辺境の男達に剣を教えました。
彼は初め私に心を開かなかった。当然です、自分と妻の人生を破滅させたのは魔女だったのですから。ですが、ずっと一緒に過ごすうちに、次第に自分の魔女として私を許してくださった。私に情けをかけてくださったのです。
たった三年間でしたが、私には夢のような年月でした。そして、最後には女だとも認めてくれた。そして私たちは結ばれ、あなたが私のお腹に宿った。幸せで幸せで、どうにかなりそうだった。でも、生まれたあなたをあの方が見ることはなかったのです』
生まれた私は、お父さんに会ってはいなかったの……?
『グレンディル様の体は徐々に弱っていたのです。
何十年もの眠りは、やはり人には大きな負担となり、最後の半年で急激に老いていかれた。わたしは最後まで彼の側にいました。私の少ない魔力では彼を生かすことはできなかった』
『私は旅の空の下であの方を葬りました。この日記の最後にその場所を記しておきます。普通の人間にはわからないところですが、あなたならわかると思います。』
その部分を記した母の文字は震えている。
『グレンディル様が私に残してくれたのは、あなたと生涯身につけておられた輝石でした。
それはグレンディル様の奥方様の形見だったそうです。その方は古い辺境貴族の姫君だったそうで、その家に昔仕えた魔女が魔鉱石から精錬した、非常に貴重な石だということでした』
『その石の名はモルアツァイト。
石が選んだ人の潜在能力をを高める能力があると言います。しかし、石の秘密は魔女の中でも知るものは少なかった。あなたを託したドルカでさえ、この石はただの輝石だと思って重要視していなかった。でも、私は思ったのです。モルアツァイトとあなたが巡り合ったのは、決して偶然ではないと。あなたの印は世にも珍しいつなぎの印。うまく使えば、この世の森羅万象があなたの魔法の糧となる。
ですが、石は人を選びます。この石は私を選ばなかった。魔女が作った石も魔女と同じで、自分が選んだ主人を持つのかもしれません』
この世界の神羅万象が私の魔力の糧……?
私の味方になるということ?
ザザは最初、自分は風使いだと思っていた。
しかし、自分の修行や意識の高まり、そして石の力で、今では炎や植物の助けも借りられるようになっている。
『魔女は長い間利用されてきました。主の命で、たくさんのいけない事、悪い事もしてきました。
ですが、魔女が全部悪いわけではない。中には病人を癒し、地中に眠る水脈や鉱脈を見つけて人々を助けた魔女もいたのです。
だからザーリアザ、あなたも人を助け、人のために生きなさい。良い目的で動く時、つなぎの印とこの石がきっと助けてくれるでしょう』
『つなぎの印の魔力がいつか本当に発動し、あなたが真の魔女となることを願って、この石をあなたに託します。そして貴重な石のことが漏れないように、私は最後の力でこの手記を封じます。
あなたの魔力が成長したならば、この手記を開くことができるでしょう。そのことを信じて私はこの手記を書くことにしたのです』
『愛する娘、ザーリアザ。
これを読むあなたがもし、自分の主を見つけているのなら、決して離れてはいけません。最大限の愛でお仕えするのです』
『なぜなら、魔女と主は──』
ここでまた、母の手記は再び途切れ、頁はそれ以上めくれなくなった。そこが最後の一枚だったのにもかかわらず。
この先を読む資格には自分にはまだない。そう悟ったザザは部屋を飛び出し、ギディオンのいる市庁舎へと駆け出した。
すっかり夜は明けていた。
つい数刻前、あの暗い山の上で、大魔女スーリカと戦ったことが嘘のように明るい冬の朝だった。
「ギディオンさま!」
飛び込んだ市庁舎の会議室では、街の主だった者が夜を徹して作戦会議を開いていた。
大きな卓にこの地方の地形図が広げられている。その中央にいるのはザザの主だ。周りにはフリューゲルやデルスも並んでいた。
「ザザ! 休んでいろと言っただろう!」
「いいえ、いいえギディオンさま! 私も戦います! お願い、私を置き去りにしないで!」
「ザザ、ここは軍議の場だ。出て行きなさい」
「出ていくのは構いません。でも、戦う時は私もついて行きます」
「ザザ!」
「セルヴァンティース卿、こちらのお嬢さんは?」
そう問いかけたのはアントリュース市長、エーリンクである。四十がらみの立派な風格の男だ。
「私は魔女のザザです!」
ギディオンが説明する前に、ザザは片足を引いて名乗りをあげた。
「魔女! 魔女だって? まさか、君のような小さな女の子が!?」
その部屋にいた者たちは、一様に驚きざわめき始める。すかさずギディオンが進み出た。
「いや、エーリンク殿、この子は私に仕えてくれる薬師の娘で」
「ほう! 堅物と評判のセルヴァンティース卿に仕えるご婦人とな?」
横から口を挟んだ口髭の男性はこの街の守備隊長、国軍のホルバインだ。彼は意味ありげな視線をギディオンに送った。
「ホルバイン殿、彼女は王宮薬草苑の薬師です。薬師として、今回協力をしてもらっているのです。余計な勘ぐりはやめていただきたい」
ギディオンは愉快そうな顔をしたホルバインに素っ気なく言ったが、ホルバインもエーリンクも街の噂を聞いていたのだろう、二人して目を見張らせた。
「すると、今回の風除けの薬を作ってくださったのは、このお嬢さんですか!」
「医師どもが薬がとても足りないと頭を抱えていた時に、民間の薬が急に市中に出回って、悪夢から助かった者がいると盛んに噂されていましたが、まさかこんな小さい子が!」
「私は二十歳です!」
「……ザザ、今は年齢は問題じゃない」
ザザが真面目に宣言したことが、あまりにも今の現実とかけ離れていたため、ギディオンは思わず顰めていた眉を緩めてしまった。
「そうです。私は魔女で薬師です! だからきっとお役に立ちます!」
「……セルヴァンティース卿、確か君はさっき魔女の報告をしたな。昔、我が国を追い出され、チャンドラに寝返った邪悪な魔女が、パージェスに復讐しようとしてチャンドラと結託し、悪巧みを仕掛けているとか」
「それは……はい」
「魔女など、とうに滅びたと思っていたのだが、隣国で生き残っていた。そして我々には魔女と戦った経験がない……お嬢さん、魔女は魔女と戦えるものなのかね?」
「戦います!」
「ザザ、控えなさい」
ギディオンの声は厳しかった。
「確かに少しは魔法を使えるようですが、こんな小さな娘に戦いに参加させるのなど、パージェス国軍の名折れでしょう!」
「それはそうだ。しかし、ご助言いただくことは可能だろう。もちろん全力をあげてお嬢さんをお守りする」
「守っていただかなくても結構です! 私は魔女、いざとなったら空を飛んででも逃げられます!」
「嘘をついてるな! ザザにそんな真似ができる訳がないだろう!」
すかさずギディオンが突っ込む。
「できなくってもやります。ギディオンさまはわたしに、側にいろとおっしゃってくれました!」
「おい! それはまた別の意味だ」
「おっしゃいましたから!」
ザザも負けてはいなかった。
「ちょっとお二人さん! それ以上、このおいぼれ達に見せつけんでくれんか?」
「!!」
二人は同時に振り向いた。
「セルヴァンティース卿。まさかあなたが、こんなに感情豊かな男だとは、思いもよらなんだぞ。なぁ」
「左様」
エーリンク市長がホルバイン隊長に頷きかけるのを見て、ギディオンは珍しく顔を赤らめた。
「まぁ、卿の気持ちはよくわかる。我々だって、普通なら孫のような年頃の娘ごに頼りたくはない。しかし、敵が攻めてくるまで、もう幾日もないのだ。ここは恥を忍んで打てる手は全て打ちたいと思う」
ホルバインはザザに対して居住まいを正した。
「お嬢さん。もう一度確認するが、お嬢さんは本当に魔女なのかな?」
「そのことについては私が保証します! 私はザザさんが、邪悪な魔女に対して、草木を使って対抗するところを見ました」
口を挟んだのはフリューゲルだ。ギディオンが険しく彼を睨み付ける。しかし、フリューゲルは引かなかった。
「指揮官殿、あの魔女の魔力は強力です。ですが、ザザさんは上手く防御をしておられました。ザザさんに注意を向けている間に、私は背後から魔女を攻撃することができたのです。つまり、読めない相手に対し、正面きって闘うのではなく、やり方があると」
「……わかっている」
ギディオンはぎしりと拳を握り込んだ。
「ギディオンさま。私をどうか側に」
ザザは固く握りしめた大きな拳を両手で包み込んだ。
「二人なら戦えます」
「くそ。これじゃ俺が一番臆病者じゃないか…………」
長い沈黙を誰も邪魔はしなかった。
「……わかった。ザザ」
「はい、ギディオンさま」
「常に俺の側にあれ。俺と共に戦ってくれ」
ギディオンが正面からザザに向き合う。
「はい!」
「ただし、絶対に死ぬな。命が何より大切だ」
「……はい」
それは重い言葉だった。しかし、ザザにとって何よりも力を得られる言葉でもあった。
黒い瞳に主への愛と熱を湛えて、魔女は大きく頷いた。